250615⑪ 賢木の巻 (1)

この巻でも光源氏の人生に大きな事件が起きるが、まずは冒頭で六条御息所が遂に伊勢に下ることが語られる。

六条御息所は光源氏に完全に別れを告げて都を去っていく。それを作者紫式部は、 伊勢に下って行きました と片付けることなく、印象的なシーンを六条御息所の為に用意する。賢木の巻という名前も、その場面に深く関係しているが、先ずは文章を読もう。

朗読① 光源氏は薄情と思われるのが嫌で、御息所のいる野宮(ののみや)に向かう。御息所は迷いなが

          ら対面はしようと思う。

つらきものに思ひはてたまひなむもいとほしく、人聞き情けなくやと思しおこして、野宮(ののみや)に詣でたまふ。九月七日ばかりなれば、むげに今日明日と思すに、女方も心あわたたしければ、立ちながらと、たびたび御消息(せうそこ)ありければ、いでやとは思しわづらひながら、いとあまり(うも)れいたきを、物越しばかりの対面はと、人知れず待ちきこえたまひけり。

 解説

葵の巻における葵上の死去。それには六条御息所が深く関っていたが、あの事件以降光源氏はますます六条御息所から遠ざかっていた。しかし光源氏が過去に愛した女性、身分高く、思慮深く、元の東宮妃でもあった六条御息所が、都を捨て娘と共に遠く伊勢に下って行こうというのに、それに対して一言もないというのでは、彼女も

つらきものに思ひはてたまひなむもいとほしく、   薄情者と思われてしまうのも辛い事で。光源氏も重い腰を上げ、嵯峨野の 野宮(ののみや) へ。伊勢の斎宮というのは、出発までの間、都で精進潔斎を行う

儀式を経て伊勢に下るのである

その為に嵯峨野の 野宮(ののみや) に母と共に住まう。その 野宮(ののみや) に光源氏は向かう。季節は 九月七日。旧暦なので秋の終わり。光源氏からはそれまでにも、度々 消息(せうそこ) 手紙が届き、是非お目に掛かりたいと書かれていた。しかし御息所は会うべきかどうか迷う。

 

「源氏物語」は濃密な人間ドラマを描いた後でまた前に、読者の心を捕らえる自然の風情を描いている。この物語の特徴の一つである。次の文章がそうである。

朗読② 野辺を分け入るとしみじみとした哀趣が漂っている。松風がまことに優艶な風情で

          ある。

はるけき野辺を分け入たまふよりいとものあはれなり。秋の花みなおつろへつつ、浅茅が原もかれがれなる虫の声に、松風すごく吹きあはせて、そのこととも聞きわかれぬほどに、物の()ども絶え絶え聞こえたる、いと艶なり。

 解説

物語に初めて嵯峨野、都の郊外の風景が描かれる。広々とした野辺、衰え始めた秋の花、絶え絶えたる虫の声、そして松風。それはどこにでもあるような晩秋の風景とはどこか違う。背筋がピンとするような張り詰めた空気に支配された世界である。そこは斎宮が精進潔斎する神域なのである。

 

朗読③ そこには板葺きの家があり、黒い鳥居があって、神官たちが話している様子が周り

          とは違っている。

ものはかなげなる小柴垣を大垣にて、板屋どもあたりあたりいとかりそめなめり。黒木の鳥居どもは、さすがに神々(こうごう)しう見わたされて、わづらはしきけしきなるに、神官(かむつかさ)の者ども、ここかしこにうちしはぶきて、おのがどちものうち言ひたるけはひなどね、ほかにはさま変りて見ゆ。

 解説

みだりに人が近付くのを阻む雰囲気を放つ独特な世界である。神の世界の厳かさを感じつつ、その風景に入って行く。

 

光源氏は久し振りに会う御息所にどんな言葉を掛け、どんな振舞いをするかを見てみよう。

朗読④ 光源氏は 簀子(すのこ) の上位ならいいですかと言って、折り取った榊を昔ながらの私ですと

          言って差し出す。

「こなたは、簀子(すのこ)ばかりのゆるされははべりや」とて、上りゐたまへり。はなやかにさし出でたる夕月(ゆうづく)()に、うちふるまひたまへるさまにほひ似るものなくめでたし。月ごろの積もりを、つきづきしう聞こえたまはむもまばゆきほどになりにければ、(さかき)をいささか折りて持たまへりけるをさし入れて、「変らぬ色をしるべにてこそ、()(がき)も越えはべりにけれ。さも心憂く」と聞こえたまへば、

