こころをよむ 「いま生きる武士道」                             講師 笠谷 和比古(帝塚山大学教授)

151220⑫ 武士道七則~「忠」「義」「勇」「誠心」「証拠」「礼」「女性」

今日は今まで述べてきた武士道についてまとめる。武士道とは何ぞやという事を繰り返し問うてきたが、武士道には

仏教、キリスト教、イスラム教、或いは儒教の様に教典・聖書・コ-ラン・四書五経の様な纏まった教義があるわけでは

ない。甲陽軍鑑が最初に武士道を語った本として重要で武士の教科書として広く読まれたことは事実であるが、ここに

書かれている武士道だけが武士道ではない。寧ろその後の200年に亘る江戸時代の持続的平和の中で、武士道が様々に変異をしてその内容も多種多様となった。武士自身をはじめ、その周囲の人々が武士道をどう捉えたかという事を見た場合、いくつかの武士道の本質的な問題が見えてくる。様々な武士道観を通じながら、その間に見られる特徴的なもの、そして武士道を他の教義と区別するその特色を挙げるならば次の七つ程の原理原則、観点というものが見られる。

「武士道七則」  忠・義・勇・誠心・証拠・礼・女性

・忠 義 勇

 この三徳はどの武士道書でも重視すべき徳目としている。これが武士道の核心的部分である。

●忠  諫言あるべし

 武士の発生の時代から主君に対する忠義、忠誠というものは武士にとって最も重要な徳目であるという事は不変で

 ある。

しかし忠義という事の意味内容であるが、それは黙って主君の命令に従い、唯々諾々と主君に付き従う事ではない。あくまで武士という個々の自分を保ち、自分の見解・意見を持った上での主君に対する服従である。主君の命令がおかしいと思った場合には、それに対して諫言することが真の忠義であると考えていた。何事にも唯々諾々と上に従うのは忠誠の様に見えるが、それは媚び諂いとし、自己保身の卑怯な振る舞いとした。「葉隠」はこの事を強調している。

忠に関しては忠孝という事が言われるが、これは儒教の考え方である。武士道においても孝は大事とするが、強調されない。此れには孝は忠に含まれるという考えである。忠義忠誠を尽くすことは自己の所領の安堵をというものが主君から行われ、これが家の存続繁栄に繋がり即ち孝行となると言う考え方である。これが当時の武士の一般的な道徳観念であった。儒教道徳では孝を第一とする。 

 忠義は主君にベクトルが向いているが、義はもっと一般的で社会全体に対している。徳川時代200年の平穏な時代

 には、武士は官僚となって治国安心が行動の原理となっていく。義とは公共的なものになっていく。この中で重要なこととして約束を守る、信義という事がある。武士道の武士道たる所以と問われた時、かっては戦場における槍働きの勇猛さが武士のメルクマ-ルであったが、平和な時の武士道の有様を見た場合、信義信用を重んじ約束を実行することに命を懸けた。ここに武士として生きる正義の最重要課題とした。「金打(きんちょう)」 約束をする時の刀を打ち鳴らす習慣、刀に

 懸けて約束を守るという所作習慣が拡がることで、武士はどんなことがあっても約束を守るものであるという存在と

 なった。「武士に二言なし」

 ●

  武力による勇気ではなくてむしろ生き方における勇気である。大勢に又体制に逆らっても大義のために敢えて行動

  する勇気を指す。例えば主君の不興を蒙ることを覚悟しての諫言。危険、不利益を顧みず職責、正義を全うする勇気

  である。  大勢順応を良しとせず。

 ●誠心

  何を為すべきか、何を為さざるべきかを正しく判断する心。一点の曇りもない清らかな心。清らかで真の心は人間が

  本来持っているもの。これを不断の修養・鍛錬によって持ち続けること。忠義・義・勇などの行動を起こす力を意地と

  いう言葉で表す。意地のない人というのは、状況判断、是非の判断は出来るが、結局周囲の状況に流されてしまう

  人。利益のある方に付く。「風見鶏」「右顧左眄」としてあるまじきこととした。更に自分の行動の誤りに気付いた時の

  感情を恥という。世間に対してではなく、自分の心に照らして恥じるのである。

「世間に対する恥よりも自分の心への恥を恥じよ」

 ●証拠

  武士道の精神・規範を特徴づける重要なメルクマ-ルであるので敢えて挙げた。世界の多くの教義には教典という

  のがある。教典に照らして正邪は判断される。しかし武士道には教典はないが、全ての判断は事実に基づいて、証拠

  によって為されるべきとしている。現実直視というのを武士道は重視している。これはカリスマ指導者が独断で判断

  することを排除しようとしているのだ。又事実に基づかない楽観的、恣意的判断を戒めている。

   具体的に幕末の尊王攘夷の例を見てみよう。

  (尊王攘夷)

    欧米列強が世界を制覇し次々と植民地化していく。欧米列強の力を目の当たりにした場合、どの様に対処するのかと

いう事を考えた場合、儒教的世界観からすると「内は中華であり、外は()(てき)」。どんなに強くとも野蛮人である、いずれ

中華の文明の前に屈する者であるとする。根拠のない信念でこれを排除し無視しようとする。日本の場合「尊王攘夷」

いう考え方があったが、日本の場合は中国、朝鮮とは内容的に大分違う。

攘夷派は頑迷固陋で現実を知らない後ろ向きであるというイメ-ジが今もまかり通っているが真実は違う。

夷荻であっても強い者は強いし、良いものは良い、学ぶほかはないとする。日本の攘夷派は先進技術に対する興味

強く、儒教をベースにした中国・朝鮮の攘夷論とは完全に違う所。これは何故か。武士道の現実直視である。

例えば攘夷派であった長州藩の井上聞多、伊藤博文が攘夷論盛んな文久3年(1863年)藩の承諾を得て海外事情

視察にイギリスへ渡航している。この様な事が日本が植民地にならずに、いち早く近代化に成功した要因の一つで

ある。

礼儀

 襦教において礼は大事である。勿論武士道における例は儒教から学んだものである。日本に於いても今に至るまで

礼儀作法というのは重んじられてきたが、武士道の中で一層鍛え上げられたのである。この礼というのは武士道書

おいてしばしば取り上げられているが、「甲陽軍鑑」の中にいくつかの興味深い部分がある。良く味読する必要が

ある。

「相手が口も利きたくない嫌な奴でも礼儀は守らなければならない。嫌な奴と余儀なく同座する場合でも然るべき

礼儀を守るべきである。相手が農民、町民であっても同様である。」

  ●女性

    女性の尊重という事は武士道を特徴づける大きな事である。儒教世界ではこうはいかない。前にも述べたが

    江戸時代の女性の自由度は高く、寧ろ明治時代に西欧の家父長的家族制度が影響して女性を家庭内に閉じ込

    める風潮になった。

   これら武士道七則が武士道を覆いつくしている訳ではないが、注目すべき特徴だと思える。

 

  「コメント」

  女性尊重が武士道の特徴とはとても思えないが、講師の言う様に明治時代よりは江戸時代は自由であったことは

  事実である。そもそも武士道と声高に言われるのは、武士の道徳が廃れ所謂「武士道の徳目」が実行されなく

  なったせいであろう。故に「赤穂浪士」の事などはその中で稀有な事として、人々が賞賛したのである。どうも講師は

「花は桜木 人は武士」が強すぎる。