260208㊺柏木の巻(1)
前回の続きで若菜下の巻の終わりの部分を取り上げるところから今日の講義を始める。女三宮との密通を光源氏に知られたと思う柏木はあわせる顔がない。かつてはしばしば訪れ、光源氏から歓待された六条院には足が遠のくばかりであったが、しかしそうも言っていられないことになった。きっかけは当初二月にとなっていた朱雀院の五十の賀。そのために童舞が企画され、その試楽・予行演習が六条院で行われる。その試楽と、病がどうにか落ち着いた紫の上、これを機会に宮中からは光源氏の娘・紫の上と共に育て上げた女御も、丁度六条院にお産で帰っていた。彼女は女楽で筝の琴を披露した。生まれたのは今度は皇子。髭黒の妻の玉鬘もやってくる。久し振りに活気と賑わいを取り戻した六条院。上達部が集まる中、注目を集めるのは子供たちである。
それに先駆け、光源氏は柏木に丁重に誘いの手紙を送っている。
朗読① 何か気兼ねしているのではと、光源氏はわざわざ手紙を送る。
思ふ心のあるにやと心苦しく思して、とりわきて御消息遣わす。
解説
光源氏が柏木に声を掛けたのは、女三宮と通じたことを厳しく咎めようというのではない。このまま引っ込んでいたら、周囲の人がいよいよおかしいということになろう。今はいいが、今後柏木が自分や人目を避けていくことは出来ない。
それで丁重な誘いの 御消息 を送るのである。まさに渡りに舟と思ったのは、父の大殿・昔の頭中将。重い病でもないのに、息子柏木はどうした事かと思っていたので、六条院・光源氏の下に行くが良いと促す。
子供の事でどうしたのだろうと首を傾げる人がもう一人いる。朱雀院である。同じころ、女三宮にも何かあるのではと胸騒ぎがしていた。
朗読②
対の方のわづらひけるころは、なほ、そのあつかひにと聞こしめしてだに、なま安からざりしを、その後なほりがたくものしたまふらむは、そのころほひ便なきことや出で来たりけむ、みづから知りたまふことならねど、よからぬ御後見どもの心にて、いかなることかありけむ。
解説
私の女三宮は六条院で何かまづぃことでも起こしたのではないか。紫の上が病に倒れた時は、光源氏がそちらに付きっ切りというのは分からなくはない。紫の上はまずまず回復したという。それなのに女三宮と光源氏の関係がよそよそしいらしい。女三宮が何かしたのではないか。以上の事があって六条院の童舞が開幕する。光源氏はその日、漸く顔を見せた柏木に、これまでと変わらぬ態度で接した。朱雀院の五十の賀をこの童たちの前でお祝いするのであり、今日はその試楽であるが、光源氏は柏木に童たちに指導するように依頼する。
しかし柏木は顔を上げられない。
朗読② 光源氏は柏木に言う。「御賀と言ってもこの一族に育った子供達を朱雀院様に御覧に
入れようと、指導をあなたにと思ってお呼びしたのです。」光源氏には何の拘りもない
ので、柏木はいよいよ顔も上げられない。
御賀などいへば、ことごとしきやうなれど、家に生ひいづる童べの数多くなりにけるを御覧ぜさせむとて、舞など習はしはじめし、そのことをだにはたさんとて、拍子ととのへむこと、また誰にかはと思ひめぐらしかねてなむ、月ごろとぶらひものしたまはぬ恨みも棄ててける」とのたまふ御気色の、うらなきやうなるものから、いといと恥づかしさに、顔の色違ふらむとおぼえて、御答へもとみにえ聞こえず。
解説
柏木の前にあるのは今までと何も変わらない光源氏の温顔。御気色の、うらなきやうなるもの とある。うらなき は表も裏もないという意味。何もなかったような態度で接している。
