詩歌を楽しむ「啄木再発見」 三枝 昂之(歌人)
歌書「前川佐美雄」「啄木-ふるさとの空みかも」
②13年1月11日(金) さいはての駅に降りたち~北海道流浪
明治38年には大きな出来事が三つあった。
・結婚 妻節子はミッション系を出たちゃんとした家庭の子なので親は学校退学、
無職の男との結婚には大反対。しかし当人同士の固い決意に折れた。
ただ啄木は結婚式には出なかった。この原因は後で述べる。
・処女詩集「あこがれ」の出版
序詞 上田 敏、末文 与謝野 鉄幹の豪華版。一般的には反響は
なかった。但し二人のお陰で地方の文学青年たちには大いに注目された。
・父親が宗門から懲戒され、寺を追われる。宗門に納めるべき上納金の滞納。
妹によれば、原因は啄木。中学退学後、すぐ上京したが数ヶ月で生活困窮。生活費の送金依頼し、父はそれを上納金から流用。結果一家離散となり、渋民村を追われた形となった。
北海道への移住
詩集出版のおかげで、函館の文学青年たちに招かれ函館へ。これが北海道流浪の始まり。
・函館 青年たちの同人誌の編集を担当し、小学校の代用教員をやりながら
函館日日新聞の記者をやる
函館での生活は明るい楽しい日々であったのは日記にてもわかる。
だが市の2/3が焼ける函館大火ですべてを失う。新聞社社長の紹介で
札幌へ。
「青柳町こそ愛しけれ友の恋歌矢車の花」 こそ~けれの係り結びが
効いて楽しさ、嬉しさが出ている。
・札幌 新聞社の校正係 辞職し、紹介で小樽へ。
・小樽 小樽日報の記者。石炭積み出し、漁業の街の荒々しさに馴染めなかった
ようだ。2ヶ月で辞職。主筆との不和。
「悲しきは小樽の街の歌うことなき人々の声の荒さよ」 小樽の雰囲気への嫌気。
情緒のない荒々しい人々ばかりで嫌気さしたのだろう。小樽に圧倒され
ている。紹介で釧路へ。
出発の時の歌
「子を置いて雪の吹きいる停車場に我を見送る妻の眉かな」
小さいこと(妻の眉)に視点を絞って、印象を深めるのが啄木短歌の特徴である。
・釧路 釧路新聞の記者となり、活躍する。
釧路到着の時の歌。
「さいはての駅に降りたち雪明かり淋しき町に歩み入りに来」
実質的には編集長となり、花柳界を楽しんだ。芸者「小奴」との浮名は有名。
釧路は気に入っていて妻子を呼び寄せる寸前、主筆と喧嘩し辞職。
結局北海道での生活は一年弱。この間、函館→札幌→小樽→釧路と流浪。4度職場を変える。
函館大火以外は、全て会社との喧嘩。啄木のわがままが原因。自分を天才と自認し、上司と衝突して辞職。
周囲と妥協することを知らない。結局北海道では自分の居場所を見つけられなかった。これは終生変わらなかった。