カルチャ-ラジオ日曜版「最後の隣人・ネアンデルタ-ル人を求めて」 講師 赤澤 威(高知工科大学大学名誉教授)
151108②翻弄されたネアンデルタ-ル人
この偶然に発見されたネアンデルタ-ル人、その後専門家の世界に留まらず一般の社会の中でも人気者になってそれ
以降様々に研究され、かつ話題になってきたがその歩みについて話す。
まず人類は700万年前、チンパンジ-の祖先と別れた後猿人・原人・旧人(ネアンデルタ-ル人に代表される)・そして
新人(ホモ・サピエンス)と姿を変えながら生き抜いてきた。その700万年の人類史、それぞれの時代に登場した旧石器
時代人であるが、その姿、形、容貌、風貌などのイメ-ジは多数ある。
「ネアンデルタ-ル人の肖像画・イメ-ジ」
このネアンデルタ-ル人の発見は1856年。それ以降今日までにネアンデルタ-ル人の化石は多く発見されている。
その様な背景があってネアンデルタ-ル人は一体何者であるかという疑問が持たれ、様々な肖像画が作られ語られて
きた。ネアンデルタ-ル人は人気のある化石人類なのである。化石を研究する専門家の世界に留まらず一般社会でも
人気者となった。
ネアンデルタ-ル人の肖像画の内、両極端と言ってもいい肖像画を紹介する。その違いの大きさに驚く。
一方の極にあるのは足で立っているがまさに獣と言った趣である。不格好な体をした私達現生人類とは無縁な生き物だったと、それを誇張するイメ-ジであり、それを強調する肖像画である。所が一方で、街角ですれ違えば声を掛け合う
私達と変わらない姿のネアンデルタ-ル人の肖像もある。これはドイツのネアンデルタ-ル博物館にあるモデルである。彼らの生活ぶりについては様々なイメージがあるが、槍を手にしているクロマニオン人と、洞窟を背にして背中を丸め
棍棒を手に立つネアンデルタ-ル人。この場合、ネアンデルタ-ル人とは私達とは違った生き物と言う趣き。
その一方でこういうイメ-ジもある。仲間の死を悼んで花を手向けて埋葬の儀式を行う私達と変わらない心の持ち主と
言う姿である。このような様々な肖像を生み出して来たのは考古学者や人類学者と呼ばれる専門家である。今から159年前、ドイツの洞窟で偶然発見されたネアンデルタ-ル人骨のその後の歩み、とりわけ様々な肖像でもって語られてきたネアンデルタ-ル人の歩みを話す。そして最後に彼らが何故様々な肖像・イメ-ジを持つに到ったかという背景を考えてみよう。
●ネアンデルタ-ル人化石の発見
1856年ドイツ デュセルドルフ近くの洞窟から動物の化石が発見された。その中に後にネアンデルタ-ル人基準標本であるタイプ標本となる人骨化石が混じっていた。これには我々現生人類とはっきり分かる違いがあった。
・顔面部は前に突出している
・頭が低く前後方向に長い
・我々にはある、頤が無い。
これはまさしく人類の骨で、しかも我々新人が登場する以前に生存していた人骨で、最終的にはネアンデルタ-ル人と
いう固有の名前で定義されることになる。 学名「ホモ・ネアンデルタ-レンシス」。その発見はダ-ウィンの「種の起源」が出版される3年前の事で、旧石器時代人の存在にまだ思い及ばない時代であった。
それがわれわれ新人の祖先「ホモ・サピエンス」が登場する以前から生存していた人の骨としてネアンデルタ-ル人という
固有の呼称で定義されるまでには様々な経緯があった。
●発見論文の発表
ネアンデルタ-ル人骨の存在を最初に世に問いかけたのはこの町の学校の先生。彼はこの化石が我々と明らかに