柏木は いといと恥づかしさに、顔の色違ふらむとおぼえて、御答へもとみにえ聞こえず。
光源氏がそうであるからこそ、柏木はいよいよ気が引けて返事のしようがない。そのような光源氏と柏木を前に、童たちの舞が始まる。
年老いた上達部たちは感激して涙をこぼしている。そこであの有名な場面、光源氏の振舞いが描かれる。
朗読⓸
主の院、「過ぐる齢にそへては、酔泣きこそとどめがたきわざなりれけ。衛門督心とどめてほほ笑まるる、いと心恥づかしや。さりとも、いましばしならむ。さかさまに行かぬ年月よ。老は、えのがれぬわざなり」とてうち見やりたまふに、人よりけにまめだち屈じて、まことに心地もいとなやましければ、いみじきことも目もとまらぬ心地する人をしも、さし分きて空酔ひをしつつかくのたまふ、戯れのやうなれど、いとど胸つぶれて、
解説
誰に対して言うというのではなくて、その場に居合わせた人々に対して。年を取って酔うとつい涙もろくなるもの。酒を口にして涙を浮かべるこの私を若き衛門督たちは微笑んで見ている。年を取るのは免れないことだよと言う。それは
戯れのやうなれど、 とあるが、冗談を言うかのような口振りであったが、しかしその目は笑ってはいなかった。柏木を睨みすえた。にらまれた柏木は二度と腰が立たなくなった。以来彼は死出の旅路を急ぐことになった。光源氏とはなんと恐ろしい人。だがこのようには、物語には書かれていない。
このことに大いに注意したい。
色々な本や、「源氏物語」のダイジェスト本にも、若菜下の巻の所で、光源氏は柏木を睨み据えて、柏木はそのために死ぬことになったと書いてある。そう思っている人は多い。しかし「源氏物語」そのもの、紫式部の文章には、光源氏は柏木の方を うち見やりたまふ とあるだけである。チラッと見ただけ。目の前の童たちの可憐な姿に、並み居る年配の上達部と同様、光源氏も感激して涙を禁じ得ない。
過ぐる齢にそへては、酔泣きこそとどめがたきわざなりれけ。 と 子供たちの若々しさに対して、寄る年波につれて、酔い泣きの涙は止まらない。と自嘲気味に素直に言葉を口にして、そして柏木の方を うち見やりたまふ。チラッと柏木の方に視線を送った。それが「源氏物語」において紫式部が描いたことである。それが後世、光源氏が柏木を睨み殺したということになっていたのは何故か。それは鎌倉時代からの事。「無名草子」にある。作者は王朝の文学作品をよく読んでいて、それを批評した書物である。架空の人物を登場させその人物を通じて、「源氏物語」やその他の物語について、あれこれと言わせる。架空の対談集である。
この架空の人物は光源氏に限らず、柏木であろうと夕霧であろうと、「源氏物語」の登場人物を次々と批判する。多く対象になったのは光源氏。今の文章でも、架空の人物にこう言わせている。
朗読⑤ 無名草子の一節
女三の宮まうけて若やぎ給ふだにつきなきに、衛門督のこと見あらはして、然ばかり怖ぢ憚りまうでぬものを、強ひて召し出でてとかく言ひまさぐり、果てには睨み殺し給へるほど、むげに怪しからぬ御心なりかし。すべて斯様のかたに、つしやかなる御心のおくれ給へりけるとぞ覚ゆる。
解説
光源氏という男はとんでもない人だ。光源氏は、柏木が
然ばかり怖ぢ憚りまうでぬものを、強ひて召し出でてとかく言ひまさぐり、果てには睨み殺し給へるほど程、むげに怪しからぬ御心なりかし。
あれだけ怯え、六条院に行くのを嫌がっていた柏木を 強ひて召し出でてとかく言ひまさぐり ああでもないこうでもないと嫌味たっぷりに弄んだ挙句、睨み殺し給へる。睨み殺したのだから、光源氏は全くひどい男だ。無名草子の批評の態度は、登場人物のアラを探し出して論って面白がっているのである。原作にもないことを勝手に解説することで知られている。光源氏が柏木を睨み殺したという説は、この無名草子の中から出てきている。
