詩歌を楽しむ「貴族の暮らしの歌」              慶応大学教授 藤原 茂樹

 

140214 貴族の暮らしの歌「行事・神事と植物、万葉の庭」

奈良時代の貴族は雅な事物に関心を寄せる人々であった。祭祀や祭の構成員であり公私にわたり音楽を奏で宴に参加し屋外屋内に関わらずよく歌を残している。まずその一つを紹介する。

 

・正月三日の節会の宴

 大伴家持は孝謙女帝を囲む三日の宴に次の歌を準備した。

 

(初春の初子(はつね)の今日の玉箒手に取るからに揺らく玉の緒)

新年の初子(はつね)の今日という日に天子様から賜った玉箒(たまばはき→コウヤボウキ)を手に取ると、ほうきにちりばめられている玉の緒がゆらゆらと揺れることよ 

 

「宮廷の行事」

元日 国見の宴 白馬(青馬の節会→中国からの移入)  若菜摘み 野遊び 歌垣 菖蒲の宴(33)  花見 端午のあやめの玉 薬狩(5月5日 山野に出て薬草や鹿の若角をとる行事)  初穂の祭 新嘗祭 大嘗祭 

 

・これらの行事は民間に伝わり現在まで残っている。花見、上巳(じょうし 五節句の一つ 女児の祝う節句で雛祭 端午のあやめのたまは、くす玉として残っている。この日に菖蒲湯で邪気を払う。

・中国由来の行事も多いが、日本風な変化をして習慣化している。

・これらの行事の中に植物を使い現代の暮らしに及んでいる。

 

「万葉人と植物」

植物は一年を通じて様々な場面で人々に楽しみとか、幸福感とか魔除けの力を与えてくれる。植物が人の心と暮らしを彩り豊かにするものであることに自覚的であったのがこの時代であった。万葉人は貴族民間を問わず花を育てたり移植したりと植物に目を配る人が少なからずいた。それらの歌を見てみよう見てみよう。

 

(射目((いめ)立てて跡見の岡辺の撫子の花ふさ手折り((あれ)は持ち((い)なむ奈良人のため)  紀鹿人 紀女郎の父

跡見の岡辺に咲いているナデシコの花を沢山手で折って帰ろう。奈良にいる人の為に。

 

(去年の春いこじて植ゑし我が屋戸の若木の梅は花咲きにけり)                  阿倍広庭 

去年の春、掘りとって植えた我が家の庭の梅の若木はもう花が咲いたよ。

 

(道の辺(うまら)の末に ()ほ豆の からまる君を 別れか行かむ)                    上総の防人

ノイバラにからまるヤブマメの蔓をはがす様に私から離れない恋人を離して防人に行かねばならない。

 

・万葉の歌は実際の生活を背景に持つ為に、より手触りの濃い物になっている。

・歌に選ばれる素材の広がりや独自性と植物に対する観察力とそれを巡る心理が万葉の歌に様々残されているのはとても貴重である。

・万葉人は恋愛や旅や神祀りの行事など生活の中での植物を引き合いに出して夫々の立場から歌っている。それだけ人々の心に植物が深くむすびついている。

 

(ひさかたの 天の原より (3)れ来る 神の(みこと) 奥山の 賢木の枝に しらか付け 木綿(ゆう)取り付けて 

斎瓮(いわいえお)(いわ)ひ掘り据ゑ 竹玉を (しじ)に貫き垂れ (しじ)じもの 膝折り伏して たわや女の(おすり)取り懸け かくだにも 我れは祈ひなむ 君に逢はじかも)                                   大伴坂上郎女

ひさかたの天の原から命を受け継いだ祖先の神よ 山奥の榊の枝に白く清らかな印をつけて神聖な甕を据え、鹿の様に膝を折って神に仕える私は神聖な神の衣を付けてこんなにもお祈りしている。先祖の神よあなたに会えないのだろうか。

 

坂上郎女は一族の巫女的存在で、榊を依代にして神に語りかけている。神事において植物は重要である。特に榊は神事においてなくてはならないもの。

 

(我が()ける、早稲田(わさだ)の穂立、作りたる、かづらぞ見つつ、偲はせ我が背)     坂上大嬢(大伴家持の妻)

私が作った早稲田の稲穂を使って作った稲穂のかずらです、どうぞご覧下さい、見て私を偲んで あなた。

 

・奈良時代の貴族は生活に足がついていて素朴でしなやかな面を持っていた。都に住みながら田園生活にも軸足をおいていた。

 

「万葉集ではどれだけの植物が歌われているか」

・150種とも160種とも言われる。植物が歌われている歌は1700首余り 

・人々が心情を、心を見出し表すときに、草や木がよく機能している。まず、身近にある植物を詠んでそこから自分の心模様を見つけていく。そのような表現が少なくない。

 

「歌に読まれた植物」

1位~10位    萩 ウメ ヌバタマ 松 橘 葦 スゲ ススキ 稲 桜 

11位~20位   柳 梓 紅 麻 藤 ちがや ナデシコ 卯の花 薦 慎

21位~30位   竹 クズ 山吹 ムラサキ オミナエシ ハリ 茜 ヤマタデ アヤメグサ

 

(恋ふる日の 日長くしあれば 我が苑の 韓藍の花の 色に出でにけり)

恋しく思う日が長くなったので、我が家の庭の鶏頭の赤い花のようにはっきりと色にでてしまった。

 

(誰が園の梅の花ぞもひさかたの清き月夜にここだ 散りくる.) 

誰に庭の梅の花であろうか。清らかな月の光の降る夜にこんなに散ってきた。

 

(吾妹子が植ゑし梅の木見るごとに心むせつつ涙し流る)                             大伴旅人

生前、妻が植えた梅の木が成長している。それを見るたびに亡くなった妻の在りし日のことを思い出され心がむせて涙が流れるのだ。→思い出と結ばれている木への思いは遠く時代を離れている私たちにも充分共感できる。

 

(恋しければ形見にせんとわが屋戸に植ゑし藤波いま咲にけり)                        山辺赤人 

恋しくなったらよすがにしようと家の庭に植えた藤の花が今咲き始めた。

 

(秋さらば見つつ偲しのへと妹が植ゑし やどのなでしこ咲きにけるかも)          大伴家持

秋が来たら私のことを思い出して下さいと言って、妻が植えたナデシコが咲き始めたことよ。

妻 坂上大壌(さかのうえのおおいらつめ)が死の予感の中でナデシコを植えたのであろう。

 

家の庭に残された植物はこれを植えた人の手や姿や面影を消さずに続いているものである。