250622⑫ 賢木の巻 (2)

今回は賢木の巻の第二回である。賢木の巻は激動の巻であった。光源氏の人生における重大事が次々と起きる。

さて前回の続きである。桐壺院が崩御した。藤壺は桐壺院と共に過ごした仙洞御所から自分の屋敷である三条宮に退出する。桐壺院を失って新しい生活が始まった藤壺。そうした彼女にある日、光源氏が迫った。桐壺院が亡くなったのは十月であったが、もうすぐ一年が経とうとしている。一周忌前の事であった。若紫の巻以降久し振りの対面であったが、藤壺の強い拒絶で光源氏はそれ以上接近できなかった。しかしこのことによって、藤壺の心の中には大きな変化が起きた。その変化とはどんなものであったか。

朗読① 藤壺はあのことで気分が優れない。光源氏との事が続くようだと春宮にも困るので、

          中宮の位も退位しようとも思う。

宮も、そのなごり例ににもおはしまさず、かうことさらめきて籠りぬ。おとづれたまはぬを、命婦などはいとほしがりきこゆ。宮も、春宮(とうぐう)の御ためを思すには、御心おきたまはむこといとほしく、世をあぢきなきもの思ひなりたまはば、ひたみちに思し立つこともや、とさすがに苦しう思さるべし。かかること絶えずに、いとどしき世にうき名さへ漏り出でなむ。大后のあるまじきことにのたまふなる位をも去りなん、とやうやう思しなる。

 解説

今の文章に 春宮(とうぐう)の御ため という言葉があった。自分が生んだ 春宮(とうぐう) 、彼の為にこれ以上光源氏を近づけることは良くない。全ては 春宮(とうぐう) の為に。春宮(とうぐう) のことを第一に考えることが、藤壺の心に先ず浮かんだ事であった。彼女はどのような事を考えてその結論に到ったか。藤壺の立場に立って考えてみよう。今回は自分の強い拒絶によって何とか凌いだが、しかし今後もこういう事はあるだろう。弘徽殿の女御をはじめとした右大臣家の人々が、光源氏や藤壺の動静に目を光らせ、あわよくば亡き者にしようとしている現状である。そしてこんな事が弘徽殿の女御に知られたらと大いに気になる。いとどしき世にうき名さへ漏り出でなむ。   いよいようるさい今の世に、悪い噂までも立てられる事にもなろう。

桐壺帝が葵の巻で退位した。更には 賢木の巻で崩御した。その事によって世の中はすっかり変わってしまった。右大臣、弘徽殿の女御が新しい天皇の祖父であり母である。その事を背景にして、権威を振るい始めた。それに対して、左大臣、光源氏、藤壺は日影に追いやられている。それが葵の巻から賢木の巻への政治的状況であった。

 

そうした状況の中で光源氏が今回のように藤壺.の三条宮に姿を現すことが重なり、これが誰かに見咎められ、噂にでもなったら、更には春宮(とうぐう) に累が及ぶような事があったら大変である。藤壺は悩む。ただでさえ 春宮(とうぐう) の誕生にはおかしな点があった。つまり生まれ月が合わなかったのである。当時その事に首をひねる者もいなかったわけではない。その経緯は 紅葉の巻に出ている。しかも春宮(とうぐう) は光源氏に瓜二つ。春宮(とうぐう) を守る為には、何としても光源氏を遠ざけねばならない。その状況を読んでみよう

朗読② 男(光源氏)は分別もなく色々訴える。藤壺は今は気分が悪いので と言うが、

          男(光源氏)はなおも言い募る。

男も、ここら世をもてしづめたまふ御心皆乱れて、うつしざまにもあらず、よろづのことを泣く泣く恨みきこえたまへど、まことに心づきなしと思して、(いら)へも聞こえたまはず。ただ、「心地のいとなやましきを、かからぬをりもあらば聞こえふむ」とのたまへど、尽きせぬ御心のほどを言ひつづけたまふ。

 解説

藤壺に対して心の丈を訴え続ける光源氏。彼はここでは 男 と呼ばれている。肩書を捨てて一人の男として藤壺に向きあっている。これに対して藤壺はどのように呼ばれているか。夜が明けたので

ついに光源氏も諦めざるを得ない。

 

光源氏が藤壺の所から退出する場面を見てみよう。

朗読③ 夜が明けて女房二人が帰りを強く促すし、藤壺は疲れ果てている。

明けはつれば、二人していみじきことどもを聞こえ、宮はなかばは亡きやうなる御気色の心苦しければ、「世の中にありと聞こしめされむもいと恥づかしければ、やがて失せはべりなんも、またこの世ならぬ罪となりはべりぬべきこと」など聞こえたまふもむくつけきまで思し入れり。