 解説

光源氏は建物には入らず立ったまま別れの挨拶をする積りであったが、六条御息所が去っていくと思うと、ぐらついて、

こう言葉を掛けた。「こなたは、簀子(すのこ)ばかりのゆるされははべりや」

「斎宮が精進潔斎する神聖な空間ではあるが、その 簀子(すのこ) 建物の一番外側、そこに入って挨拶する位は許されるのか」と聞く。御息所は建物の奥にいるので遠くにいる。しかしそう言った光源氏の様は、

うちふるまひたまへるさまにほひ似るものなくめでたし。

光源氏の振舞いは節度があってその昔、彼が六条御息所の家を訪ねてきた時と少しも変わらなかった。そして

(さかき)をいささか折りて持たまへりけるをさし入れて、

折り取った榊の枝を、今更詫びるではなく部屋の中に差し入れた。ここで榊、賢木が出てきた。榊は神社でも欠かせない神を寿(ことほ)ぐ特別な植物である。榊、賢木と書く国字である。光源氏は、神域で精進潔斎する斎院の母・六条御息所にピッタリの榊の枝を差し入れたのである。これに籠められたメッセ-ジとは何であろうか。日々の事に取り紛れてあなたを訪れることが出来なかった。しかしこの榊の葉が青々と変わらないように、私の心もこれまでと変わりません。その事を分って下さい。白々しいかも知れないが、それが王朝流なのである。

 

それでは次の文章を読む。

朗読⑤ 久し振りの対面は昔を思い出させ、御息所は恨めしさも消えていく思いである。

めづらしき御対面の昔おぼえたるに、あはれと思し乱るること限りなし。来し方行く先思しつづけられて、心弱く泣きたまひぬ。女はさしも見えじと思しつつむめれど、え忍びたまはぬ御気色を、いよいよい心苦しう、なほ思しとまるべきさまにぞ聞こえたまふめる。月も入りぬるにや、あはれなる空をながめつつ、恨みきこえたまふに、ここら思ひあつめたまへるつらさも消えぬべし。

 解説

夜は更けて行き、別れの時が来る。御息所はもう都にいる訳にはいかない。この事は葵の巻で決定済みである。しかし紫式部はそのまま御息所を退場させずに、最後の場面を作ったのである。

めづらしき御対面の昔おぼえたるに、あはれと思し乱るること限りなし。

とにかく秋枯れの嵯峨野の野宮(ののみや)で再会した二人はこうして別れた。

恨みきこえたまふに、ここら思ひあつめたまへるつらさも消えぬべし。

胸に溜めていた恨みも消えてしまう思いであった。

 

さてこの後、物語は六条御息所からその娘斎宮に移る。彼女は母の御息所と光源氏の、様々な事が交錯する複雑な関係は全く知らないので、無邪気にはしゃいでいる。何を喜んでいるのであろうか。

朗読⑥ 

斎宮は、若き御心に、不定(ふじょう)なりつる御出立(いでたち)のかく定まりゆくを、うれしとのみ思したり。世の人は、(れい)なきことと、もどきもあはれがりもさまざまに聞こゆべし。何ごとも、人にもどきあつすわれぬ際は安げなり。なかなか、世にぬけ出でぬる人の御あたりは、ところせきこと多くなむ。十六日、桂川にて御(はらえ)したまふ。

 解説

斎宮は、若き御心に、不定(ふじょう)なりつる御出立(いでたち)のかく定まりゆくを、うれしとのみ思したり。

斎宮は最近になるまで、母の御息所が一緒に伊勢に同行してくれるかどうか、はっきりしないので悩んでいた。それが付いて来てくれることに決まったので嬉しいとはしゃいでいる。九月十六日、桂川  (はらえ) をして、宮中に参内する。

そこには帝・桐壺院の第一皇子、母は弘徽殿の女御、光源氏の腹違いの兄・朱雀帝がいる。

 

