251116㉝若菜上の巻(1)
藤裏葉の巻で光源氏の栄華は頂点に達した。六条京極に構えた大邸宅六条院。最愛の姫君の東宮への入内。そして準太政天皇の位。彼は辿り着くべきところに行き着いてしまった。光源氏にはこれ以上はないはず。見るべきものは見つくしてしまった。つまり世の中がそこで終わっても良かったのだ。しかし実際にはそうはならない。若菜という新しい長大な巻が上下に分かれてある。果たしてここで何が語られるのか。例えば東宮に入内した後の姫君のこと。大学で苦労して学んだ夕霧の活躍。そうした子供たちの活躍が語られるのであろうか。或いは準太政天皇の光源氏が、本当の天皇に
なるという展開もありうるのか。いずれにせよ、新しい世界が幕を開ける。読者を魅了してやまない物語がまだ続く。
何故この34番目の巻の名は若菜なのか。春の野辺で瑞々しい力を漲らせて顔を出す若菜。何と若々しい生命力に溢れた巻の名前であろうか。それは光源氏或いは光源氏と紫の上のいつまでも衰えることのない若々しさ。六条院世界の永続性を象徴しているかのようである。私たちはそのめでたい巻・若菜を手にする。今までの巻より長大で分厚く、光源氏にいかに輝かしい世界が展開するのか読んでみよう。
すると私たちの目には予想もしなかった世界が飛び込んでくる。それはこんな風に始まる。
朗読①
朱雀院の帝、ありし御幸の後、そのころほひより、例ならずなやみわたらせたまふ。もとよりあつしくあはします中に、このたびはもの心細く思しめされて、「年ごろ行ひの本意深きを、后の宮のおはしまつるほどは、よろづ憚りきこえさせたまひて、今まで思しとどこほりつるを、なほその方にもよほすにやあらん、世に久しかるまじき心地なんする」などのたままはせて、さるべき御心まうけどもせさせたまふ。
解説
そこに広がるのは予想もしなかった世界である。朱雀院(光源氏の兄)、彼は先の文章の所から体の不調を訴えていた。病気がちな人で今回は重体であった。
年ごろ行ひの本意深きを、后の宮のおはしまつるほどは、よろづ憚りきこえさせたまひて、今まで思しとどこほりつるを、
朱雀院は長い年月、一刻も早い出家を願っていたけれど、遂にその時が来た。余命が幾ばくも無い身なのに、何を躊躇っているのか。今を逃してはならないと覚悟を決めた。六条院行幸の折は、二人の弟、光源氏と冷泉帝に囲まれて楽しく過ごしていた筈であった。ここで朱雀院は世を捨てて出家しようと考えた。これまでは朱雀院の母であったあの弘徽殿女御が存命であったので、母のことを思ってどうしても本懐を遂げることは出来なかった。それをもう考える必要がなくなって、ここで朱雀院はついにと思うようになった。少女の巻における朱雀院行幸では、太政天皇だった光源氏と今上帝・冷泉帝だけが赤色の服を身に纏い人々を魅了した。その折、光源氏は弘徽殿女御を訪れ、高齢の彼女を見舞っていた。
この放送ではその場面をカットしたが、彼女が自分の扱いが悪いとか何かにつけて不平を言う状況が語られていて、読者は彼女が相変わらず元気だと思ってしまう場面であった。老いたりといえども
まだ健在であったのである。この若菜の巻で彼女の崩御が語られるのにはびっくりする話である。
要するにこの若菜の巻は予想もしなかったことの連続に驚くことになる。めでたい巻の名前に反して、この巻を覆いつくしているのは老いであり死である。
この新しい巻の行方を彩る人物としてここに女三宮が登場する。
朗読② 朱雀院はこの所、病気がちである。出家願望があったが、母の大后が存命であった
ので遠慮していたが、出家を決意して準備をされる。しかし朱雀院は子の女三宮を
格別可愛がっていた。出家したいがこの子の行く末が心配でならない。
女三宮を、あまたの御中にすぐれてかなしきもの思ひかしづききこえたまふ。そのほど御年十三四ばかりにおはす。今は、と背き棄て、山籠りしなむ後の世にたちとまりて、誰も頼む蔭にてものしたまはむとすらむ、とただこの御事をうしろめたく思し嘆く。西山の御寺造りはてて、移ろはせたまはんほどの御いそぎをせさせたまふにそへて、またこの宮の御裳着のこと思しいそがせたまふ。
解説