 解説

光源氏は「世の中にありと聞こしめされむもいと恥づかしければ、やがて失せはべりなんも、またこの世ならぬ罪となりはべりぬべきこと」

このまま生き続けるのも嫌になってしまった。が死ねば後の世までの罪障となってしまう。と言いながら去っていこうとするが、その光源氏の言葉を聞く藤壺は  と呼ばれている。人の心のありようが登場人物の呼称で表されている。そうしたニュアンスは原文でしか味わえない所である。

 

さて賢木の巻の中ば、桐壺院の一周忌の前の事。光源氏は藤壺に迫ったが、藤壺は  として描かれ、春宮(とうぐう  )の母であり、中宮であることを示した。そして今後ますますそれを貫かねばならないと決心したのである。

この場面は藤壺にも大きな転機となったのであるが、光源氏にも大きな発見を与えていた。

朗読④ 光源氏は塗籠の細目に開いている所から藤壺の部屋に入り込む。藤壺の悩む横顔

          は優美であった。

君は、塗籠の戸の細目に開きたるを、やをら押し開けて、御屏風のはさまに伝ひ入りたまひぬ。めづらしくうれしきにも、涙落ちて見たてまつりたまふ。「なほ、いと苦しうこそあれ。世や尽きむぬらむ」とて、()の方を見出だしたまへるかたはら目、言ひ知らずなまめかしう見ゆ。

 解説

光源氏は藤壺に迫って思いを訴える。しかし彼女はそれを聞こうとはしない。異変に気付いた女房達が集まってくる。その中に大命婦がいた。若紫の巻で光源氏を藤壺のもとに手引きした人物である。藤壺と光源氏の関係を知る唯一の女房である。光源氏は藤壺から引き離され、塗籠の中に押し籠められる。塗籠 というのは、平安貴族が生活した寝殿造りでは珍しい、周囲が壁で塗りこめられた

個室である。賢木の巻の今の場面で、人目のない部屋に光源氏は押し込められたのである。

 

騒ぎが鎮まってから光源氏はそっと部屋を抜け出し、藤壺を間近で見る。その時に光源氏はどう思ったのであろうか。

朗読⑤ 光源氏との事を悩んでいる藤壺の様子はいたわしい。全ての様子はあの西の対の

          姫君と変りない。驚くばかり似ていると見ていると、憂いの気が晴れてくる。

世の中をいたう思しなやめる気色にて、のどかにながめ入りたまへる、いみじうらうたげなり。髪ざし、(かしら)つき、御髪(みぐし)のかかりたるさま、限りなきにほほしさなど、ただかの(たい)のひめぎみに(たが)ふところなし。年ごろすこし思ひ忘れたまへりつるを、あさましきまでおぼえたまへるかなと見たまふままに、すこし

もの思ひのはるけどころあの心地したまふ。

 解説

光源氏は密かに藤壺を観察する。素晴らしさを確認する。しかしそんな状況の中で、別な事を考えている光源氏がいる。別の世界の面影が浮かんだのである。

ただかの(たい)のひめぎみに(たが)ふところなし。

二条院の西の対に住む紫の上である。これはどの様に考えるべきであろうか。

 

実は今読んだ賢木の巻と対照的な場面が葵の巻にあった。それはこんな場面である。

朗読⑥ 久しぶりに会う姫君は実に愛らしく可愛らしい。光に照らされた横顔はあの藤壺と

          そっくりと思い嬉しくなる。

姫君、いとうつくしうひきつくろひておはす。「久しかりつるほどに、いとこよなうこそおとなびたまひにけれ」とて、小さき御几帳(みきちょう)引き上げて見たてまつりたまへば、うち(そば)みて恥ぢらひたまへる御さま飽かぬところなし。帆影の御かたはら目、(かしら)つきなど、ただかの心尽くしきこゆる人に(たが)ふところなくもなりゆくかな、と見たまふにいとうれし。

 解説

光源氏が紫の上と結ばれる直前のシーンである。葵の巻で光源氏は目の前の紫の上の明かりに照らされた横顔を改めて目にして、ただかの心尽くしきこゆる人に(たが)ふところなくもなりゆくかな、と見たまふにいとうれし。

