240601⑨「若紫の巻」2     

今回は若紫の巻の後半である。北山で瘧病(わらわやみ)の治療をしていた光源氏は一人の少女を見た。少女は藤壺と生き写しであった。藤壺から見て兄の娘、つまり姪に当たるのが紫の上である。前回は雀が逃げた所まで読んだ。それでは次の場面を読む。

朗読① 少女の様子と、祖母の尼君との会話。

尼君、「いで、あな幼や。言ふかひなうものしたまふかな。おのがかく今日明日におぼゆる命をば何とも思したらで、雀慕ひたまふほどよ。罪得ることとぞと常に聞こゆるを、心憂く」とて、「こちや」と言へばついゐたり。

つらつきいとらうたげにて、眉のわたりうちけぶり、いはけなくかいやりたる額つき、(かむ)ざしいみじううつくし。ねびゆかむさまゆかしき人かな、と目とまりたまふ。さるは、限りなう心を尽くしきこゆる人にいとよう似たてまつれるがまもらるるなりけり、と思ふにも涙ぞ落つる

 解説

尼君、「いで、あな幼や。言ふかひなうものしたまふかな。

40才を越えた尼君が10才ばかりの少女に語り掛けている。この二人は祖母と孫である。尼君は少女の幼さを嘆いている。「ああ、あなたは何という幼さでしょう。いくつになっても子供っぽいままなのですね。

おのがかく今日明日におぼゆる命をば何とも思したらで、雀慕ひたまふほどよ。罪得ることとぞと常に聞こゆるを、心憂く」

おの は、一人称である。

この私は今日か明日にも命が尽きてお迎えが来るのかも知れないのですよ。そういう私の事を少しも心配しないで、いなくなった雀の方が大切なのですね。生き物を閉じ込めて飼うのはお経でも、罪深い事だとされていますと何度も諭してきたではありませんか。私の諫めを聞きもしないとは、本当に情けないことです。「湖月抄」は生き物を苦しめる罪深さを説いたお経を二つほど挙げている。本居宣長は尼君の心を思いやる。尼君は紫の上の年齢を悲しんでいるのではなく、その幼稚な心を悲しんでいるのだという。

「こちや」と言へばついゐたり。

尼君が、こちらに来てお座りなさいと言うと、それまで立っていた少女が素直に膝をついて座った。

眉のわたりうちけぶり

少女の眉のあたりが匂やかで華やかで美しいというニュアンスである。

(かむ)ざし は、髪の毛に挿すアクセサリ-ではなく、頭の形、髪の毛の生え方という意味だと本居宣長は言っている。光る君がその顔を良く見ると、顔つきはほんのりと赤みを帯びていじらしく、眉の辺りも大らかである

手入れをしない髪が額に掛かっている。しどけない様子も、またその髪自体の有様などまことに可愛らしい。

ねびゆかむさまゆかしき人かな、と目とまりたまふ。

垣間見(かいまみ)をしている光源氏が、心の中で思ったことである。ねびゆく は、成長するという意味である。この少女が大人になったならば、どんなに美しくなることだろう。その様子を見届けたいものだと、光源氏の目は少女にばかり向けられている。

さるは、限りなう心を尽くしきこゆる人にいとよう似たてまつれるがまもらるるなりけり、と思ふにも涙ぞ落つる。

さるは、という言葉は原因や理由を説明する時に用いる。ここまで、光る君がこの少女から目をそらすことが出来ないのには理由があった。慕っている藤壺とこの少女は、とても良く似ているのである。だから私の目が吸い寄せられてしまうので、目から涙がこぼれ落ちてしまうのだ。この少女は藤壺の兄・兵部卿の宮の娘である。

藤壺と紫の上は叔母と姪の関係である。似ているのも当然である。「源氏物語」で愛好される ゆかり という手法である。この手法が最初に用いられるのは、桐壷の巻である。桐壺帝は亡き桐壺の更衣と藤壺がそっくりだと聞いて、藤壺を入内させた。但し桐壺の更衣と藤壺には血縁関係はなく、他人の空似であった。藤壺と紫の上は叔母と姪の関係なので本物の ゆかり である。但し藤壺と紫の上の ゆかり を意識しているのは光源氏だけである。紫の上は光源氏と藤壺の関係を全く知らされていないし、知らないままで一生を終える。

