私の日本語辞典「暦をめぐる日本語史」 細井 浩志 活水女子大学教授
秋山和平 NHKアナウンサ-(聞き手)
150905①
「秋山」
先生は日本史が専門である。その中の一つの分野として例えば天文学とか古い暦の導入の歴史とか、そういうものを研究する事を通じてこの日本語の歴史、記録と言うか編纂の姿がどのように図られてきたのか、一種の文書管理と言うか、整合性のチェックと言うような事を研究の一つの手法としてやってこられた。博士論文は「古代の天文異変と史書」というテ-マであった。我々が興味深いのは「日本史を学ぶ為の古代の暦入門」という本があって、ここで暦と言うものとそれから一つは天体の動きとか、関係してとても難しい事の様であるが、そのことと日本の古い時代の政治や行政や人の暮らしが、どのように行われていたかという古い時代の記録との帳尻合わせというか、その辺から色々なことを研究して、色々な事を調べておられる。こういうものの中から今回は暦と言うものを軸にして古い時代の日本がどんなものかをお聞きします。
「日本史を学ぶ為の古代の暦入門」を読むと天体観測とか、一年が365.2422日で出来ているとかそういう事を細かく
デ-タで見せながら、その上で日本の歴史の中でどういう風に受け入れられてきたのかという事に順序を追って書いて
ある。
「細井」
元々、天文学などは詳しくはなかったが、自分の研究の都合で、このような事を書かねばならなくなった。
「秋山」
そういうものに興味を持ったきっかけは何ですか。
「細井」
元々は文学が好きで理系でもなかった。大学に入って西洋化学史の授業(教養)がとても面白くて文系の立場でも科学が分かるのだという強い印象を持った。そこでケプラ-の法則とかが出て来てガリレオ研究の先生の話が興味深かった。
「秋山」
それと日本史を結び付けようというのはどういう事なのですか。
「細井」
元々日本史とか日本文学に興味があったので、そちらに進もうと思っていたで、こういう事(天体、暦・・・)が日本史の研究の中でも出来ないかと考えた。
「秋山」
そこでこの分野の前任者と言うか先人と言うのはどういう状況にあったのですか。
「細井」
理系の研究者によるものはあったが、理系の研究者と言うのは文系の歴史の資料とかは十分に活用していなかった。
少数の人が暦の事を扱っていた。
「秋山」
それでは、自分が網羅的に研究し確かめてみようと思ったわけですね。
「細井」
結果的にはそうなったのであるが、最初はそこまで考えていた訳ではなかった。普通に歴史の勉強をしながら、
気になった暦とか天体現象の記録と化をメモする感じからスタ-トした。
「秋山」
「古代の天文異変と史書」を読むと大まかに続日本紀以降は歴史の記録書としてきちっとできているというニュアンスで
書いておられるがどうなんでしょうか。
「細井」
日本書紀は別だけど続日本紀以降は大体正確に描かれていると思っている。
「秋山」
そのことは一つ一つ天体記録を文書記録に当たって、整合性、正確性を確かめたという事ですね。
「細井」
そうです。政府にとって都合の悪い天変地異も書かれている。所々操作してあるものもあるけど。
「秋山」
その背景を探っていくとその時代の歴史的背景が浮かんでくるのですね。
「細井」
そうです。操作したのは何故なのか。特に操作したわけでもないのに記録にないのは何故だろうとか考えていくと、その
歴史書を作った資料がどんなものだったのかという事も分かってくる。日本の国の機関が作った続日本紀以降の資料は、天体記録から見ても歴史書と言うのは比較的信頼してもいいと思う。
「秋山」
もう一度歴史と暦との関係を基本から伺いたい。まずこれから伺う話の前提として暦には素人なので、歴史の基本形と
しての暦の基礎知識を教えてください。扱っておられるのは、自然暦・太陽暦・太陰暦・太陰太陽暦と大まかにいうとこういうものでしょうが、その中に違いがありますね。説明してください。
「細井
(自然暦)
生活をしていくうえで必要な自然の変化、これで季節、時間の経過を知る暦。
「秋山」
例えば春、草木に芽が出てきたとか、秋に葉が落ちるとかそういうものを一つの目安にするそういうものと考えたらいいのですか。
「細井」
それでいいと思う。動物を捕る時に今なら肉がうまいとか、今採ると稚魚がいなくなるので止めとこうとか。こういうことが必要になり自ずと自然に生まれてきたのだと思う。