藤壺そっくりに紫の上が成長したことを嬉しいと思ったのである。それは葵の巻の事である。それが今読んでいる賢木の巻では、秋の夜、光源氏が塗籠から脱出して、藤壺をじっと見ているシーンに戻るが、そこには藤壺を見ているのに、心には葵の上を思い起こしている光源氏がいた。目の前の人がその人にとって、本当に大切で唯一無二のものであったら、人はその瞬間別な事を考える筈はない。しかし賢木の巻の光源氏は、藤壺を見つめながら心は紫の上を思い起こしている。光源氏の心の中で紫の上の存在が思っている以上に大きくなり始めているのであろう。この賢木の巻で藤壺に拒絶された光源氏は、この後自らの屋敷の二条院に帰る。これまでの光源氏なら一日中、泣き暮らしたことであろう。どうしてこんなに違ったのであろうか。物語にはこう書いてある。

あさましきまでおぼえたまへるかなと見たまふままに、すこしもの思ひのはるけどころあの心地したまふ。

藤壺をじっと見つめながら改めてこう見て見ると、我が最愛の妻 紫の上に似ているなと思った光源氏は、紫上は常に我が傍らにいて互いに深く心を通わせる存在として、かけがえのない人になっている。そうした紫の上がいることを思えば、例え藤壺がいなくなっても心の晴れる思いがしたのである。これまではどうしても藤壺が主であったのが、ここでは紫の上が主になってきたのである。

そうした主と従の入れ替わり、藤壺と紫の上の立場の交代を紫式部は対照的な二つの場面を見る。葵の巻では紫の上を見て藤壺を思い出す光源氏、賢木の巻では藤壺を見て紫の上を思い出す光源氏。そうした対照的な場面を拾い出して見せることで、読者にその事を伝えようとしている。

 

徐々に紫の上が藤壺と並ぶ存在感を、光源氏の心の中で示し始めている。そうなると同じような二人は要らないのではないか。その予感は次のような形で的中する。

桐壺院の一周忌が巡ってきた。桐壺院は去年の冬に亡くなった。藤壺はここで法華八講(ほっけはっこう)を行うことにした。法華八講を説明すると、この物語に出てくる仏事、仏教関係の行事の一つである。その行事の最後の日、藤壺は次のような行動に出た。

朗読⑦ 院の一周忌の最後の日に藤壺は出家を告げる。兵部卿宮(藤壺の兄)、光源氏も

          驚く。伯父の横川(よかわ)の僧都が髪を切る。

最終(はて)の日、わが御事を(けち)(がん)にて、世背きたまふよし仏に申させたまふに、みな人々驚きたまひぬ。兵部卿宮、大将の御心も動きて、あさましと思す。親王(みこ)は、なかばのほどに、立ちては入りたまひぬ。心強う思し立つさまをのたまひて、果つるほどに、山の座主(ざす)召して、忌むこと受けたまふべきよしのたまはす。御をじの横川の僧都近う参りたまひて御髪(みぐし)おろしたまふほどに、宮の内ゆすりてゆゆしう泣きみちたり。何となき老い衰経たる人だに、今ほど世を背くほどは、あやしうあはれなるわざを、まして、かねての御気色にも出だしたまはざりつることなれば、親王(みこ)もいみじう泣きたまふ。

参りたまへる人々も、おほかたの事のさまもあはれに尊ければ、みな袖濡らしてぞ帰りたまひける。

 解説

光源氏を始めとする大勢の人が集まった法華八講の場で、藤壺は 世背きたまふよし仏に申させたまふに、        御髪(みぐし)おろしたまふほどに、とあった。人々の意表を突くように俄かに黒髪を下ろして出家してしまったのである。これからは出家者として生きていくと意表を突くように出家してしまったのである。これからは出家者として生きていく。平安時代の貴族たち、その出家者の多くは在家信者。それまでの生活と大きく変わることなく、山に籠りきりということはない。しかしそうであるにせよ、出家してしまえば、現世世俗と関係を絶つ行為である。世俗とは無縁に生きるのである。それを

藤壺は人の前で誓って見せたのである。藤壺の出家、それは今回最初に話した話題、春宮(とうぐう)の御ため。この様に藤壺が心ひそかに誓った時から数か月後の事であった。あの時以来藤壺は、密かにこの日を待っていたのである。光源氏の接近を遠ざけるために自分自身が出来るのは、現世を捨てる事、出家者となることと思い定めたのである。それが春宮(とうぐう)の御ため であると。

