220104①「アマテラス 神話に記された姿」

12回にわたって、神に仕える女性たちを文献や資料から辿り、神道の女性観を考えていく。

神に仕える女性と云うとどのようなイメ-ジとなるか。神話に登場する女性、女神を思い浮かべる人や神社の巫女、・・・・。

最近の神社では、神職の資格を持つ女性も増えている。

この様に日本の神々に仕える女性たちも、神話伝承から現代まで沢山存在するが、こうした神を祀る女性たちは、一体どんな歴史を持っているのだろう。

この講座は主として、アマテラスに仕えた女性たちを中心に話を進め、神話から神を祀る女性へと話をしたい。

(古事記、日本書紀におけるアマテラス)

初回は、日本の中でも最も有名な神様であるアマテラスを取り上げる。アマテラスには様々な呼び名がある。漢字では天照と書く。アマテラスはどのような文献に記されているかと言うと、8世紀の古事記、日本書紀である。これは、文字情報によって日本の状況が記された最も古いものである。どちらにも、冒頭に日本の神々の事が記されている。内容はそれぞれ異なっている。

日本書紀

これは日本の正史と言われる国家の正式な歴史書である。正史には六つあって、日本書紀・続日本紀・日本後期・

続日本後期・日本文徳天皇実録・日本三大実録。その最初が日本書紀(30)である。日本書紀は神々の時代において、記された神代記を記す一巻、二巻を除き原則的に天皇の系譜、事績を記している。この国の言葉(大和言葉)で進んでいく古事記に較べ、漢字表記であるが和語による表現もあって、極めて読みにくい特徴がある。そして、同じ神様が登場する話も内容が異なっている。

(アマテラスの誕生)

まずアマテラスがどの様に誕生したのかを、古事記、日本書紀の内容を比較していく。

その誕生は、伊弉諾イザナギ、伊弉冉イザナミ男女一対の神が関係している。

(古事記)

アマテラスが誕生する前に、女神のイザナミはあの世に行ってしまっている。イザナミは火の神カグツチを産んで、産道を焼かれ死ぬ。黄泉の国に行く。イザナミは、黄泉の国までイザナミを追いかけるが、イザナミは黄泉の国の食物を食べてしまったので、もう帰れないという。けれども、黄泉の国の神に、特別に帰れるか聞いてくるので、それまで私を見ないでと言う。イザナミはその約束を破ってしまい、イザナミの腐敗した醜い姿を見てしまう。怖くなって逃げるイザナミに、怒ったイザナギは追いかけるという悲しい別れになった。

こうして逃げたイザナギは、黄泉の国の穢れを落とす為に、日向の阿波岐原(アワキガハラ)で、禊をする。その禊の過程で、右目からツクヨミ、鼻からスサノオ、左目~アマテラスが生まれる。この三つの神を三貴神と言っている。

その他に、この禊で綿津見三神、住吉三神、その他の神が生まれた。

(日本書紀)

所が日本書紀では、イザナミは死なない。そして、腐敗したからだという表現はない。イザナギとイザナミは相談して、「我、大八島を産めり」と言って、更に産んだのが日の神とある。別名・大日孁貴神(おおひるめのむちのかみ)。この神は光り麗しくて、国の内に満ち溢れるとある。

日の神・アマテラスの誕生を巡っては、日本書紀は三柱の貴い神の一人として記している古事記に比べて、アマテラスの貴さはより強調されている。

(アマテラスの姿)

このアマテラスの姿を考えた時、どのような神を思い浮かべるであろうか。一つの特徴であるが、古事記・日本書紀を読んでいると、あたかも人間のようなイメージが登場する。日本の神の像がつくられるのは、仏教が入ってきてからで、仏像の影響を受けてのことである。欽明天皇記には、仏教公伝状況が書かれているが、欽明天皇が初めて仏像を見て、「西の国の奉れる仏の顔は、キラキラし」と美しさを讃えている。8世紀には神の姿を象った神像が作られたが、現存する最古の神像は9世紀のもの。日本の神が、描かれた例として春日権現記絵があるが、ここには春日大明神の姿が描かれているが、神の顔はわざと隠してある。はっきり描かないことで、神の姿は、目に見えないことを示唆している。神社の御神体は、拝礼の対象であって、人の目に触れることは無い。