朱雀帝には五人の子がいて、男は東宮だけで残りは女の子。中でも三番目の女の子・女三宮を格別に可愛がる。彼は出家して極楽往生することを良しとしていた。しかし彼がやらねばならないのは、
女三宮の裳着の準備。
今の場面で朱雀院はこうつぶやいている。
山籠りしなむ後の世にたちとまりて、誰も頼む蔭にてものしたまはむとすらむ、
女三宮は後は誰を頼って生きていけばいいのだろう。母親の藤壺女御は早くに亡くなっている。
藤壺女御を紹介する。ここで初めて出てくる人物である。
朗読③ 女三宮の母は先帝の皇女で藤壺という方で、朱雀院が東宮の頃に入内して高い位
になる筈であったが、後見役もなく母も尊い血筋でなかったので厚遇されることなくて
亡くなった。
藤壺と聞こえしは、先帝の源氏にぞおはしましける。まだ坊と聞こえさせしとき参りたまひて、高き位にも定まりたまふべかりし人の、とりたてたる御後見もおはせず、母方もその筋となくものはかなき更衣腹にてものしたまひければ、御まじらひのほども心細げにて、大后の、内侍を参らせたてまつりたまひて、かたはらにならぶ人なくもてなしきこえたまひなどせしほどに、気おされて、帝も御心の中にいとほしきものには思ひきこえさせたまひながら、おりさせたまひにしかば、かひなく口惜しくて、世の中を恨みたるやうにて亡せたまひにし、
解説
藤壺は朱雀院の后の一人。どんな家柄の人であったか。先帝の皇女で源氏の姓を賜った方であったが、院が東宮の頃に入内し、東宮も気に入って高い位に就く筈であったが後見役がいなかった。中宮になることもなく右大臣家の娘・朧月夜に圧倒されて日の当たらぬままに亡くなった。この思いが娘・女三宮に向けられる。
それにしても誰か彼女の面倒を見てくれないだろうか。そこに思いもかけない人の名前が出る。
朗読⓸ 朱雀院は分別のある乳母を呼んで、裳着のことを仰せ出すついでに、六条の大殿
(光源氏)が、葵の上を育てたように、女三宮の面倒を見てくれる人がいたらいいのにと
仰る。
おとなしき御乳母ども召し出でて、御裳着のほどのことなどのたまはするついでに、「六条の大殿の、式部卿の親王のむすめ生ほしたてけむやうに、この宮を預かりてはぐくむ人もがな。ただ人のなかにはありがたし、内裏には中宮さぶらひたまふ。次々の女御たちとても、いとやむごとなきかぎりものせらるるに、はかばかしき後見なくて、さやうのまじらひいとなかなかならむ。この権中納言の朝臣の独りありつるほどに、うちかすめてこそ心みるべかりけれ。若けれど、いと警策に、生ひ先頼もしげなる人にこそあめるを」とのたまはす。
解説
分別のある乳母を呼んで女三宮の裳着を朱雀院自ら のたまはす というのだから、どれ程女三宮のことを大切に思っているのかが分かる。そのついでに乳母たちにこうこぼす。「ああそれにつけても、六条の大殿・光源氏が式部卿の娘・紫の上を手元に引き取って、見事に立派に育てあげたように、この宮を預かりてはぐくむ人もがな
この姫宮を預かり育てる人がいたらいいのに。 もがな ~してほしい、いて欲しい。
更に院は ただ人のなかにはありがたし 臣下の中にはそうした人はいない と仰る。
天皇家の娘は古くは、天皇家の血を引く男と結婚するので臣下とは言わない。それが叶わぬなら
独身を貫くのが古い習わしであった。今上帝こそ理想の相手であるが、それは出来そうにない。内裏には中宮さぶらひたまふ。 とある。
今上帝には斎宮女御が中宮である。そんなところに後見の無いものが入内しても太刀打出来ないのは歴然。せめて権中納言・夕霧が独身でいたときに仄めかしてやるべきであった。実に有能で将来
有望であるのに。今の場面で朱雀院は後悔しているのである。
この時に乳母の一人が六条院に仕える兄にこのことを話すことがあった。「朱雀院様はほどなく出家されるというのに、女三宮様のことをどうなさるのかな」という。すると兄は「かつての光源氏様が紫の上様を引き取ったようなことが出来ないだろうか」といって、光源氏がいつも口にしていることを話す。
朗読⑤
さるは、この世の栄え、末の世に過ぎて、身に心もとなきことはなきを、女の筋にてなむ、人のもどきをも負ひ、わが心にも飽かぬこともあるとなん、常に内々のすさび言にも思しのたまはすなる。
解説