さて光源氏が北山で見初めた少女の母は、按察使(あぜち)大納言の娘であったが、すでに亡くなっている。父親である兵部卿の宮の北の方はなさぬ仲であり、紫の上に冷淡であった。光源氏はいっそ紫の上を自分が引き取り、理想的な女性に育てたいと思う

 

そういう時、藤壺が宮中から退出した。光源氏は彼女の部屋に侵入し、ここに過ちが起きたのである。もののまぎれ と呼ばれる。この密通は「源氏物語」のストーリ-展開に関わる大変重要な場面である。

朗読② 藤壺、体調不良で宮中を退出。源氏と逢う。

藤壺の宮なやみたまふことありて、まかでたまへり。上のおぼつかながり嘆きこえたまふ御気色(けしき)も、いといとほしう見たてまつりながら、かかるをりだにと心もあくがれまどひて、いづくにもいづくにもまうでたまはず、内裏(うち)にても里にても、昼はつくづくとながめ暮らして、暮るれば王命婦(おうみょうぶ)を責め歩きたまふ。いかがたばかりけむ、いとわりなくて見たてまつるほどさへ、(うつつ)とはおぼえぬぞわびしきや。宮もあさましかりしを思し出づるだに、世とともの御もの思ひなるを、さてだにやみなむと深う思したるに、いと心憂くて、いみじき御気色(みけしき)なるものから、なつかしうらうたげに、さりとてうちとけず心深う恥づかしげなる御もてなしなどのなほ人に似せさせたまはぬを、などかなのめなることだにうちまじりたまはざりけむと、つらうさへぞ思さるる

 解説

藤壺の宮なやみたまふことありて、まかでたまへり。

「湖月抄」は三月か四月の頃と言っている。光源氏が北山に行ったのが、三月の下旬だったのでそれからすぐである。藤壺の女御は体調が優れず、宮中から自宅である三条の宮に退出なさる。

上のおぼつかながり嘆きこえたまふ御気色(けしき)も、いといとほしう見たてまつりながら

 は、桐壺帝。桐壺帝は藤壺の体を心配され、心を痛めておられる。そのご様子を拝見するにつけ、光る君は桐壺帝に対して御いたわしいと思う。

かかるをりだにと心もあくがれまどひて、

光源氏の心である。父・帝を思いやる一方で、光る君は殆藤壺と宮中で逢うことは難しいので、せめて自宅に下がったこの機会にでも会いたいと思う。光る君の心は理性や分別を失っていた。

いづくにもいづくにもまうでたまはず、内裏(うち)にても里にても、昼はつくづくとながめ暮らして、暮るれば王命婦(おうみょうぶ)を責め歩きたまふ。

王命婦(おうみょうぶ) の 王 は、彼女が皇族出身である事を示している。光る君は外出を一切しなくなり、宮中の桐壺にいても自宅の二条院にいても、昼間の明るい内はぼんやりと物思いに耽っている。そして夜になると、藤壺に仕えている王命婦(おうみょうぶ) に、何とかして藤壺に合わせて欲しいと矢の催促である。王命婦(おうみょうぶ) は、皇族の出身であり、先代の天皇の四宮である藤壺から厚く信頼されている女房である。

いかがたばかりけむ、いとわりなくて見たてまつるほどさへ、(うつつ)とはおぼえぬぞわびしきや

ここは 草子地 つまり語り手のコメントである。この 王命婦 は光る君の熱意にほだされたのであろう。

密会の手引きをしてしまった。彼女がどういう計略を用いたのかよく分からない。とにかく光る君を藤壺の寝所に導き入れることに成功した。語り手は途中の段取りを省略して、いきなり光源氏と藤壺を逢わせる。光る君は無理に無理を重ねた上に、無論藤壺の承諾もなく彼女にあったが、これが現実なのかどうかも分からない。熱に浮かされているような、自分の精神状態が何とも嘆かわしく感じられる。

