詩歌を楽しむ「啄木再発見」 三枝 昂之(歌人)
歌書「前川佐美雄」「啄木-ふるさとの空みかも」
⑧13年2月22日(金) 花を買ひきて 「一握の砂」の魅力 3
歌集「一握の砂」には、色々な特徴があるが一つには中年の人々を対象としていることがある。当初啄木は「仕事の後」という題名を考えていた。その広告分に自作で次のように書いている。
(著者の歌は、従来の青年男女の間に限られた明治新短歌の域を拡張して、読者を広く中年の人々に求む)
「勤め人の日々を歌っている」
・勤め人という言葉が文学で出てくるのは、明治中期の尾崎紅葉の「二人女房」、泉鏡花である。昔は奉公人といったが 明治の新人類である。月給を貰う人が出てきて、定着する。
(こみ合える電車の隅にちぢこまる夕べ夕べの我のいとしさ)
(朝風が電車の中に吹き入れし柳の一葉手に取りてみる)
・啄木は本郷から京橋まで電車通勤をしていた。生活感が出ている。
(大いなる彼の体が憎かりきその前に行きて物を言う時)
・恰幅のいい上司に叱られている場面、組織の中に働く人間のストレスが見えてくる。
(人気なき夜の事務室にけたたましく電話のリンは鳴りて止みたり)
・残業の歌。電話が一旦鳴って切れると昼間の喧騒が消えた静寂が強調されて、うまい歌。
(こころよき疲れなるかな息もつかず仕事をしたる後のこの疲れ)
・一生懸命に働いた後の安堵感を歌っている。
(春の雪銀座の裏の三階のレンガ造りに柔らかくふる)
(汚れたるレンガの壁に降りて溶け降りては溶ける春の雪かな)
初春の東京をスケッチしたもの。レンガ造りは当時、銀座の代名詞。デリケ-トな春の雪をうまく歌っている。
(京橋の滝川町の新聞社灯ともる頃の忙しさかな)
以上見るように、「一握の砂」はサラリーマン歌集である。
「家族の歌」である。
(友がみなわれよりえらく見ゆる日よ花を買ひきて妻としたしむ)
(ただひとり泣かまほしさに来て寝たる宿屋の夜具のこころ良きかな)
(人みなが家を持つてふかなしみよ墓に入るごとくかへりて眠る)
マイホ-ムを持てない男の寒々とした嘆きの歌
これらの歌は若者の歌ではなく、中年の歌である。啄木はそう意識していた。
「啄木は明治後半以降の短歌の流れを作った」
・落合直文が中心になって、短歌界に若者を呼び込まねばならないとして、まず与謝野鉄幹、晶子等を育て彼らに触発されて、啄木・牧水・白秋・前田夕暮などが育った。
・今まで短歌は若者のものであったが、今後は中年も含めねばならないと主張した。そこでいわゆる「勤め人」を題材として中年の哀感を歌った。→領域を広げねばならない。
・歌の領域を広げ、後の人々の歌の土壌になった。→とても大事な仕事をしてくれた。
若者の歌/中年の歌
(春みじかし何の不滅の命ぞとちからある乳を手に探らせぬ) 与謝野晶子
これは「どうだ」という若者の歌だが、これに反して
(こみ合える電車の隅にちぢこまる夕べ夕べの我のいとしさ) 啄木
勤め人の哀感を歌う。