平安時代の物語文学で、出家者、僧侶、老人が物語の主人公になる事はない。主人公が出家してしまうと、物語はそこで終わってしまう。出家とは物語においてはそのような行為なのである。それを藤壺が果たしたということ。それは彼女の物語からの退場を意味する。賢木の巻は葵の巻に輪を掛けて、波乱と激動の巻であるが、今回の最初に話したが、その意味が理解されたと思う。この二つの巻において、光源氏の周りからは多くの大切な人々が去っていった。

葵の上、六条御息所、桐壺院、藤壺。その一方で、光源氏のもとには大切な人が一人残っている。

紫の上である。これからの彼女は藤壺の影ではなく、独自の存在を持つようになる。むしろ藤壺を

しのいだ存在に成長した。例えば次のような点に注目してみよう。

 

ここは講師の音読を交えつつ解説をする。賢木の巻で光源氏は様々な女君に歌や手紙をやり取りする。女君たちからの手紙を受け取って光源氏はその度に感想をもらすが、例えば前回取り上げた伊勢に去っていった六条御息所の文を見て、光源氏はこんな風につぶやく。

講師の賢木の巻の朗読⑧ 六条御息所が伊勢に出発する時に交わした歌

()いとよしよししくなまめきたるに、あはれなるけわすこし添へたまへらましかばと思す。

 解説

教養が窺われる魅力的な筆跡で、光源氏は誉める。が、その後である。

あはれなるけわすこし添へたまへらましかばと思す。

やさしさというか、やわらかな所がもう少しあったら良いのに。要は光源氏からするとまだ足りないところがあるように見えるということである。

 

或いは藤壺の筆跡についても光源氏はこんな風に批評している。この後彼女が出家するとは夢にも思っていなかった中で、交わした歌の中での感想である。

講師の賢木の巻の朗読⑨ 桐壺院の一周忌の頃に交わした歌

ことにつくろひてもあらぬ御書きざまなれど、あてに気高さは思ひなしなるべし。筋変りいまめかしうはあらねど、人にはことに書かせたまへり。

 解説

殊更に取り繕っていない書きぶりであるが、上品で気高く見えるのは、宮をそうしたお方だと思っているせいであろう。書きぶりは当世風ではないが、余人に比べると格段に優れているとなっているが

本音は、何故か華やかさや現代的な魅力に欠ける所があって、その点には不満が残る。これが光源氏の率直な感想である。光源氏は美についての鑑賞眼は当代第一の人物として描かれている。

そんな光源氏なので、誰の筆跡でもどうしても点が辛くなるのは仕方ない。

 

でも満足できる人が一人いる。その人物の筆跡を光源氏は名指しでこんな風に絶賛している。

朗読⑩

  風吹けば まづぞみだるる 色かはる 浅茅が露に かかるささがに

とのみあり。()はいとをかしうのみなりまさるものかな」と独りごちて、うつくしとほほ笑みまふ。常に書きかはしたまへば、わが御手にとよく似て、いますこしなまめかしう女しきところ書き添えたまへり。何ごとにつけても、けしうはあらず()ほし立てたりかしと思ほす。

 解説

紫の上の筆跡は光源氏をうならせた。()はいとをかしうのみなりまさるものかな」何と素晴らしい、上手になったことか。そう呟いて嬉しくなって自然と顔がほころんでしまう。どこが良いのかと言ったら、いつも光源氏と筆を交わしているので、自然と光源氏の良い所を取っているが、模倣ではなくて いますこしなまめかしう女しきところ書き添えたまへり。

もう少し優美に女らしい風情を添えている。光源氏は紫の上の筆跡をここまで褒め称えている。

教養と人格で人に劣らぬ六条御息所。中宮としてその心深さでは人後に落ちない藤壺。その二人よりもむしろ紫の上の方が今や数倍上の様な印象である。そうした優れた女君に成長したしたことを、その書、筆跡の批評を通じて、紫式部は伝えているのである。

藤壺が出家しようがしまいが、紫の上こそが今後物語第一の女君、光源氏にとっても最も大事な特別な存在に成長したことを、賢木の巻で三人の女性の筆跡の比較という形で描き出している。何と巧みな描き方であろうか。

さて賢木の巻の最後にはもう一つ重要な事件がある。これからの光源氏には紫の上しかいない。葵の上が、六条御息所が、今は藤壺が光源氏から去っていった。そして光源氏は次のような事件を

起こす。その人は朧月夜。右大臣家の娘であり、弘徽殿の女御の妹である。将来后になる事が期待され育てられ、今上帝に入内することが予定されていた女君。

二人が密会している所を右大臣・父親に見つかってしまう。次回お楽しみに。

 

「コメント」

講師は「物語」を前後しながら話すので、「源氏物語」の出典を探すのに苦労する。