210605①「古代の戸籍はどのような目的で作られ、どのように記録されていたのか」
日本にこれだけの、古代の戸籍が残っているのは世界的にも例がない。
「戸籍は両開きのドアの片方である」講師の言。
漢字の戸と言うのは、中国から来た。人々がある塊を持って生活している、その実態がどういうものであったかを考える史料である。
「戸籍の裏紙→写経→正倉院に保管」
奈良時代の戸籍は6年に一度作られるもの。各地方から中央政府に紙で報告され、不要になると
払い下げられた。一般的には東大寺の写経所へ。そこで裏紙として使われた。そしてその一部が、
正倉院に保管されていた。
「戸籍の歴史」
6世紀末には、戸籍の原型が見られるが、7世紀には戸籍が本格的に作り始められた。6年に一度。
庚午年暦 天智天皇9年(670年)庚牛の年に作られた日本最初の戸籍。
これが作られた時代背景がある。
・663年白村江で、日本・百済連合軍が唐・新羅連合軍に大敗。
・当時の大和政権は、唐の日本侵略を恐れた。その為の防衛策の為、まず兵員の確保が必要と
された。まずは戸籍を作り、兵役を義務付ける。
「戸籍の概要」
・戸毎に全員の氏名・性別・年齢等を記載
・身分が、上中下の三区分に、更に上中下ごとに上中下の、合計9区分があった
・全国を地域ごとに国・郡・郷・里に区分
・里は50戸をもって構成する
・戸毎に労役・兵役をする人(丁 よぼろ)の存在 例 万葉集の防人
丁の区分 正丁(21歳以上の成年男子) 次丁(60歳以上男子) 小丁(未成年男子)
・五戸を持って一つのグル-プとして、五保とする。いわば隣組で兵役・課税などの連帯責任制
奈良時代は帰化人を使って、膨大な書類を作って、中央政府に報告させた。世界的にも珍しい
システムである。
「コメント」
記録好きの日本人。文字がない国であったことのコンプレックスの裏返し?日記の多さでは世界一とか。