宮もあさましかりしを思し出づるだに、世とともの御もの思ひなるを、さてだにやみなむと深う思したるに、いと心憂くて、

沢山の情報が詰まった文章である。

あさましかりし  し は、過去の助動詞だから、この二人が密会するのは今度が二度目で、これ以前に結ばれていたことが分かる。一方光る君から接近された藤壺も愕然とする。かつて自分が光る君と一夜限りの逢瀬を持つという、信じられない出来事があり、今でもそのことが現実に起きたかどうかもよく分からないまま、一生苦しみ続けなければならない物思いの種となっている。もう二度と光る君とは会わないでいようと決心していたのに、二度目の逢瀬を持つことに直面し辛くてたまらない。なお「湖月抄」は天皇の后が、臣下それも天皇の親族と密通するという、あってはならない出来事の前例を二つほど挙げている。

いみじき御気色(みけしき)なるものから、なつかしうらうたげに、さりとてうちとけず心深う恥づかしげなる御もてなしなどのなほ人に似せさせたまはぬを、

光源氏の目に映った藤壺の様子である。訳しておく。

藤壺は光る君との二度目の逢瀬をとても悲しいと身に滲みて感じている様子は、光る君にもはっきりと伝わっている。所が悲しい思う一方で藤壺は、光る君に対しては心の底では毛嫌いしていない。男の気持ちを引き付ける魅力があり可愛いと思わせる。そうかといって男に全てを許すことはなく慎み深く、男が女に対して尊敬の念をいだき続けざるを得ない。そういう振舞いを藤壺はする。光る君はやはり藤壺は他の女性とは全く比べ物にならない程素晴らしいと感動する。

などかなのめなることだにうちまじりたまはざりけむと、つらうさへぞ思さるる。

なのめ は、普通とか平凡という意味である。光る君は、藤壺はどうして女性としての欠点が何一つとしてないのだろう。女性として普通である点すらも、全く見当たらない。少しでも良くない点や、普通の女性と同じである点があるのならば、それで藤壺への愛情を諦められるかもしれないと思うが、完全無欠な藤壺の振舞いを目の前にすると、彼女への愛情が一層まさる。藤壺の余りの素晴らしさに光る君は恨めしいとまで感じる。

本居宣長は藤壺があまりにも完璧なので、本来は嬉しいはずなのだが、密通という手段でしか逢えないので、光源氏には却って恨めしいのであると解説している。

 

それでは もののまぎれ の続きを読む。

朗読③

何ごとをかは聞こえつくしたまはむ、くらぶの山に宿もとらまほしげなれど、あやにくなる短夜(みじかよ)にて、あさましうなかなかなり。

  見てもまた あふよまれなる 夢の(うち)に やがてまぎるる わが身ともがな

とむせかへりたまふさまも、さすがにいみじければ、

  世がたりに 人や伝へん たぐひなく うき身を醒めぬ 夢ににしても

思し乱れたるさまも、いとことわりにかたじけなし。命婦の君ぞ、御直衣(なほし)などはかき集めもて来たる。

 解説 二人の悔恨の状況

愛の絶唱が二首詠まれている。「湖月抄」に基づいて解釈する。

何ごとをかは聞こえつくしたまはむ、

これは草子地、語り手のコメントである。二人は短い逢瀬を一言の言葉もなしに終えた。

二人の心はどんな言葉にも表せないし、実際に二人の口から一つの言葉も漏れなかった。

くらぶの山に宿もとらまほしげなれど、あやにくなる短夜(みじかよ)にて、あさましうなかなかなり。

くらぶの山 は、暗いという言葉と重なるのでここで使われている。今は三月か四月なので夜は短い。

なかなかなり 藤壺と逢ったのは嬉しいが、もう会えないかもしれないので、却って辛さが募ったというニュアンスである。ただ短い夜はすぐ明けて明るくなってしまうのが光る君には辛く思われてならない。

名前に暗いという言葉を含んでいる くらぶの山 に宿を取れば、いつまでも夜のままでいられるのではないかと思ったりもする。この くらぶの山 は鞍馬山ともくろうの山とも発音するのだという説もある。古今和歌集には次の歌がある。

  秋の夜の 月のひかりし あかければ くらぶの山も 越えぬべらなり 在原元方

けれども意地悪な短夜(みじかよ)はあっという間に明けて別れの朝となった。光る君は恋しい藤壺と逢った為に、別れの辛さが増大して会った甲斐もないことである。光る君は今の気持ちを歌に託した。

