科学と人間「太陽系外の惑星を探す」 井田 茂(東京工業大学 ELSI副所長・教授)
160812⑥「ホット・ジュピタ-の発見」
「系外惑星発見までの情況」 1995年10月まで
前回話したように1990年代までは系外惑星は、なかなか見つからないか、もしくは無いのではないかという事が言われた時代であった。そうなると太陽系を説明するモデルは出来ていたが、それをも疑うようになった。何か今まで考えられてきた、言われてきた事は違うのではとの雰囲気。木星みたいな巨大惑星は見つからなかったが、地球型惑星は存在するかもしれない。しかし現在の技術では見つけようがないとも。
我々の太陽系が特殊なのでは。木星の存在が特殊で、これが宇宙空間よりの小惑星の衝突を防いでいるとも。故に太陽系の存在自体が奇跡である。又系外惑星は出来るが、出来てすぐ中心星に落下してしまうのだとも。
いずれも生産的な議論でも雰囲気でもなかった。
「系外惑星の発見」 栄光のペガスス座51番星→学会挙げての大騒ぎのスタ-ト
こういう雰囲気が一変したのは1995年10月。当時講師はカリフォルニア大サンタクル-ズ校にいた。この時「スイスのチ-ム、より、木星みたいな巨大惑星が中心星のすぐ傍を4日で回っているとかいう馬鹿げた発表があった」との
ニュース。関係者の見解は、「そんな常識はずれな事は有り得ない」との反応。しかし、一部の研究者はこれを確認して、「この惑星は本物」と追試を続々発表し、大騒ぎになった。
・何故すぐ追試が出来たのか
発見された惑星は当時の観測技術で十分にクリヤ-出来る、シグナルを出していた。
・何故それまで発見できなかったのか
殆どの天文学者はそんな所(中心星の傍)に惑星があるとは思ってもいなかった。今までの埋もれていたデ-タを解析
し見直すと続々と見つかってきた。太陽系の知識しかないので、巨大惑星は中心星から遠い数十年周期で回っている
と思い込んでいたのだ。
・何故スイスチ-ムは見つけられたか。
惑星探査の専門家でなかったから。むしろ太陽系・惑星の今まで常識を持っていなかった。よく異分野からの参入が
重要と言うが、まさにこの事であった。専門家はその中の事には詳しいが、既成概念から逃れられない。
いわば狭い蛸壺の中での議論になりがちである。
「系外惑星発見以降」
太陽系とは全く違う、ホットジュピタ-・エキセントリックジュピタ-が次々と見つかってきた。この事で今までの理論が
ひっくり返ってしまった。今までは太陽系みたいな惑星の存在を予想していたが、見つかったのは全く違うものであった。
中心星の傍を回っているホットジュピタ-の様なものは、発見しやすいのである。そうすると太陽系と違うものの方が多いではないか、寧ろ太陽系みたいなものは無いのではないかとさえ言われ始めた。
しかし注意しなければいけないのは見つけやすいものが見つかるという事。
・ホットジュピタ- 以下の条件
中心星から近い軌道を公転している。(1/10天文単位以下)
高速かつ非常に短い周期で公転している。(数日)
木星級のサイズの巨大ガス惑星
・エキセントリックジュピタ-
系外惑星で軌道離心率の大きな惑星。中心星を円軌道でなく、楕円で変則的に公転をする。
・今までの理論への懐疑
発見によってこれまでの理論は全く通用しなくなり、研究者は大騒ぎになっていく。しかし研究者にとっては、今までの
知識・経験を生かして新しいモデルを作る楽しい時代でもある。
・過去のモデルの見直し
今までの常識から、顧みられなかった理論が生き返って来る事が起きてくる。今までは太陽系理論とは矛盾するとして
否定されてきた理論が再認識される。
<例>
「太陽系は安定なのか」 伝統的な問題
今までは数百億年は安定としてきたが、果たしてそうなのか。議論の復活。
「惑星落下現象」
カリフォルニア大の同僚教授 ダグラス・リンの唱えた説で、「巨大ガス惑星は太陽系と同じように外側の領域で形成
されるが、落下現象によって、内側に移動する」という。今までは太陽系の理論と辻褄が合わないという事で無視
されてきたが、系外惑星の存在を説明する有力な説として蘇ってきている。
「日本の情況」
系外惑星発見で大騒ぎのアメリカから、1997年帰国して見ると、日本はシ-ンとしている。天文学発祥の地の
イギリスも同じ。騒いでいるがどうせ、ガセネタだろうという雰囲気。国民性もあるだろうが、ハヤリモノには飛びつか
ない。慎重で浮ついていないのはいいが、本当に変化する時には新しい潮流から取り残されてしまう恐れがある。
特に現代の様に、変化の激しい時には注意すべきであろう。
「コメント」
相変わらず理屈は難しいが、新しい発見はワクワクする。面白い話ではあった。又研究者の国民性の比較も
面白い。基礎理論には興味をもって大いに研究するが、その応用・利用に弱い日本をどこか表している。
又他分野の人が新しい扉を開いたのには拍手。