2260111㊶若菜下の巻(4)
光源氏の下に女三宮がやってきて六年が経った。初めてと言って良いが、光源氏と女三宮が正面
から向き合うことになった。光源氏の立場から言えば、正面から向き合わざるを得なくなったと言った方が良いであろう。折から五十歳を迎える朱雀院は、もしその気があるならほかのことは望まない。私が女三宮に会いに行って、琴の上達ぶりをこの目で確かたい。そうした希望を遠慮がちにではあったが、光源氏に伝えてきた。光源氏も確かにそうだと、朱雀院に対しても心から申し訳ない思いがして、一生懸命に琴を教えた。
音楽は素質がなかったらどうしようもない。その結果はどうであったろうか。
朗読① 最近は熱心に教えて差し上げる。初めは頼りなかったが、上手になる。
そして明けても暮れても教える。
このごろぞ御心にとどめて教えきこえたまふ。調べことなる手二つ三つ、おもしろき大曲どもの、四季につけて変るべき響き、空の寒さ温さを調え出でて、やむごとなかるべき手のかぎりを、とりたてて教えきこえたまふに、心もとなくおはするやうなれど、やうやう心得たまふままに、いとよくなりたまふ。「昼はいと人しげく、なほ一たびも揺し按ずる暇も心あわたたしければ、夜々なむ静かに事の心も染めたてまつるべき」とて、対にも、そのころは御暇聞こえたまひて、明け暮れ教えきこえたまふ。
解説
私たちは女三宮を見損なっていたのかもしれない。初めこそ 心もとなくおはするやうなれど
であったが、やがて
やむごとなかるべき手のかぎりを、とりたてて教えきこえたまふに、心もとなくおはするやうなれど、
光源氏が良く教えてあげると、、いとよくなりたまふ。 とあった。見違える音色を奏でるようになった。初めは朱雀院の希望によって、光源氏も仕方なく琴を手取り足取りということであったが、こうなって
くると話が違ってくる。光源氏の指導は熱を帯びてくる。対にも、そのころは御暇聞こえたまひて、 とあったように、紫の上に訳を話して対を不在にすることが多くなるけれどもと説明して、朝に晩につきっきりで教える。琴は琴でも琴の琴なので、その習得は生易しいものではない。女三宮は期待に応える上達ぶりを示す。これまでは光源氏の琴を堪能したのは明石での明石の君であった。
要するに光源氏の琴の音色を知るのはごく限られた人であった。このように紫式部は、女君一人一人に光源氏との特別な絆を用意している。少女のころから苦楽を共にしてきたのは紫の上だけ。
それだけに二人の絆は格別である。ここで女三宮との特別な関係が琴を介して生じた。このことは
周囲の関心を高めた。
今上帝の后・女御は皇子、女一の宮に次いで三人目の懐妊が分かった。
朗読② 今上帝の后・女御は妊娠五ヶ月位になっているので六条院に里帰りする。
五月ばかりにぞなりたまへれば、神事などにことつけておはしますなりけり。
解説
今上帝の后・女御は妊娠五ヶ月位になっているので六条院に里帰りする。
年末を控えてまた娘の女御の里帰りで忙しいのは六条院の女主・紫の上である。
朗読③ 紫の上は何かと指図しながら、「春にはこの琴の音を聞きたいものです」と言っている
間に新年になった。
年の暮れつ方は、対などにはいそがしく、こなたかなたの御営みに、おのづから御覧じ入るることどもあれば、「春のうららかならむ夕などに、いかでこの御琴の音聞かむ」とのたまひわたるに、年返りぬ。
解説
彼女こそが六条院の女主であることを示す描写である。そして歳末には音楽を楽しむ余裕はないので、すべては年が明けてからということになる。
「春のうららかならむ夕などに、いかでこの御琴の音聞かむ」とのたまひわたるに、年返りぬ。 とあった。
新春のうららかな夕べにとても上達したという女三宮の琴の音を楽しむ機会が欲しいという。年明け早々に、今上帝が父・朱雀院の五十の賀を催す。
そしてその少し先に女三宮は六条院人々にそのことを披露することになった。そしてそれはこんな
物語に発展していく。
朗読⓸ 光源氏はこういう。「対の上が聞きたがっているあなた(女三宮)の琴に
あの方々(紫の上、明石の君、今上帝の女御)達と合奏しましょう。今の名手たちも
及ぶ事はないでしょう。」
「この対に常にゆかしくする御琴の音、いかでかの人々の箏、琵琶の音も合はせて、女楽試みさせむ。ただ今の物の上手どもこそ、さらにこのわたりの人々の御心らひどもにまさらね。
解説