「秋山」
太陽暦、太陰暦、大洋太陰暦も説明してください。
「細木」
古い時代から世界の中で太陽暦が使われてきた。エジプト暦、ユリウス暦、グレゴリウス暦はこの系統である。
(エジプト暦)
エジプト暦は太陽暦である。これはシリウスが出てくる時分に洪水が起きて上流から肥沃な土を運んでくる。そこでこの
時期を測る為に、シリウスが出てくる時期を測った。これが太陽の動きと関わるので太陽暦が生まれたという。
1年365日でやったが、ずれてくるので調整したようである。
「シリウスは、おおいぬ座α星、おおいぬ座で最も明るい恒星で全天21の1等星の1つ。太陽を除けば地球上から見える最も明るい恒星である。オリオン座のベテルギウス、こいぬ座のプロキオンともに、冬の大三角を形成している。」
(ユリウス暦)
太陽暦の一種。ユリウス・カエサルが採用した。365日6時間を1年。4年ごとに1日の閏を置く。
しかしこの閏が溜まって具合が悪くなってグレゴリオ暦となった。中世ヨ-ロッパはカトリックなので復活祭が重要。春分の日が余りにもずれるので、グレゴリオ暦を採用した。
(グレゴリオ暦)
ユリウス暦を改良して制定した暦法である。現行の太陽暦として世界各国で用いられている。
平年には1年を365日とするが、400年間に(100回ではなく)97回の閏年を置いてその年を366日とすることにより、400年間における1年の平均日数を、365日+97/400 = 365.2425日、とすることがグレゴリオ暦の本質である。日本では明治5年(1872年)に採用された。
(太陰暦)
月の満ち欠けの周期を基にした暦法である。29.5日を1月とする。現在もイスラム暦で使われている。長く使っていると大きなずれが生じる。農業には季節がドンドンずれて使いづらい。
(太陰太陽暦)
太陰暦と太陽暦とを折衷した暦。両者の調整のために、19年に一度の閏月を設けて平均させる。日本の旧暦、ユダヤ暦、ギリシア暦、中国暦など。月の満ち欠けと言うのは現在みたいに周りにカレンダ-が有ったりすれば問題ないが、カレンダ-が普及していない時代には、時の目印として都合が良かったと思われる.三日月、上弦、下弦、満月・・・。又漁業では潮の満ち引きにも都合が良かった。大潮、小潮、月齢・・・・。ところが太陽の1年の周期に較べると太陰暦でもあった
ようにズレが生じる。
閏月をはめ込むことで調整していた。1回/3年。1年に11日ズレるので3年に一度の調整になる。
「秋山」
今の我々から見ると不便だったろうと思うけど。
「細井」
農民には太陽暦、漁民には月が大事で月の満ち欠けが便利なので何とか調整して太陰太陽暦になった。でもそれを使う上では、どうしても閏月を入れて調整しなければならない。
「秋山」
その中で中国から入ってきた二十四節気という一念で太陽の周りを回る360度を24等分してその区切りごとに名前を
付けていくというのは、太陽と月との折り合いをつけたという事か。
「細井」
その辺でしょうね。24節気の中に12ヶ所中気と言うものがあるが、この中気の中に正月中、二月中と言う風に名前を付けて
月の満ち欠けが29日、30日の中に一回はあるので、その中で正月中気を含めばこの1カ月をお正月にすると、そういう風にやれば、中にどうしても中気を含まない1ヶ月が出てくるので、これを閏月と名付けるというのが伝統的な閏月の置き方である。
この理屈は私も最初は分からなかったので、今学生にいくら説明しても理解しないのは尤もである。何度も説明している。
「秋山」
こういう学問の基礎は独学ですか。
「細井」
そうです、天文学者に初歩的な質問を繰り返して理解した。
理系文系に関わらず必要とあらば他部門の勉強をしていかなければならない。
「秋山」
こういうことを奈良時代以前の人達が何らかの形として知識として手に入れていたという事は凄い事ですね。
次回からは歴史の方に重点を置いて言葉との関係をお話し下さい。
「コメント」
正直に言って、まだよく理解できていない。しかし、使う側にとって不都合が生じたら変えてきたのが暦という事であろう。その不都合は時代と共に変化していく。今は農業、漁業も主要産業でないので、何が一番重要なのであろうか。今でも雪形、雪占と言うのが
東北では春の農作業の目安になっているのを思い出した、自然暦だ。
秋山アナウンサ-の今出来の知ったかぶりが鼻に付く。しゃべり過ぎで、不愉快。