私が直接聞いた話ではないが、光源氏さまはこんなことを口にされることがあるらしい。「この世の
栄華は味わってしまい、人生に不満は何もない。身に余ることだ。ただ、 女の筋 女のことにつけては世間から、人のもどき 非難を受け、また自分の気持ちとてしても常に意に満たないこともあるし、思いも残る。そうしたことがある。」そんな風に光源氏様はこぼしておられるらしい。
ここだけの話という風な兄の左中弁の話であるが、女性関係のことでは未練も思い残しもあるという、この兄の言葉。どう理解すればよいのであろうか。紫の上がいながら彼はまだ他の女性を探しているということであろうか。光源氏はこれまでも世間から非難を受けることがあったが。例えば六条御息所のことなどはこれまでに何回も自分の過ちと反省してきている。六条御息所を傷つけてしまったことである。その罪滅ぼしに、娘の斎宮女御を入内させ中宮にした。そのことで母の六条御息所も許して
くれているだろうという発言を繰り返ししてきた。しかし同じ女性関係のことでも、
わが心にも飽かぬこともあるとなん 自分の気持ちとしても意に添わぬ、思い残しがあると内々の話にも出てくると聞いている。
これは誰のこと、どのようなことを言ってのであろうか。この物語を読み、心を理解して一緒に歩いてきた読者にはその真意はすぐ分かる。光源氏には前世から因縁が深くて二人の間に子まで授かり
ながら、この世では故あって男と女としての向き合い、心を許すことのできなかった女性でかつもう
この世のではない人、藤壺である。そのことを思い描いてそういっているのである。そのことは紫の上だって知ることのないこと。
まして今の場面で、光源氏のことを色々と話している乳母やその兄・左忠弁にその真意が分かろう
はずはない。だからこそ わが心にも飽かぬこともあるとなんという光源氏の言葉を曲解し一人合点しているのである。こんな風にである。
朗読6
げにおのれが見たてまつるにもさなむおはします。方々つけて御蔭に隠したまへる人、みなその人ならず立ち下れる際にはものしたまはねど、限りあるただ人どもにて、院の御ありさまに並ぶべきおぼえ具したるやおはすめる。それに、同じくは、げにさもおはしまさば、いかにたぐひたる御あはひならむ」と語らふを、
解説
彼は妹に言う。「光源氏様は心の広い方で、かりそめにも関係のあった方々のことは生涯、面倒をみて大切になさる。しかしそういう人たち、紫の上様にしたってただ人、臣下である。光源氏様が満足できないのは当然である。今の光源氏様は太政天皇に準ずる身の上。天皇家の皇女、女三宮のような人こそ釣り合いが取れるというもの。光源氏様はそのことをお嘆きなのである。」真実を知らない、
何も知らないということは怖いことである。左中弁は「私は六条院の内情に通じている」と言わんばかり。更に怖いのは、これを聞いて乳母が「ああ、いい話を聞いた」と朱雀院にそのまま持ち帰ろうとしていることである。さあ大変。これが 瓢箪から駒 となっていく。わが弟が式部卿の宮の遺児を立派に育て上げたように、わが娘、三宮の後見をしてくれる人はいないものかという朱雀院のつぶやきから始まったことである。光源氏のことは過去の成功例として何気なく口にされたのであった。しかしここ
まで来ると光源氏自身が紫の上にしたように、女三宮を引き受けるのではないか、その後見を引き受けるだろうという話になってしまう。
裳着を終えたばかりの娘が、光源氏と紫の上の世界を崩壊に追い込んでいく過程を、作者・紫式部は冷静に描き出していく。そのことを当事者の光源氏も紫の上も、今は何も知らない。今回初めて
光源氏自身が一度も出てこなかったが、時に人は自分の知らない所で、動き出した力によって、自分の人生を左右され振り回されることがある。彼らはまさに今、そのことで自分の人生を翻弄されようとしている。その先には過酷な結末が待っているが、私たちはすでに恐るべき世界の扉を開けてしまったようである。目をそらさずにこの結末を聞こう。
「コメント」
講釈師による講談「源氏物語」を聞いているようである。しかし手元には紫式部が書いた「源氏物語」がある。勝手に話を膨らませている訳ではない。紙芝居の次を待つ気分。