  見てもまた あふよまれなる 夢の(うち)に やがてまぎるる わが身ともがな 源氏

今夜私達は奇跡的な逢瀬を持ちました。けれども次にいつお会いできるかどうかは分からない。もう会えないかもしれない。逢っている間もこれが現実とは思えず、夢を見ているような気持だったが、その夢を見ている状態で私の命が絶えてしまったならばどんなによいでしょうか。

これが「湖月抄」の解釈であるが、本居宣長はこの歌の表現技巧を指摘している。二人が逢う夜が稀であることと、藤壺と逢いたいという光源氏の夢が合うことが稀であることを掛けているという。夢の内容が実現することを会うというので、夢と逢うは縁語である。藤壺と会いたいという光源氏の夢が合う、合致することが稀であることを掛けているというのである。本居宣長の解釈では、光源氏は夢中になって我を忘れているのではなく、美しい歌を詠もうという余裕があったことになる。

とむせかへりたまふさまも、さすがにいみじければ、

むせん でいるのは光源氏である。それは いみじ 胸が締め付けられると見守っているのが藤壺である。「湖月抄」は さすがに という言葉に注意して読むようにアドバイスしている。こう詠いながらむせび泣いている光る君の有様を、藤壺は複雑な気持ちで見ている。もう二度と逢ってはならないと強く決心していたのに、二度目の逢瀬を持ってしまったことを悔やんでおり、無謀ともいえる光る君の侵入を迷惑に思っている。けれども目の前で泣いている光る君の姿を見ていると、流石にいじらしいという気持ちがこみあげてくる。そういう気持ちを歌に詠んだ。

  世がたりに 人や伝へん たぐひなく うき身を醒めぬ 夢ににしても 藤壺

あなたは夢を見ている状態で死にたいと仰る。あなた以上に私は死んでしまいたいのです。けれどもそうなったとしても、世間の人々はあなたと私の恋物語を面白おかしく長く語り伝える事でしょう。私たちの罪を消してしまう事なぞ出来はしない。

本居宣長は普通の夢ならば、さめた人は現実に戻っていくものだが、夢の中で死んでしまえば現実世界に戻ってこられないと解説している。

思し乱れたるさまも、いとことわりにかたじけなし。

思し乱れたる の主語は藤壺。かたじけなし と思うのは光源氏。藤壺がこのように思い乱れている姿は、誠に尤もであり、その原因を作った自分の行動は申し訳ない事だと思う。

「湖月抄」の解釈を示す。

心乱れる光る君は藤壺の部屋に入る際に脱ぎ捨てている直衣などを、自分で取り纏めることも出来ない。呆然としたままなので、手引きをした 王命婦(おうみょうぶ) が衣類を手に抱えて持参して光る君に着せる。なお 王命婦(おうみょうぶ) の計略で光る君が女装して、藤壺に接近したという言い伝えもある。この場合には退出する際に、男の着物に着替えたことになる。

本居宣長は光源氏が女装して入り込んだという説は良くないと述べている。これが光源氏と藤壺との 物のまぎれ 不義密通である。物語は秘密を最重要な隠し味としている。愛し合う二人の当事者以外は誰も知らないはずの秘密を、作者、語り手と読者が共有しているという満足感が 物語を成功に導くのである。

読者は秘密を共有することで、密通・もののまぎれ の目撃者にして共犯者となる。二人の逢瀬を手引きし、一部始終を目撃した 王命婦(おうみょうぶ) の立場に立つのである。

なお本居宣長はこの もののまぎれ の場面を本歌取りした藤原定家の歌を二首紹介している。

  今宵だに くらぶのやまに 宿もがな 暁知らぬ 夢や醒めぬと

  宿りせぬ くらぶの山を 恨みつつ はかまの春の 夢枕ゆ

どちらも くらぶの山  夢 という言葉を用いている。

この後、藤壺の懐妊が明らかになる。光源氏の子供である。二人は自分たちの犯した罪の大きさに恐れおののくのである。

 

