260301㊽鈴虫の巻
今日は前回途中で終わった横笛の巻と続く鈴虫の巻を取り上げる。前回話したように、夕霧の夢に柏木が現れた。夕霧は光源氏の下に行く。生前の柏木は夕霧に、「あなたの父上六条院に私の許しを請うて欲しい」と言っていた。
夕霧は六条院で光源氏と対面する。まずはこの横笛ですがと、柏木の霊が夢に現れたことを光源氏に話した。光源氏にはさほど驚くでもなく、落ち着き払った様子でこんな風に応じた。
朗読①
いとよきついで作り出でて、少し近く参り寄りたまひて、かの夢語を聞こえたまへば、とみにものものたまはで聞こしめして、思しあはすることもあり。「その笛はここに見るべきゆゑある物なり。
解説 近くに寄って、光源氏に夢の話を申し上げると黙って聞いている。そして「笛は預かって
おく」という。
「その笛は私が預かっておきましょう。」夕霧は「父上、その訳は」と聞きたいところであるが、口を出すわけにはいかなかった。それ以上聞いてはいけないような気持がした。笛の話だけではなく、病床での柏木が光源氏にとりなしを願っていたことを口にして、少しは探りを入れてみようと思ったが、光源氏は言葉すくなである。光源氏は、察しのいい夕霧の事だ、何か気付いている事もあるかも知れないと思いつつ、この話はそれ切りにする。夕霧と光源氏が対面して、柏木の事、横笛の事、について言葉を交わす。心の中は夫々思うところはあるが、しかしそれを言葉に出す事ではない。
この二人の側で子供たちが元気に遊んでいる。光源氏の娘の女御が生んだ子供達である。その中にもう一人の子がいる。この男の子を見た夕霧の気持ちになって聞こう。
朗読② 目じりなど柏木によく似ている。
なま目にとまる心も添ひて見ればにや、まなこゐなど、これはいますこし強う才あるさままさりたれど、眼尻のとぢめをかしうかをれるけしきなどいとよくおぼえたまへり。
解説
いとよくおぼえたまへり。 おぼえ は亡き柏木によく似ているということ。目じりの辺りがよく似ている。夕霧の疑いはいよいよ深まる。柏木の印象には目がついて回る。横笛の巻の最後、光源氏と
夕霧の対面の場面のすぐ前には、このような情景があったことも記憶してほしい。
そういう訳で横笛の巻は終わって、鈴虫の巻に入る。
朗読③ 女三宮の持仏の開眼供養があった。光源氏が企画し紫の上が準備をした。
夏ごろ、蓮の花の盛り、入道の姫宮の御持仏どもあらはしたまへる供養せさせたまふ。このたびは、大殿の君の御心ざしにて、御念誦堂の具ども、こまやかにととのへさせたまへるを、やがてしつらはせたまふ。幡のさまなど、なつかしう心ことなる唐の錦を選び縫はせたまへり。紫の上ぞ、いそぎさせたまひける。
解説
ここは女三宮の開眼供養の風景。それが沢山の人々が集まって盛大に催された。日ごろから身近に置いて信仰する仏像に魂を入れる儀式。それが沢山の人々を集めて、六条院で行われた。季節は夏、六条院の池には蓮の花盛り。
どこか極楽を思わせる雰囲気。入道の姫宮の御持仏どもあらはしたまへる供養せさせたまふ。女三宮がいよいよ仏道に精進するということであるが、女三宮の存在感は薄い。
このたびは、大殿の君の御心ざしにて、と書かれているように、企画は光源氏。準備とか装いこそが仏に生きる覚悟を示すものであるから女三宮の存在が欠かせないが、その準備は
紫の上ぞ、いそぎさせたまひける。
紫の上が周到な準備をしたのである。女三宮はどこにどうしているのか。この先にこう書いてある。
宮は、人気に圧されたまひて、いと小さくをかしげにひれ臥したまへり。なんとも心許ない女三宮。何もかも周囲に任せっぱなし。この先どうするのだろうと心配になる。
光源氏は当日の法会のことを説明しながら女三宮に言葉をかける。
朗読④光源氏は言う。このような開眼供養をしようとは思いもしなかった。せめてあの世では
一緒に暮らしましょうと。
「かかる方の御営みをも、もろともにいそがんものとは思ひよらざりしことなり。よし、後の世にだに、かの花の中の宿に隔てなくとを思はせ」とて、うち泣きたまひぬ。
はちす葉を 同じ台と 契りおきて 露のわかるる 今日ぞ悲しき
解説
若いあなたは出家して、私は俗世にある。こんな風に法会に臨むことになろうとは思いもしなかった。せめて来世では、 かの花の中の宿に隔てなくとを思はせ」とて、うち泣きたまひぬ。