光源氏は実際には柏木を許している。自分のしてきたことを考え、一方的に非難することなど出来ないと考えていた。
そして光源氏は柏木に、世間に出てくる機会をさえわざわざ用意していたのである。年長者として広い心と大きな器を見せていた。しかし柏木が全く別の受け止め方をしたのも事実である。
柏木はそれ以前からあるものを強く意識していた。密通後の柏木の心理である。
朗読⑥ 密通は大罪には当たらないとしても、光源氏に睨まれ疎んじられるということは実に
空恐ろしいことと思う。
しかいちじるき罪には当たらずとも、この院に目を側められたてまつらむことは、いと恐ろしく恥づかしくおぼゆ。
解説
自分のしたことは大罪になるようなことではないが、しかし光源氏に 目を側められたてまつらむこと
睨まれ疎んじられることは恐ろしく面目ないと思っていた。
次の文章にもある。女三宮に通じたことが、光源氏に知れてしまったと柏木が知った時の事。
朗読⑦ このことが感づかれるかもしれないと思うだけで、天の目に見張られているかのように
思った。
あり経れば、おのづからけしきにても漏り出づるやうもやと思ひしだにいとつつましく、空に目つきたるやうにおぼえしを、
解説
天の目に見透かされているのではないか。柏木は光源氏の目、更には空の目にじっと見られているのではないかと思う。
またこんな風にも思っていた。
朗読⑧
年ごろ、まめ事にもあだ事にも召しまつはし、参り馴れつるものを、人よりはこまやかに思しとどめたる御気色のあはれになつかしきを、あさましくおほけなきものに心おかれたてまつりては、いかでかは目をも見あはせたてまつらむ、さりとて、かき絶えほのめき参らざらむも人目あやしく、
解説
こまやかに思しとどめたる御気色 大切に慈しんでくださったのに、その光源氏に今更目を合わせることも出来ない。
このまま六条院に行かないのは、人目あやしく 人に不審に思われるだろうし、一体どうしたら良いのか。そして具合が悪くなって、宮中にも出仕しなくなった。柏木の心理を描く文章に、目 という文字が多く出てくる。目 への恐怖。そうした彼にとっては、彼であったからこそ、六条院の童舞で光源氏から うち見やり チラッと視線を送られただけで衝撃を受け、二度と再び起き上がることが出来なくなる。思い込みの強さと繊細さ、一人合点の一途さが目立つ。
柏木の告白を聞こう。ここからは 柏木の巻 である。
朗読⑨ 幼い時から人より抜きんでようとしたが思うようにはならない。自分の無力に気づいて
俗世を捨てたいと思うようになる。そうして心を紛らわせてきた。
いはけなかりしほどより、思ふ心ことにて、何ごとをも人にいま一際まさらむと、公私のことにふれて、なのめならず思ひのぼりしかど、その心かなひがたかりけりと、一つ二つのふしごとに、身を思ひおとしてしこなた、なべての世の中すさまじう思ひなりて、後の世の行ひに本意深くすすみにしを、親たちの御恨みを思ひて、野山にもあくがれむ道の重き絆なるべくおぼえしかば、とざまかうざまに紛らはしつつ過ぐしつるを、
解説
覚悟したかの如き柏木は自分の半生を振り返ってこのように述懐する。いはけなかりしほどより 幼い時から
何ごとをも人にいま一際まさらむと、公私のことにふれて、なのめならず思ひのぼりしかど