一方光源氏は紫の上にも執着している。紫の上の祖母の尼君は死去した。父である兵部卿の宮は紫の上を自宅に迎え取って、意地悪な北の方に世話をさせようと考えていた。光源氏はその先手を打って紫の上を盗み出し、彼女を二条院に連れてきた。光源氏は紫の上を理想の妻にしようと教育を始める。

朗読③ 光源氏が紫の上に手習いなど教える場面

君はニ三日内裏(うち)へも参りたまはで、この人をなつけ語らひきこえたまふ。やがて本にもと思すにや、手習、絵などさまざまにかきつつ見せたてまつりたまふ。いみじうをかしげにかき集めたまへり。「武蔵のといへばかこたれぬ」と紫の紙に書いたまへる、墨つきのいとことなるを取りて見ゐたまへり。少し小さくて

  ねは見ねど あはれとぞ思ふ 武蔵野の 露わけわぶる 草のゆかりを 源氏

とあり。「いで君も書いたまへ」とあれば、「まだようは書かず」とて、見上げたまへるが何心なくうつくしげなれば、うちほほ笑みて、「よからねど、むげに書かぬこそわろけれ。教へきこえむかし」とのたまへば、うちそばみて書いたまふ手つき、筆とりたまへるさまの幼げなるも、らうたうのみおぼゆれば、心ながら妖しと思す。

「書きそこなひつ」と恥じて隠したまふをしいて見たまへば、

  かこつべき ゆゑを知らねば おぼつかな いかなる草の ゆかりなるらん 紫の上

と、いと若けれど、()ひ先見えてふくよかに書いたまへり。故尼君のにぞ似たりける。いまめかしき手本習はば、いとよう書いたまひてむと見たまふ。(ひひな)など、わざと()ども作りつづけて、もろともに遊びつつ、こよなき物思ひの紛らはしなり。

 解説 手元に引き取った紫の上を教育する場面

君はニ三日内裏(うち)へも参りたまはで、この人をなつけ語らひきこえたまふ

光る君は紫の上を二条院に連れて来てから、ニ三日は宮中にも参内しない。少女には二条院での光る君との暮らしに少しでも早く馴染んで貰おうと考え、何かと話しかけたりしてお相手をする。

やがて本にもと思すにや、手習、絵などさまざまにかきつつ見せたてまつりたまふ。

本 は、お手本・教科書という意味である。光る君は紫の上に見せた後は、そのまま習字やお絵描きの手本に使ってもらおうとの考えなのだろうか、彼女の目の前であれやこれや習字の文字を書いたり、画を描いたりして見せてあげる。

いみじうをかしげにかき集めたまへり。

いずれも見事な筆跡であり、描きぶりであった。

「武蔵のといへばかこたれぬ」と紫の紙に書いたまへる、墨つきのいとことなるを取りて見ゐたまへり。

光源氏は紫の上の習字の手本の為に書いた古い歌の中に、武蔵野の歌があった。紫の上は光る君が紫色の紙に書いた文字を手に取って見ている。墨の附き具合が素晴らしい。そこには次の古今集の古歌が記されている。

  知らねども 武蔵野といへば かこたれぬ よしやさこそは 紫のゆゑ

遠い東にあるという武蔵野には実際に行ったことはないが、武蔵野と聞いただけで溜息が出てしまう。武蔵野には紫という草が生えているという。また 紫のゆかり という言葉もあり、紫の ひとごと故に武蔵野の草の全てがあはれに思える という意味である。この古い歌を紫色の紙に書いたとき、光る君は藤壺のゆかり・血縁・姪が紫の上だという事を考えていただろう。

少し小さくて

  ねは見ねど あはれとぞ思ふ 武蔵野の 露わけわぶる 草のゆかりを とあり。

お手本とすべき歌の横には、光る君自身の歌が小さな文字で書き添えてあった。歌の ねは見ねど  ね は、 草の根と、共寝するの掛け言葉である。高貴な紫色の染料になる紫の根っこを見たことはなく、また幼い紫の上と共に寝たことはないが、私が会いたくて会えないでいる藤壺の ゆかり だと思うと、紫の上の事がしみじみと愛おしくなるのである。無論藤壺という女性の存在を紫の上は知らない。紫の上にはこの歌は全く意味がつかめないものだったろう。