一蓮托生。この世で契りを結んだ夫婦は、死後も蓮の花の中で先に死んだ者が後に来る者のために半分の座を空けて待つのである。光源氏は「この世でこうして結ばれたあなたと私。来世でも夫婦としての縁は続くのですから。」ということで和歌を扇に書きつける。
はちす葉を 同じ台と 契りおきて 露のわかるる 今日ぞ悲しき
来世でも同じ蓮の花でお会いしましょうと誓ったあなたの私。にも関わらず今日、こうして別れをした。出家をしたあなたと、俗世のままの私。露の分かれるように隔て合っている。光源氏はこのことが悲しいと本当に思っている。
これに対する女三宮。例によって気の利いたことも言えず、光源氏に応じることもできずにダンマリと思ったら、さにあらず。こう返す。
朗読⑤
宮、
へだてなく はちすの宿を 契りても 君が心やすまじとすらむ
と書きたまへれば、「言ふかひなくも思ほし朽すかな」と、うち笑ひながら、なほあはれとものを思ほしたる御気色なり。
解説
来世も蓮の中で一緒にと仰る貴方ですが、君が心やすまじとすらむ すまじ は掛詞。心が澄む
水が澄むの澄むと、共に住む の二つの意味。出家していない貴方の心はまだ澄んでいない。私と共に極楽の花の上に住むことはないでしょう。随分ビシッと光源氏に言ったものである。私たちは少し
女三宮を見くびっていたのかも。自分の意志もなく、周囲に寄りかかる心細い人と思い込んでいた。出家した女三宮は今までとは違う描かれ方をされる。彼女は光源氏に言う。
君が心やすまじとすらむ 一蓮托生などと仰るけれど、あなたにその気はないでしょう。その人は別にいらっしゃるので。これに対して光源氏は
「言ふかひもなくも思ほし朽すかな」と、うち笑ひながら、なほあはれとものを思ほしたる御気色なり。
このようにこの辺りから女三宮は、時にはドキッとする言葉を口にする、子供のような人として描かれるようになる。
その一方、出家者としてあるまじき言動や、無邪気な子供のような人として描かれる。例えば次のように。
朗読⑥
琴の御琴召して、めづらしく弾きたまふ。宮の御数珠引き怠りたまひて、御琴になほ心入れたまへり。
解説
秋八月の風景。光源氏は久しぶりに琴を弾き奏でる。琴は女三宮にとって特別な楽器である。若菜の巻で、父朱雀院の五十の賀で披露するなど一時は熱心に稽古していた女三宮。彼女は琴のことになると夢中になる。
御琴になほ心入れたまへり。その前には 御数珠引き怠りたまひて、とあった。
出家者としてはあるまじきこと。その心はまだ俗世にとらわれていることが良く分かる所である。今日は宮中で月の宴があるようであるが、光源氏はもう出向くことはない。宮中で宴となると六条院は人影も疎らで寂しいと思ったらそうでもない。何かの障りで宮中の宴は中止になった。それではと、夕霧や兵部卿宮、光源氏の弟の蛍宮・・・・が六条院に詰めかける。
宴は型通りに進んでいたが、光源氏が折角だから今宵は鈴虫の宴にしたいと提案する。六条院は音の良い虫たちの宝庫なのである。ここは六条京極にあり、田舎でもないのにどうして虫の音が豊かなのであろうか。かつての斎宮女御・母はあの六条御息所。彼女が伊勢の斎宮を退いたのちに、光源氏は自分の秘密の息子・冷泉帝の下に入内させた。
それで彼女は斎宮女御と呼ばれるようになる。別名 秋好中宮、梅坪女御とも。
彼女は夫の冷泉帝が退位して冷泉院となったので宮中を出て、上皇御所で静かに暮らしている。
彼女は昔住んでいた六条院にこんな工夫をしていた。その趣向は光源氏女三宮にかけるこんな言葉で明らかになる。
朗読⑦ 鈴虫が鳴いているのは華やかである。光源氏は「秋好中宮が松虫を集めて放たれた
ことがありましたが、そのまま鳴き続けるのは少なかったそうです。
鈴虫のふり出でたるほど、はなやかにをかし。「秋の虫の声いづれとなき中に、松虫なんすぐれたるとて、中宮の、遥けき野辺を分けていとわざと尋ねとりつつ放たせたまへる。しるく鳴き伝ふるこそ少なかなれ。名には違ひて、命のほどはかなき虫にぞあるべき。心にまかせて、人聞かぬ奥山、遥けき野の松原に声惜しまぬも、いと隔て心ある虫になんありける。鈴虫は心やすく、いまめいたるこそらうたけれ」などのたまへば、
解説
秋好中宮は秋の風情を愛し、自分が里下がりする六条院に松虫を放った。わざわざ郊外で集めた
