211014②「妻の死を悼む歌」
前回は以下の事を述べた。
万葉集の性格。家持は年代順に歌が並んだ万葉集のなかでも、最後の方に位置する歌人である。特に巻17-20という一番新しい歌を収めた部分は、ほぼ家持の歌が日付順に並んでいる。それで、この部分は「家持歌日誌」と呼ばれる。
万葉集の初期の時代には、素朴と言われるような天皇の歌が多いが、家持の歌は非常に繊細で
考えた歌である。連作の様な構成を持った歌もある。次第に日付を付け乍ら、歌を作るようになっていく。
今回は「妻の死を悼む歌」という事で話をする。
亡妻悲傷歌という大きな歌類の中で、巻3の挽歌の部にある。家持の若い頃の歌が残っている。
家持は養老2年(718年)生まれ。父大伴旅人。旅人の年取ってからの子である。天平3年家持14歳の時に父は没する。
そこからは旅人の異母妹大伴坂坂上郎女に育てられる。歌を作り始めたのが、天平5年16歳。
天平11年(739)22歳で妻を亡くす。
それを悲しんで作ったのが、巻3の挽歌である。連作4首
巻3 462 秋風とか、夜が長いというのは、秋の風物、定番の言い方。
今よりは 秋風寒く 吹きなむを いかにか 独り 長き夜を寝む
きっとこれからは、秋風の寒い季節になるだろう。どの様にして長い夜を独り寝たらいいのだろう。
巻3-463 弟書持がこれに応えた歌 妻は大伴一族の女性だったのだろう。弟・書持も良く知っていたのであろう。
長き世を ひとりや寝むと君が言へば 過ぎにし人のおもほゆるらくに
秋の夜長の一人寝を憂うあなたの言葉を聞くと、あの人の事が思い出される。
巻3-464
秋さらば 見つつしのへと 妹が植えし 宿のなでしこ 咲きにけるかも
秋になったら、これを見て私を偲んでと、妻が植えた撫子が庭に咲いていることよ。
巻3-465
うつせみの 世は常なしと 知るものを 秋風寒み 偲びつるかも
この世が儚いものだとは知っていたが、秋風が寒いので妻の温もりを思い出す
又、長歌も作っている。
巻3-466 家持はこういう無情の歌を多く歌う傾向がある。その最初の例である。長歌及び反歌三首
わが宿に 花ぞ咲きたる そを見れば 心もゆかず はしけやし 妹がありせば 水鴨なす ふたり並び居
手折りても 見せましものを うつせみの 借れる身なれば 露霜の 消えぬるがごとく あしひきの 山道さして
入日なす 隠りにしかば そこ思ふに 胸こそ痛き 言ひもえず 名づけも知らず 跡もなき 世間にあれば
為むすべもなし
私の家に花が咲いている。それを見ても気が優れない。美しい妻がいれば、鴨のように二人並んで花を手折れるものを。
この世で空しいものなので、露や霜のように消えてしまうように、山道をそして日が消えていくように、妻が消えてしまったので、そのことを思うと胸が痛い。何とも言えないし例えようもない、儚いこの世だから仕方ないのだ。
巻3-467 反歌
時はしも 何時もあらむを 心痛くい 行く我妹が みどり子置きて
人間はいつか死ぬものであろうが、幼子を残して死んだ妻が哀れでならない。
巻3-468
出でて行く 道知らませば あらかじめ 妹を留めむ 関も置かましを
家からあの世に行く道を知っていたならば、予め妻を行かせないために、関を設けておくのに
巻3-469
妹が見し やどに花咲き 時は経ぬ 我が泣く涙 未だ干なくに
妻が見た庭に花が咲いて、時は経った。 でも私の涙は、その日から乾いていない。
家持の歌は見たままよりは、もっと創造的。自分で再構成している。
悲傷未だやまず、また作れる歌五首
巻3-470
かくのみに ありけるものを 妹もわれも 千歳のごとく 憑みたりけり
別れ別れになる運命だったのに、妻も私も千年も生きる様に思っていた。
巻3-471
家離り います吾妹を 停めかね やまかくしつれ つつろどもなし
妻が家から離れていくのを止め切れず、山に隠してしまった。気持ちが虚ろになってしまった。
巻3-472
世の中し 常かくのみと かつ知れど 痛き心は 忍びかねつも
世の中は常にこうしたものだ。知ってはいるが、胸の痛みは止められないことだ。
巻3-473
佐保山に たなびく霞 見るごとに 妹を思ひ出で 泣かぬ日はなし
佐保の山に棚引く霞を見るたびに、妻を思い出して毎日泣いている。 佐保は大伴氏の在所
巻3-474
昔こそ 外にも見しか 我妹子が 奥つ城と今 愛しき佐保山
昔こそ縁が無いとものとして見ていたけれども、我妻の墓だと思うと愛しく思われる里山よ。
家持は繰り返し、妻を悼む歌を作っているが、時が経って昔を思い出して歌っている。
人は大事な人が亡くなった直後には、歌は出来ないもので、時が経ってそれを昇華することが出来て、歌えるのである。
回想ではなく、妻が亡くなった時点に立って、歌うという事をしている。
前回、秋の歌4首、晴れから変わっていく4首であったが、今回は連作によって妻を悼む心の経過を作り出している。
妻の歌を連作で作るというのは、旅人が正妻を亡くした時の歌も、連作で作られている。
旅人より前は、柿本人麻呂の妻の挽歌がある。妻を悼む挽歌と言うのは伝統的性格がある。家持はその伝統に則り、
更に新しい創造をしている。
「コメント」
出てくる歌が一般的ではないので、ちゃんと書くのに骨が折れる。巻番、歌番をちゃんと言わないので引っ張り出すのに手間がかかるぞ。何とかしろ。