「いで君も書いたまへ」とあれば、「まだようは書かず」とて、見上げたまへるが何心なくうつくしげなれば、うちほほ笑みて、「よからねど、むげに書かぬこそわろけれ。教へきこえむかし」とのたまへば、うちそばみて書いたまふ手つき、筆とりたまへるさまの幼げなるも、らうたうのみおぼゆれば、心ながら妖しと思す。

二人の楽しい会話を訳す。

この歌を見ている紫の上に光る君は「さああなたも文字を書いて御覧なさい。この歌への返しを書いて下さい。」と催促される。紫の上はまだ文字を上手に書くことは出来ませんと言いながら、上目遣いに光る君をご覧になる。それがいかにも無邪気で可愛らしいので光る君も思わずにっこりと笑ってしまう。そして「字が御上手でないからと言って、文字を書こうとしないのは良くありません。何事も最初はうまくいかなくても、繰り返しお稽古することで少しずつ上達していくものです。習字もお絵描き、その他の習い事も全くそうですよ。私が少しずつ教えてあげますからと書くことの大切さを諭される。紫の上は自分が上手でない文字を見せるのが恥ずかしいので、光る君の顔を見ないように横を向いて文字を書く。その手つきや筆の持ち方などがいかにも初々しい。光る君は何故だかは分からないが、無性にこの少女が愛おしいという思いが心の底から湧いてくるので、我が心ながら不思議な事だと思う。紫の上が登場する場面は、光源氏ならずとも読者もほほえましいので思わず微笑んでいよう。

「書きそこなひつ」と恥じて隠したまふをしいて見たまへば、

紫の上は書き損なってしまいましたと言って、自分の書いたばかりの文字を隠そうとする。それを光源氏が見る。

 かこつべき ゆゑを知らねば おぼつかな いかなる草の ゆかりなるらん 紫の上の歌

「武蔵のといへばかこたれぬ」とありますが、あなたは何に対してご不満を囲っているのでしょうか。私にはその理由が分からないので、私がどなたの 紫のゆかり であるのか見当もつきませんという。

光源氏は藤壺の ゆかり として紫の上を見ているが、紫の上の側は何故光源氏が自分を可愛がってくれるのか、その理由が分からないのである。

と、いと若けれど、()ひ先見えてふくよかに書いたまへり。

まだ幼い筆跡ではあるものの、将来必ずや達筆になるだろうと予感させる文字使いで、ふっくらと書いてあった。

この箇所について本居宣長は感想を述べている。紫の上の筆跡がふくよかであるというのは、子供が書く文字の特徴である。ふくよか だから前途が有望なのではないという。

けれども ふっくら と書く鷹揚さが、書道だけでなくすべての習い事には大切なのではないだろうか。

故尼君のにぞ似たりける。いまめかしき手本習はば、いとよう書いたまひてむと見たまふ。

光る君はこれまで何度か歌をやり取りした、紫の上の祖母の尼君の筆跡に似ていると感じた。恐らく亡き尼君が孫の紫の上に習字を教えていたのだろう。これからもっと現代風の

筆跡を手本にして習字をすれば、きっと上手になるだろうと思った。なお本居宣長も亡き尼君の文字が古風で今様ではないので、これからは現代風の文字を学んだほうが良いという意味であると解説している。

(ひひな)など、わざと()ども作りつづけて、もろともに遊びつつ、こよなき物思ひの紛らはしなり。

(ひひな) は雛人形である。幼い紫の上が喜ぶような人形を沢山作り、それらの住むべき御殿なども作り並べ、
光る君は紫の上と一緒に雛遊びに興じる。そうしていると光る君は、藤壺への恋の苦しみが癒されて行くように感じられるのであった。光源氏が17才、紫の上が10才。

「源氏物語」を読み進めると、女三宮が光源氏の正妻として迎えられてから、紫の上は苦しい人生を余儀なくされる。「源氏物語」を通読し終えてからもう一度読み返して、若紫の巻にたどり着いた時、純真な紫の上の姿に涙を禁じ得ないのである。

「コメント」

今回のイベントは藤壺との もののまぎれ 密通である。何かあっけないことから始まっている。そして紫の上の出現。これからの展開の種まき。それにしても源氏の若い事。18才とは。