松虫。光源氏は女三宮にこういう。「松虫の命は儚いもの。そしてその声を惜しむかのように人里離れた山里などで、美しい音色を奏でるのもなんとも勿体ぶっているようで、私は好きになれない。その点、鈴虫は声も華やか、人里離れた山里でひっそりと鳴く松虫と違って声を惜しむことなく愛すべき虫である。鈴虫というこの巻の名前は、ここから取られたものであるのか。
こんな経緯があって、光源氏は六条院で鈴虫の声を愛でて、鈴虫の宴を心ゆくまでお楽しみくださいと言う。ここで当初の月の宴から全てが模様替えとなった。
全員が盛り上がっている中に、ここで冷泉院・斎宮女御の夫・冷泉院から光源氏にお誘いがあった。「わが御所においでになりませんか」 そこで光源氏は冷泉院に向かうことになる。夕霧も蛍宮も。光源氏は久しぶりの外出であるが、人々は冷泉院で久しぶりに旧交を温め、楽しい一夜を過ごす。ここで終わると鈴虫の巻は何と代わり映えのない巻ということになる。ここ一連の巻では、柏木の死、女三宮の出家、紫の上の病、そんな人たちの病や老いや死や出家、そんな重い話題が続く一連の物語の中で、月の宴、鈴虫の宴そして冷泉院での宴。そんな中でなぜ紫式部は鈴虫の巻を書いたのであろうか。この巻は主題がはっきりしないし、なくてもいいような印象である。著名な翻訳家は、この巻を
カットしてしまった。しかしこの巻が無かったら困るのである。光源氏が巻の後半で冷泉院に行かなかったら、次の場面はなくなってしまう。光源氏は冷泉院と久しぶりに会って言葉を交わす。この秘密の親子の会話の風景は、物語にはあまり書かれていない。むしろ作者が筆を割くのはその先。
冷泉院と言葉を交わした光源氏は、一人座を離れてある人の所に行く。そこで故人を偲んで光源氏も涙を流す。赴いた先とは、光源氏を待っていた人とは。二人が涙の内に偲んだ人とは。
朗読⑧
六条院は、中宮の御方に渡りたまひて、御物語など聞こえたまふ。「今はかう静かなる御住まひにしばしば参りぬべく、何とはなけれど、過ぐる齢にそへて忘れぬ昔の御物語などうけたまはり聞こえまほしう思ひたまふるに、
解説
冷泉院にやってきた光源氏は、久し振りに言葉を交わした人。それは斎宮女御と呼ばれる人。
秋好中宮。彼女は今は退位した冷泉院と上皇御所に住む。光源氏は 今はかう静かなる御住まひにしばしば参りぬべく 「本当はもっと参上しなければならないのですが、年をとってついついご無沙汰して申し訳ありません」という。
中宮はある人の事を語り始める。
朗読⑨
御息所の、御身の苦しうなりたまふらむありさま、いかなる煙の中にまどひたまふらん、亡き影にても、人に疎まれたてまつりたまふ御名のりなどの出で来けること、かの院にはいみじう隠したまひけるを、おのづから人の口さがなくて伝へ聞こしめしける後、いと悲しういみじくて、なべての世の厭はしく思しなりて、仮にても、かののたまひけんありさまのくはしう聞かましきを、まほにはえうち出できこたまはで、
解説
秋好中宮が光源氏に涙交じりに語ったこと。それは亡き母・六条御息所のこと。死霊として人々の前に姿を現し、六条院の人々、光源氏に次々と災厄を齎してきたこと。そのことが娘の中宮から光源氏に話される。今も死霊となって人々に疎まれていることを、娘の中宮は人々の噂で知ったのである。そして亡き母への思いを切々と語る。そして私は母の菩提を弔いたいと、自らの出家を仄めかす。
みづからだにかの炎をも冷ましはべにしがなと (次の文章にある)
せめてこの私が、母の地獄の業火の熱を自ら冷ましてあげたい。
光源氏は中宮のお気持ちはよく分かったと言いながら、今すぐの出家などは思い直すようにと諭す。この後、秋好中宮は俗世で母の供養をしながら過ごす。
光源氏に思いを語ったことで中宮の心は救われた。この場面があったことで、六条御息所が救われたのである。この場面が無かったら、六条御息所は数々の場面で昔のような忌まわしい存在としての印象を晒し続けることになっていたであろう。中宮のお陰で六条御息所は救われ、読者の心も軽くなる。もしこの場面がなかったら、六条御息所の人生は何と救いのないことであったろうか。
確かに小さな主題ばかりで掴み難い巻であるが、この巻を存在させる理由はあった。
「コメント」
もう一方の主役・六条御息所はこうして消えていく。