人より抜きんでようと思い、自分を頼むところは大きかった。しかしそれが思うようにはいかないことが一つ二つと出てくる。具体的には分からないが、人生がすべて思う通りにはならないことを経験した。
若い時には根拠のない自信と、自分は取るに足りないものだというコンプレックスに苛まれるものである。しかし彼は現実の世の事ではなく、後の世の行ひに本意深くすすみにしを、 出家の思いを考えようになった。
しかしそれが、親たちの御恨みを思ひて、野山にもあくがれむ道の重き絆なるべくおぼえしかば、
しかしそれは親の嘆きを思うと、山野に出家の道を求めることは出来ない。彼にはこうした線の細さがあった。それが世間の目、そして光源氏の目に恐怖させたのである。
漸く家に帰った彼は、死の床で力を振り絞って、女三宮に文を書く。
朗読⑩ 「私を焼く煙はくすぶって、諦められない思いはこの世に残ることでしょう」せめて
かわいそうと思って下さい。
「今はとて 燃えむ煙も むすぼほれ 絶えぬ思ひの なほや残らむ
あはれとだにのたまはせよ。心のどめて、人やりならぬ闇にまどはぬ道の光にもしはべらむ」と聞こえたまふ。
解説
歌の意味は、今はとて 燃えむ煙も むすぼほれ 絶えぬ 儚い煙となって天に昇っていく私に対して、あはれとだにのたまはせよ。せめて哀れの言葉だけでも頂きたい。それを頂いたらこれから死の旅路に赴こうとするわたしの道行きを照らす光にして行きます。
しかしそれに対して女三宮は返事を書こうとしなかったが、小侍従がやっと女三宮からの形ばかりの返事を貰ってきた。そして柏木はもう一度、文を書いた。
朗読⑪
御返り、臥しながらうち休みつつ書いたまふ。言の葉のつづきもなう、あやしき鳥の跡のやうにて、
「行く方なき 空の煙となりぬとも 思ふあたりを 立ちは離れじ
夕はわきてながめさせたまへ。咎めきこえさせたまはむ人目をも、今は心やすく思しにりて、かひなきあはれをだに絶えずかけさせたまへ」
解説
御返り、臥しながらうち休みつつ書いたまふ。女三宮への返事を横になりながらやっと書く。
言の葉のつづきもなう、あやしき鳥の跡のやうにて、
筆も休み休みで筆もおかしな鳥の足跡のように書きつけてある。
行く方なき 空の煙となりぬとも 思ふあたりを 立ちは離れじ
歌の意味。「私は死んだとしても煙となって漂うでしょう。哀れに思って下さい。この文に女三宮の返事はなかった。彼女はそれどころではなかった。お産である。
朗読⑫
宮はこの暮つ方より、なやましうしたまひけるを、その御けしきと見たぬてまつり知りたる人々騒ぎ満ちて、大殿にも聞こえたりければ、驚きて渡りたまへり。御心の中は、あな口惜しや、思ひまずる方なくて見たてまつらましかば、めづらしくうれしからまし、と思せど、人にはけしき漏らさじと思せば、
解説
その日の苦しみ始めた女三宮。光源氏も駆けつける。光源氏の心の中は複雑である。我が子であれば、どれ程良いか。
あな口惜しや、思ひまずる方なくて見たてまつらましかば、めづらしくうれしからまし、とあったのはそうした意味である。
光源氏は、人にはけしき漏らさじと思せば、 そうした思いを人に知られまいとする。
朱雀院は女三宮が六条院で何か問題を起こしたのではないかと心配している。
第二部の光源氏は様々な人の思いに心を砕いて全て飲み込む人、堪える人として描かれることが多くなる。
そして安産の祈祷を行う。
朗読⑬
夜一夜なやみ明かさせたまひて、日さし上がるほどに生まれたまひぬ。
解説
皇子の誕生。それと同時に一人の男(皇子の本当の父)の命が絶えようとしている。
「コメント」
講師の区切りはまさに絶妙。柏木の人生の終焉をまとめ切っている。素人には実に分かり易い。