光源氏は女三宮にこう言った。「この六条院で各種楽器の競演を催してはどうでしょうか。楽器は琴
だけではなく、琵琶などと女君たちだけの女楽を開きましょう。
さらに光源氏は続いて言う。
朗読⑤
その昔よりも、また、このごろの若き人々のされよしめき過ぐすに、はた、浅くなりにたるべし。琴、はた、まして、さらにまねぶ人なくなりにたりとか。この御琴の音ばかりだに伝へたる人をさをさあらじ」とのたまへば、何心なくうち笑みて、うれしく、かくゆるしたまふほどになりにけると思す。二十一二ばかりになりたまへど、なほいといみじく片なりにきびはなる心地して、細くあえかにうつくしくのみ見えたまふ。「院にも見えたてまつりたまはで年経ぬるを、ねびまさりたまひにけりと御覧ずばかり、用意加へて見えたてまつりたまへ」と事にふれて教へきこえたまふ。
解説
光源氏は女三宮に言った。「その奏法を伝える人は今の世に殆どいない。この琴をあなたほど弾ける人はいない。自信をもって弾きましょう。」女三宮はこう言われてどんな顔をしていたか。
何心なくうち笑みて、うれしく、 宮は無邪気に笑って 、かくゆるしたまふほどになりにける 光源氏に認めて貰えるほどになったと思う。この後の女三宮の人生が幸せでなかったことを思うと複雑な気がする。
作者・紫式部はこうも書いている。二十一二ばかりになりたまへど、女三宮は二十を超えているのに、光源氏に褒められて嬉しそうにしているけれどそんな齢ではあるまいにと言っているようでもある。
今の文章で使われていた 片なり は充分に育ち切っていない感じ、きびは は、か弱さを現す言葉。
細くあえかにうつくしく は、体つきのことで、細くて消え入りそうな様子。小さくか弱くて可憐だという
こと。女三宮は初めて六条院にやってきた十四、五の頃のままである。女三宮のアンバランスを表現している。紫式部は女三宮をどこか突き放している感じである。こうした中で六条院では女楽が催される。主だった女性達が一堂に会して、と言っても当時は直接顔を合わせることはない。その様子は
廂の中の御障子を放ちて、こなたから他の御几帳ばかりをけぢめにて、中の間は院のおはします とある。
障子 (今の襖)を取り払って広い空間を用意する。ここに女君たちが一堂に会する。
そこで女君たちが直接顔を合わせないように、御几帳 (移動式パーティション)を用意して、隣の女性との間を隔ててそこに琴が並ぶ。その奏者はどんな様子であったろうか。
朗読⑥
内には、御褥ども並べて、御琴どもまゐりわたす。秘したまふ御琴ども、うるはしき紺地の袋どもに入れたる取り出でて、明石の御方に琵琶、紫の上に和琴、女御の君に箏の御琴、宮には、かくことごとしき琴はまだえ弾きたまはずやとあやふくて、例の手馴らしたまへるをぞ調べて奉りたまふ。
解説
六条院の女君たちの中では格落ちの感は否めないが、あの明石の君は欠かせない。明石の浦で
音楽に心を慰めてきた彼女は、琵琶の名人である。彼女には琵琶が割り当てられた。そして紫の上には和琴。大和琴、東琴と呼ばれる、日本でその演奏法が洗練された琴。宮中から退出してきた
女御は、箏の琴を奏でる。そして女三宮は琴の琴を奏でる。
女性四人と光源氏は部屋の中。その外側の簀子に調律師、批評家として夕霧が控える。女三宮には
宮には、かくことごとしき琴はまだえ弾きたまはずやとあやふくて、例の手馴らしたまへるをぞ調べて奉りたまふ。
女三宮には由緒ある名器ではなく、平素弾きなれている琴を調律して差し上げる。
この演奏会の様子はどうであったか。
朗読⑦ 調弦が整って合奏が始まると、明石の君の琵琶が見事である。紫の上の和琴には
感嘆せずにはいられない。大和琴にもこんな弾き方があったのだと。
御琴どもの調べどもととのひはてて、掻き合わせたまへるほど、いづれとなき中に、琵琶はすぐれて上手めき、神さびたる手づかひ、澄みはてておもしろく聞こゆ。和琴に、大将も耳とどめたまへるに、なつかしく愛敬づきたる御爪音に、掻き返したる音のめづらしくいまめきて、さらに、このわざとある
上手どもの、おどろおどろしく掻きたてたる調べ調子に劣らずにぎははしく、大和琴にもかかる手ありけりと聞き驚かる。深き御労のほど、あらはに聞こえておもしろきに、大殿御心落ちゐて、いとありがたく思ひきこえたまふ。
解説
まず人の心を捉えたのは琵琶の音色。明石の君である。