次に新斎宮の様子、続けてその斎宮に対面する朱雀帝の様子を読む。

朗読⑦ 斎宮は十四歳で余りに可愛いので、帝は心を動かし涙を落される。

斎宮は十四にぞなりたまひける。いとうつくしくおはするさまを、うるはしうしたてまつりたまへるぞ。いとゆゆしきまで見えたまふを、帝御心動きて、別れの櫛奉りたまふほど、いとあはれにてしほたれさせたまひぬ。

 解説

斎宮が伊勢に下る際に、黄楊(つげ)の櫛を挿す儀式である。そうした儀式の後、一行は二条院の辺りを通っていく。その一行に光源氏は榊に挿して歌を届ける。

  ふりすてて 今日は行くとも 鈴鹿川 八十(やそ)()の波に 袖はぬれじや

この私を振り捨てて伊勢に去っていくが、これから行く鈴鹿川の水にあなたの袖が濡れないでしょうか。このスタイルが王朝流なのである。この歌に送られるようにして、御息所は鈴鹿山を越えて伊勢へと去った。こうして御息所は退場する。

 

さて既に第三幕が始まる。

朗読⑧ 桐壺院の病気が十二月になって重くなる。世間で心配しない人はいない。朱雀帝も

          お見舞いに行幸される。

院の御なやみ、神無月になりては、いと重くおはします。世の中に惜しみきこえぬ人なし。内裏にも嘆きて行幸あり。

 解説

これは病の話が唐突でないように、この巻の冒頭に既に触れてあった。冬になって以来、院の体調不良が予断を許さないようになった。この時、帝が行幸するというのは、院の病状が重いことを示している。

 

そして病気の桐壺院から次の御言葉が出る。それは物語の中で遺言と書かれている。その内容を読む。

朗読⑨ 院は春宮(東宮)の事を何度も頼まれる。次には光源氏を後見役としてしなさい。その為に

          親王にしなかったのですと仰る。

弱き御心地にも、春宮(とうぐう)の御事を、かへすがへす聞こえさせたまひて、次には大将の御事、「はべりつる世に変らず、大小のことを隔てず何ごとも御後見(うしろみ)(おぼ)せ。(よわい)のほどよりは、世をまつりごたむにも、をさをさ(はばか)りあるまじうなむ見たまふる。かならず世の中にたもつべき(そう)ある人なり。さるによりて、わづらはしさに、親王(みこ)にもなさず、ただ人にて、朝廷(おおやけ)の御後見(うしろみ)をせさせむと思ひたまへしなり。その心違へさせたまふな」と、あはれなる御遺言ども多かりけれど、女のまねぶべきことにしあらねば、この片はしだにかたはらいたし。帝も、いと悲しと思して、さらに(たが)へきこえさすまじきよしを、かへすがへす聞こえさせたまふ。御容貌(かたち)もいときよらにねびまさらせたまへるを、うれしく頼もしく見たてまつらせたまふ。限りあれば急ぎ帰らせたまふにも、なかなかなること多くなん。

 解説、

弱き御心地にも、春宮(とうぐう)の御事を、かへすがへす聞こえさせたまひて、

弱り切った体で何度も春宮(とうぐう) のことをご依頼になる。春宮(とうぐう) とは今、目の前にいる朱雀帝の次の

天皇継承者である。

世間では桐壺院の子と思っているが、実は光源氏と藤壺の子である。彼のことをかへすがへす聞こえさせたまひて、

遺言させたというのは、若い 春宮(とうぐう) が頼りないので、宜しく頼むというのではない。この 春宮(とうぐう) は桐壺院に万一の事があった場合、将来どうなるか分からない。場合によっては 春宮(とうぐう) の座から引きずりおろされるかも知れない。だから私に代わって弟に当たる 春宮(とうぐう) を護ってやるようにということである。自分がもし亡くなってしまった場合、朱雀帝の母の弘徽殿の女御と、その父である右大臣と彼ら一族が、世をほしいままにしてしまうのではないかと心配なのである。右大臣家から見れば、春宮(とうぐう) は身内でも何でもない。右大臣にとっては 春宮(とうぐう) の座から引き摺り下ろすのが良いと思うのではないか。これを廃太子という。だから桐壺院は朱雀帝の腹違いの弟 春宮(とうぐう)、を宜しく頼むというのである。