違った形をしていることに興味を持ったが、専門家ではないのでボン大学解剖学教授シャルル・ハウゼンに相談し間違いなく非常に古いものと言う評価を下した。そして発表した。そして化石を発表する際の最も重要なポイント、誰でも興味を持つ化石の由来について次のような面白い解釈を示した。
「ノアの洪水で溺れ死んでしまった後に洞窟に流れ込んできた人間の骨だ」と結論した。万物は神の創生物だという旧約聖書で語られる世界を多くの人が信じている当時のヨ-ロッパの世相を彷彿とさせるエピソ-ドである。
ダ-ウィンの進化論が発表された15年後ではあったが、まだ定着せず多くの人が納得するまでにはまだまだ時間が掛かるそういう時代であった。次の様な解釈もあった。今では一笑に付される事ではあるが。
・この人骨の足が湾曲していたので、この骨の持ち主は生涯を馬に乗っていた人。コサック兵が落ち延びてここで死んだのだ。
・目の上の骨が発達して隆起している(眼窩上隆起)ので、重い病気の痛みに耐えかねて何時もしかめっ面をしていたのだ。
●発見の定着
この様な化石が次々と発見され研究が進んで19世紀の終わりには「人類進化の一時期を代表する化石人類である。
旧石器時代人である。われわれ新人が登場する直前まで生活していた旧石器時代人である。」という説が定着する。
「ネアンデルタ-ル人への様々な評価」
しかしネアンデルタ-ル人の評価は定着していなかった。20世紀になっても専門の研究者の世界に留まらず一般社会を
含めた多くの人々の間で歪んだイメ-ジをもって語られて行く。そのイメ-ジは未だに残っている。その例を次に示す。
●イギリスの辞典
「ネアンデルタ-ル人とはドイツ ネアン地方の谷の洞窟で発見された旧石器時代の人類。野蛮で獰猛でそして
野蛮人・未開人の代名詞。
●日本の辞典
頑強で粗野で動きが鈍く毛深く原始的な人類。
・ハリウッド映画でネアンデルタ-ル人を主役とする映画製作があったが、主役は殺人鬼であった。
●米国の著名な古生物学者のネアンデルタ-ル人の説明。
「生活は複雑で生活環境を上手に利用する知恵を持っていたし、漫画家が描く野蛮人のイメ-ジとは違う。しかし、
私達人類に固有の特徴である創造力、ひらめきのような証拠は何一つない。」
●全身骨格の復元 フランス シャベロ-サン
1908年仏 シャベロ-サンの洞窟でネアンデルタ-ル人化石が発見された。これがその後のネアンデルタ-ル人の
イメージを決定づける。発見された保存のいい人骨で全身骨格を復元するという研究がなされた。
・まさに類猿人に似た姿であった。前かがみで膝を曲げ背中を丸めて猫背で立つネアンデルタ-ル人の姿はまるで無理やり立たされたサルという感じである。欠損している部分もあるのでこういう結果となったのであろう。
・しかし一番問題なのは先入観であり偏見である。それを最も良く表しているのが、ネアンデルタ-ル人を、現生人類の
祖先とされるクロマニオン人と比較しながら次のように断じていることである。「ネアンデルタ-ル人は筋肉質の不格好な
体をした奇妙な獣のような姿である。顔付きは心の機能を持たない獣であった。それに対して我々の祖先クロマニオン人は遥かに優雅な体つきで形の良い頭、手足で、垂直に広い額を持っている。クロマニオン人は器用さとか、芸術、宗教的な行事の先駆者で、抽象能力を有する様々な証拠を持っている。彼らはまさに知恵ある人、ホモ・サピエンスの名にふさわしい最初の人類である。」
●極めつけの復元肖像画
仏 シャベロ-サンの復元から、復元の研究が進んだ。そして極めつけは、優雅な姿で槍を持って立つクロマニオン人
と、洞窟を背に棍棒をもって立つ野卑なネアンデルタ-ル人の対決図という絵柄である。盛り上がった肩、だらんと