琵琶はすぐれて上手めき、神さびたる 年季の入った神々しきまでの弾きようであった。この音色は
澄みはてておもしろく聞こゆ。 何と澄んだ音色だろうと人々の心を打つ。
次いで大将(夕霧)の耳を捉えたのは紫の上の和琴。おなじみのありふれた楽器だが、紫の上の手にかかると にぎははしく、 華やかで、ぱっと花が咲いたような感じがする。紫の上の音色は
なつかしく愛敬づきたる御爪音に と書かれていた。なつかしく というのは子供が親になつくというという感じである。子供が自然と親にひきつけられように、人の心を引き寄せてしまう。不思議な魅力を表す言葉、それが なつかし である。現代語とはニュアンスが違う。音楽にも堪能な夕霧は、
大和琴にもかかる手ありけりと聞き驚かる。ハッとする。和琴にもこんな音色が出せるのか。これは
聞いたこともない音色だと、少女の時から光源氏に手取り足取りして教わった紫の上ならではの研鑽が流石と夕霧をうならせる。かつての先生、光源氏も 大殿御心落ちゐて、いとありがたく思ひきこえたまふ。
流石に紫の上だと感心し、なかなかこんな風に弾きこなせるわけではないと大いに満足する。
次の展開はどうなるのであろうか。
朗読⑧ 女三宮の箏はやはり未熟。しかし今習っているところなので危なげはない。
上手にはなっている。
箏の御琴は、物の隙々に、心もとなく漏り出づる物の音がらにて、うつくしげになまめかしくのみ聞こゆ。琴は、なほ若き方なれど、習ひたまふ盛りなれど、たどたどしからず、いとよく物に響きあひて、
優になりにける御琴の音かなと大将聞きたまふ。
解説
続いて箏は、女御にあてがわれた楽器。その音色は うつくしげになまめかしく とあった。明石の君、紫の上に比べて、年若い女御のことなので、うつくし は可憐な、 なまめかし はみずみずしくフレッシュで優雅ということで、女御にしか出せない彼女ならではの音色である。そして最後に女三宮の琴が人々の耳を捉える。みんな心配していたが、その予想を覆して、女三宮の琴の音は立派で
あった。堂々たるもの。習ひたまふ盛り とある。女三宮の琴は今が習いたて。
しかし堂々と弾いたのでうるさ型の夕霧も 優になりにける御琴の音かなと大将聞きたまふ。と感心してうっとりと聞いている。春の夜、六条院の女君たちの音楽会は、このようにして幕を閉じた。
若菜下の巻のピークともいえる印象的な風景であることは、この場面の次の文章からもわかる。
即ち肩の荷が下りてホッとした光源氏は、一人先に自分の部屋・春の町の東の対に帰っていった。
そこに残ったのは女三宮と、彼女を優しく労わる紫の上であった。その様子はまるで姉のよう、母の
ようというべきか。
朗読⑨
院は、対にわたりたまひぬ。上は、とまりたまひて、宮に御物語など聞こえたまひて、暁にぞ渡りたまへる。日高うなるまで大殿籠れり。「宮の御琴の音は、いとうるさくなりにけりな。いかが聞きたまひし」と聞こえたまへば、「はじめつ方、あなたにてほの聞きしはいかにぞありしを、いとこよなくなりにけり。いかでかは、かく他事なく教へきこえたまはむには」と答へきこえたまふ。
解説
紫の上と女三宮は今の場面で分かるように、ライバルどころか、紫の上は女三宮の母のよう、姉の
よう。光源氏が去った後も寝殿に残って、宮に御物語など聞こえたまひて 物語 というのは、親しく色々と語り合うという意味の言葉なので、紫の上は優しく心深く女三宮に色々と語りかけた。うまく弾きこなしたので、紫の上から労いといたわりの言葉。後から東の対に紫の上は帰ってくるが、光源氏は聞く。「女三宮の琴はどうでしたか」「はじめはどうかと思っていましたが、かなり上手になって」 優しい紫の上の心遣いである。紫の上が女三宮に色々と心砕いていることが、この後でも物語の終わりの方まで色々と書かれていく。
女三宮が六条院にやってきて六年が経った。当初は波紋が立ち、軋轢も生まれたが、紫の上の心遣い、愛で、二人の関係は良好で、六条院全体が円満である。この穏やかで幸せな時期は永遠に続くかに見えた、若菜下の巻の有名な場面、女楽の解説と鑑賞に費やされた今回の放送も終わりに近い。楽会は最高の一幕と言って良いが、この後の展開を予想できるか。この場面を境に世界は暗転。人々がどん底を味わうとは。
次の講義で話す。
「コメント」
ハイ、今日の源氏物語の紙芝居は終わり。来週また来てね。放送の区切り方は絶妙。
それはまず、「源氏物語」がすごいからだけど。