次には大将の御事

そして次には 大将 光源氏に被害が及ばないように頼む。しかも光源氏は帝王相がある特別な

存在なのである。

だから天皇家に残ったら争いの種ともなると心配したのであるという。光源氏は右大臣家にとっては煙たい存在なので、朱雀帝にはしっかりしてくれと頼むのである。

また 大小のことを隔てず何ごとも後見(うしろみ)(おぼ)せ。どんなことでも光源氏に相談するように。その言葉を受けて朱雀帝も

帝も、いと悲しと思して、さらに(たが)へきこえさすまじきよしを、かへすがへす聞こえさせたまふ。

父親の忠告、頼みを受け止めて、大変よく分かりました。父上の仰ることを決して違えることはしませんと、繰り返しご返事申し上げる。そうしたやり取りがあって、

限りあれば急ぎ帰らせたまふにも、なかなかなること多くなん。

定めのあることとて、帝は急いで御帰りなされたが色々と心残りが多い事で・・・。

一方話題になった 春宮(とうぐう) も宮中から、桐壺院のもとに見舞いに行く。春宮(とうぐう) も今上帝である朱雀帝と共に一緒にお見舞いに行く積りであったが、女のまねぶべきことにしあらねば、この片はしだにかたはらいたし

の身で口にすべきことではないので、ここに少しでもこんなことをもらすことも気が咎める。大事(おおごと)になるので 春宮(とうぐう) は別の日に行くことになっている。そこには中宮 藤壺がいる。藤壺と桐壺院は退位してから、一般の人のように、この桐壺院で仲睦まじく暮らしてきた。

 

久し振りに桐壺院、藤壺、春宮(とうぐう) という親子三人が顔を揃えた。ここにはもう一人いた。

朗読⑩ 院は 春宮(とうぐう) に将来の事を色々教えられるが春宮(とうぐう)はまだ頼りない。大将にも朝廷の

          事、御後見のことなど繰り返し仰せつけになる。夜が更けて 春宮(とうぐう) はお立ちになる。

よろづのことを聞こえ知らせたまへど、いとものはかなき御ほどなれば、うしろめたく悲しと見たてまつらせたまふ。大将にも、朝廷(おおやけ)に仕うまつりたまふべき御心づかひ、この宮の御後見(うしろみ)したまふべきことをかへすがへすのたまはす。夜更けてぞ帰らせたまふ。

 解説

光源氏も (とうぐう) と共に見舞いに行く。つまりこの場面は本当の親子三人が顔を揃えているのである。この光源氏に

大将にも、朝廷(おおやけ)に仕うまつりたまふべき御心づかひ、この宮の御後見(うしろみ)したまふべきことをかへすがへすのたまはす。

光源氏にも、朝廷に仕える上での心構え、またこの 春宮(とうぐう) の後見役をなさるべきことを、返す返すお申し付けになる。

今文章に出てきた この宮  春宮(とうぐう) のことである。桐壺院は光源氏に 春宮(とうぐう) の後見役を依頼して、そしてこの
春宮(とうぐう) 
 夜更けてぞ帰らせたまふ。

そしてこれが桐壺院との最後の別れとなった。この後の文章の後に 

おどろおどろしきさまにもおはしまさで隠れさせたまひぬ。院はお隠れになった。院は厳格な父として、世の中に目配りをした聡明な帝として、光源氏を愛した人として、様々な顔を見せてきた桐壺院の崩御。

彼は賢木の巻で、物語から死をもって退場する。やがて四十九日を迎える。桐壺院の后たち、それまで仙洞御所に集まっていた方々もそれぞれに散っていく。

十二月(しわす)二十日(はつか)なれば、おおかたの世の中とぢむる空のけしきにつけても、まして晴るる世なき中宮の御心の(うち)なり

十二月の二十日なので、世の中が閉じるかのように暮れゆく年の瀬の心細い空の景色につけても、今更晴れる間もない中宮の心の内である。

藤壺は自分の三条の屋敷に移るが、そこでまた大事件が起きる。光源氏が彼女の所に忍び込む事件である。

 

「コメント」

 

六条御息所の伊勢への旅立ち、桐壺院の死去などの大きな事件がこの巻の出来事である。

さて次は。