ぶら下がった腕、全身の毛、いかにも鈍重な異形の生き物として、私達とは無縁の絶滅した生き物になってしまった。
「評価の背景」
以上は専門の研究の影響力の大きさに気付くケースである。その時代の文化的風土がしばしば専門研究にも影響する
のである。ネアンデルタ-ル人骨は発見されるヨ-ロッパの研究者のコミュニティの文化的社会的歴史的風土に
翻弄されたのである。
●米国のネアンデルタ-ル人研究
ネアンデルタ-ル人を蔑視するのではなく、我々人類の仲間として位置づけようとする人々もいた。研究者がいつも
求められる発想の転換である。米国の研究者はヨ-ロッパとは違う風土で育った人々である。ペンシルベニア大学の
カ-ルトン・ク-ン博士。彼のネアンデルタ-ル人に対する眼差しはヨ-ロッパの研究者とは違っていた。散髪をして
ネクタイを付け帽子を被った背広姿のネアンデルタ-ル人の肖像画を登場させた。そしてこう問いかけた。「私達と
どこが違うのか。ネアンデルタ-ル人が生き返って、ニュ-ヨ-クを歩いたとしたら誰も見分けはつかないだろう」
・復元の考えの違い
それまでの研究は違いにばかり目を向けてきたが、骨格の違いばかりに気を取られ結果として両者を遠ざけて
しまっていたのだ。クーン博士は似ている部分を強調して、違いは少ないその程度の違いは我々現代人に中にもあると
主張した。
「死者を埋葬し花を手向けるネアンデルタ-ル人の発見」 コロンビア大学 ラルフ・ソエッキイ教授
1950年にネアンデルタ-ル人のイメージを一新する大きな発見があった。此れも米国の人類学者の研究であった。
舞台は中東イラク。チグリス河上流のシャリダ-ル洞窟。ここの化石人骨から沢山の花の花粉が見つかった。その分析
から「最初に花を愛でた人類。花と共に埋葬された最初の人類。シャリダ-ルのネアンデルタ-ル人」という素晴らしい
シナリオコピ-が生まれた。ノコギリソウ、スギナ、アザミ、ヤグルマソウ、ムスカリ・・・。死者を悼んで花を供えて埋葬
するネアンデルタ-ル人というシナリオを作った。
●亡くなった人に花を供えて埋葬する我々と同じ様な人類で、今までのイメ-ジを変えることに成功したと言明した。
●もう一つの発見は人骨に怪我、病気の跡が多く発見され、この人たちは介助なしでは生活出来なかったと想像されて
いる。彼らの社会では相互扶助の社会生活が営まれていたと。
●ただし花を手向け埋葬したという事にはまだ多くの議論がある。他の洞窟での調査では花粉が発見されていない
のだ。シャリダ-ルの花粉は単なる偶然であったという説も有力ではある。よってネアンデルタ-ル人が花を手向け
埋葬を行っていたという事は、今後の大きな研究テ-マであろう。
●埋葬と言うのは死に対する明確な認識が無ければならない。動物の中でこれは人間だけと考えられる。もう一つ重要
なことは人間の死を前提とする葬儀をいつ頃から始めたかという事。人類学の大きなテ-マである。
但しネアンデルタ-ル人が死者を丁寧に扱ったことは間違いない。
「まとめ」
我々現生人類はネアンデルタ-ル人の存在を抜きには考えられない。それにはどんな存在だったかを知る必要がある。
今後の様々な研究成果が俟たれる。
「コメント」
講師はネアンデルタ-ル人への思い入れが強い。この研究がライフワ-クだから。確かにネアンデルタ-ル人の
イメージは獣に近いが、花を手向けるイメ-ジも持っている。今後も色々な発見があるのだろう、楽しみな事ではある。
講師は端々にホモ・サピエンスへの遺伝的関係を示唆するが、前の講座ではクロマニオン人との混血はほぼなかったと
聞いていたが、さてどうなのか。