日曜カルチャ-「正倉院ものがたり~正倉院展はこうして誕生した」     

                                       帝塚山大学文学部教授 西山 厚

 

171015③「正倉院宝物の誕生

「正倉院宝物」

756年(天平勝宝8年)、光明皇后は聖武天皇の77忌に天皇の遺品、薬物などを大仏に寄進。その後も自分のものや文化財を献納。献納品目録も五巻あり、「国家珍宝帖」など。この様な処置がとられなかったならば、同時代の文化財、海外の美術品等は現在まで残らなかったであろう。

 (正倉院の倉)

・北倉   聖武天皇・光明皇后ゆかりの品

・中倉   東大寺儀式関係の科

・南倉   東大寺の什器

(代表的宝物)

・国家珍宝帖

 光明皇后が聖武天皇の冥福を祈り大仏に捧げた遺愛の品々の目録である。巻頭と巻末に皇后の

 聖武天皇を偲ぶ言葉が記されている。

●歴史の中で天皇の遺品をまとめて献納したのは光明皇后だけであり、思いの深さが偲ばれる。

●雑集 

聖武天皇唯一の真跡として残る。内容は六朝時代から隋唐にかけての仏教の詩文を写したもの。

光明皇后のものもある。

●赤漆文欟木御厨子(せきしつぶんかんぼくのおんずし)

  漆塗りの物入れ。宝物の中で最も由緒があり、天武天皇遺愛の品とされる。天武→持統→文武→

  元明→元正→聖武→孝謙と引き継がれ、東大寺に献納された。

●鳥毛立女屏風(とりげりつじょのびょうぶ)

  唐風の女性が描かれた六枚の屏風。聖武天皇遺愛の品である。

●黒作懸佩刀(くろづくりかけはぎのたち)

 黒漆で装飾した刀。草壁皇子(天武持統の長男で早世)→文武天皇(草壁皇子の遺児)→聖武天皇

 (文武天皇の子)と渡され、男子の皇位継承の象徴となる。その都度、藤原不比等が受け渡しの役を

 務めた。目録には掲載されているが、現在 所在不明。

●蘭奢侍(らんじゃたい)

 中国から渡来した香木。足利義満、織田信長、明治天皇らが一部切り取ったと言われる。

●七条織成樹皮色袈裟(しちじょうしょくせいじゅひしょくのけさ)

  聖武天皇愛用の袈裟。最近、復元製作され話題になった。

(光明皇后)

聖武天皇の皇后。藤原不比等と県犬養三千代の子。皇族以外での初めての皇后。藤原氏の娘が

皇后となる端緒。

正倉院への聖武天皇遺愛品及び自らの宝物を納めた。また父藤原不比等の菩提を弔うために、

不比等私邸を法華寺(尼寺)とした。悲田院、施薬院等の創設など福祉にも貢献した。

阿部内親王(孝謙女帝、称徳女帝)、夭折した基王の母。通称、光明子又は藤三娘(とうさんじょう)

書を良くした。母 県犬養三千代の冥福を祈る為、藤原氏の氏寺 興福寺西金堂に釈迦三尊を始めとして阿修羅を含む数々の仏像を献納したのは有名である。

 「コメント」 

奈良時代の高校の歴史のおさらいの様な講義。目新しい話をしてほしいけれど仕方ないか。