中世には、アマテラスは仏教の教主である大日如来と一体と考えられていた。アマテラスが日向に下生(げしょう)した時の姿を、雨宝童子(うほうどうじ)といい、仏法を守る護法神として信仰されている。

こうした雨宝童子が、アマテラスであるという信仰は、中世から近世まで各地に拡がっていたことは、童子の姿で信仰が描かれたアマテラスが多いことで判る。

(ウケモチの神を殺すツクヨミ) 太陽と月が分かれた。

アマテラスと共に生まれたスサノオ、ツクヨミにまつわる伝承は、アマテラスがどの様な神かという事を考える上で、色々な情報を与えてくれる。例えば日本書紀第五段の異伝であるが。

アマテラスは、ツクヨミにウケモチという食べ物の神がいるので見てきなさいと言う。ウケモチは、口から食物を吐き出してもてなした。ツクヨミは怒って、ウケモチの神を殺してしまう。アマテラスはこれに怒り、二人は会わなくなる。こうして太陽と月は昼と夜に別れて出るようになった。

(食物の神から様々なものが生まれた)

ウケモチの神の死体の頭から、額から、眉から、目から、腹から、陰部から大豆小豆が生まれた。アマテラスは喜び、民が生きてゆくために必要な食物だとしてこれらを田畑の種とした。こうしてアマテラスが、食べ物だけでなく、農業、養蚕にも関わるという点が注目される。

(アマテラスとスサノオとの関り)日本書紀による  皇室の祖先の誕生

アマテラスとスサノオとの関係で有名なのは、誓約(うけい)といわれることである。スサノオは自分の心が清い事を証明するために、お互いのものを交換して、子供を産むという誓約を提案する。アマテラスが生んだ神々は、天上の高天原と、黄泉の国の中間の、葦原中津国を統治する神武天皇に繋がっていく。アマテラスは皇室の祖先神である。

(誓約の後のスサノオの乱暴狼藉→アマテラスが天の岩戸に籠る)→アマテラスの性格

古事記日本書紀共に、スサノオは自分の心潔白が証明されたとして、高天原で乱暴狼藉を働く。これに由って、アマテラスは天の岩戸に籠るという場面となる。この場面のアマテラスの描写が注目される。

日本書紀のアマテラスは,神の田を持っている。古事記でも、アマテラスは、田を作っていると書いてある。そこで作られた稲の収穫を神に感謝する祭・新嘗祭(新嘗)を行っているし、アマテラスはスサノオとの誓約の後で、神に供える衣を織っている描写がある。

つまりアマテラスは天上の貴い神でありながら、そこで神々への供え物である、米や織物を作り、又新嘗の祭りを行っているのである。
まさにアマテラスは、女神としては描かれているが、実はアマテラス自身も神に仕える女神と考えられる。

とりわけ、鏡については「我がいる如く祀れ」と、鏡を自分と思って祀るように命じている。

伊勢神宮の御神体が鏡である事、この事は伊勢神宮最古の文献「皇大神宮儀式帳」に記されていて、こうした伝承ともつながるが、いずれも皇祖神アマテラスという神格によって、神聖な中で理解されるであろう。アマテラスはスサノオのカムサビによって、神聖な神殿や祭りの場を汚されて、到頭岩戸に籠ってしまう。スサノオがアマテラスの所に来た時には、武装して戦う姿勢を見せたアマテラスであったが、スサノオのこうした行いに岩戸に籠る展開となる。次回は天の岩戸に焦点を当ててアマテラスと共に、アメノウズメという女神を追うことにする。

 

「コメント」

 

私の神話理解は、古事記・日本書紀が混在していることが分かった。しかし、話としては古事記の方が余程面白い。何でも官製は詰まらん。