文学の世界「鴨長明と方丈記~波乱の生涯を追う」
講師 浅見 和彦(成蹊大学名誉教授)
161222⑫「鴨長明にとっての家族」
隠遁者としての鴨長明にとっての家族を考えるときに、彼の作品から色々な関係を見てみる。
「家族との関係の例」
・先週話した入間川洪水
長明鎌倉下向の直前に、武蔵国入間川で大洪水。村長と下人は家が流され始めたので、濁流に
飛び込み泳いで助かる。この時、自分が助かる為に妻子を見捨ててしまう。その後の嘆き。
・補陀落渡海
南海上にあるという観音菩薩が住むという補陀落浄土。ある人が妻や子がいるのに、補陀落渡海
をすると決心した。
そして言う「私は決意を固めている。止めようはないぞ。」家族は、彼の小舟が沖に消えていくのを
立ちすくんで見ているだけ。有名なのは紀州那智の、補陀落山寺。渡海した人たちの墓標が
残っている。
・九州の大地主
実りの秋の頃、この男はふと、この幸せが何になるのか感じる。こういう安穏な生活を止めて、
隠遁しようと決意。
家族を捨ててそのまま、京に向かう。急を聞いて娘が駆け付けて、袖を捕まえて何故行くのかと
問う。「私達を捨てて何処へいくのですか。」すると男は、刀を抜いて自分の髪を切ってしまう。
これに驚いた娘は、泣きながら逃げ帰ってしまう。家族の悲痛な呼びかけに答えず、男は自分の
意思を通す。探索によって男が高野山に居ることが分かる。
両親・妻・子が会いに行くが、女人禁制なので麓の天野で会う。そこで男は言う「今から後は、
たとえ訪ねて来ても二度と会うことはない。これを今生での最後とする。この世で会っていたって
いつまでも生きている訳ではない。
死は逃れがたいので、必ず別れはある。」家族は全く納得しないで帰ることになる。
しかし成人した娘は、高野山の麓に住んで、父の世話をしたという事だ。見栄を切ったが、
締まらないおやじ。
・木こりの息子の話「発心集」より
近江の山里の話。年を取った父と息子が山仕事に行く。父は手を休めて落葉を見て、自分と同じだと思う。そして言う{「生きていくのもこれまででいいだろう。自分は家に帰らないで、山の中で
命を終わりたい、お前は帰りなさい。」
息子は「一人では無理です。私もご一緒します」そうして、二人で山暮らしをして父は往生した。
これも締まらない。
・長明の考え方「方丈記」の一節
「総じて、生きにくいこの世を耐え忍んで暮らしてきて、心を悩まし続けていたこと、三十年余りで
]あるその間、その時々の挫折によって、自然と自分の不幸な運命を悟った。
もともと妻子がいないので、捨てにくい縁者もいない。
自分には官位も俸禄もないので、何に対して執着を残そうか。執着するものは何もない。」
「長明の家族感」
色々な作品から見ると、長明は家族愛・夫婦愛に強く引かれているが、それは限りのあることだから仏の道に進まねばならないと説く。この二つの間を揺れているように見える。本音は、家族が側に
いて面倒を見てくれるのを理想として、持っていたのではないか。
「コメント」
現役の男が、突然隠遁したいと言い出す。どこか、気分としてはよく理解できるが、普通の男はそこまでしないだけ。
どうして男だけなのか、女は言いださないのか。それにしても、家族としては、昔は今と違って
大黒柱だけに降ってわいたような災難。しかし、男は啖呵を切った様にカッコよくは生きられない。
自分で言っているように、長明は、最初から何も執着するものがないので勝手放題。
一説によると、妻子がいたという。そうすると殊更に、執着がないというのも強がり?。