詩歌を楽しむ「万葉集の歩き方」 慶応大学教授 藤原 茂樹
⑫140328 万葉人にとっての「魂」
新室の 壁草刈りに いま したまはね 草のごと 寄り合ふ娘子は 君がまにまに 人麻呂歌集 2351
新しく立てた家の壁草を刈りますのでどうぞお越し下さい。その草が靡くように寄り集まっている娘たちは貴方の思し召しのままに。優れた若者を新築祝いに呼んで、一族の娘を娶らせようとするのである。
新室を 踏み 鎮む子し 手玉鳴らすも 玉のごと 照らせる君を 内にと申せ 2352
新築の家を踏み鎮める乙女達が手玉を鳴らしている。玉にように輝いている御方をどうぞ家にと申し上げよ。部族の長、親が立派な若者に新築の宴に招き入れようと命じている。
娘達の舞は新しい建物を清め家屋の精霊を鎮める舞である。古い日本人には、新築の宴に先立ってその場を踏み鎮めるという習俗があった。家屋の精霊は「屋船の命」という。お願いを受けたこの精霊は、下位の霊を押さえつけるのである。万葉人は油断できない禍々しい事が起きないように呪術的防御を施していた。
真木の葉のしなふ背の山偲はずて我が越え行けば木の葉知りけむ. 0291
真木(立派な木)の葉が撓み茂るこの山の事を眺めもせずに私が越えていくが、木の葉は知っているであろうな。
天雲の 棚引く山の隠り在る 吾が 下心 木葉は知るらむ 1304
天雲がたなびくような高い山深くに隠れているように、隠して見せていない私の心の奥底を山の木は知っているだろう。
木の葉に見つめられ気持ちを察知されるという心を私達は失っているが、周囲の自然物の中に意志や霊威があることは我々の心の中にまだかすかに心に残しているかもしれない。
笹の葉はみ山もさやにさやげども我れは妹思ふ別れ来ぬれば 人麻呂 0133
笹の葉は山一面にさわさわとざわめくが、その音にも惑わされないで私は妻を一途に思う。永遠の別れをしたのだから。
山の笹の葉に、共感を覚える素朴な感受性が生きていた時代が確かにあって、古代人は自然物そのものに霊威を感じもしたし、一歩進んで事物にも霊魂を感じもしたであろう。そうした霊威や霊魂を日本では魂と言っている。
土地や家屋や木々やその他の自然物に宿る霊性を人類学の用語ではマナという。
天香久山に登って国見する舒明天皇の御歌。
大和には群山あれとりよろふ天の香具山登り立ち国見をすれば国原は煙立ち立つ海原は鴎立ち立つうまし国ぞ蜻蛉島大和の国は 舒明天皇 0002
大和に国には沢山の山があるが、中でも美しい天香久山に登りたち国見をすると、平野には曇があちこちから立ち上がり、海原には鴎が群れをなして飛び回っている。本当に立派な国だ、私の治める秋津島、大和の国は。
神の魂には、荒玉、和魂、幸魂、奇御魂などの種類がある。これは日本書記の例である。更に宮中や石上神宮、島根県大田市物部神社では毎年鎮魂祭を催す。灯を消した神殿の暗闇で玉の緒むすびの秘儀が行われる。島根では五色の絹ひもをで、人体を魂に繋ぎ留めている命の糸とみなし、その糸を古来受け継いできた物部氏秘伝の呪術で結ぶことで寿命を伸ばし、心身の健全を保つのである。石上神宮の氏族の伝える鎮魂の術は、宮中でも行われ先祖伝来のやり方で行われ、魂に働きかける。
鳥翔成す有りがよひつつ見らめども人こそ知らね松は知るらむ 山上 憶良 0145
御霊は鳥のように翼をつけて行きつ戻りつして、見ているのだろうが人はそれを知らない。松が知っているだろうか。
謀反の罪で、持統天皇に死を賜った有間皇子の魂を人は察知できないが、鳥が空駆けるように周りを行ったり来たりしていることを、何も言わないけれど松は知っているだろう。
青旗の木幡の上をかよふとは目には見れども直に逢はぬかも 天智天皇太后 0148
旗のように青々と茂る木幡の山の上を大君の魂が抜け出して行きつ戻りつすることは目には見えるけれども、直にはお会いできないことだ。
天智天皇危篤の折に、肉体を離れ青旗の上を行きつ戻りつしているのは天皇の御魂である。太后の目には見えているのである。でも直には会えない。
もの思えば沢の蛍もわが身よりあくがれ出づる魂かとぞみる 泉 式部
あの人を恋しく思うと、沢の蛍も私の体から抜け出した魂のように見える。
玉かぎる 昨日の夕 見しものを 今日の朝に 恋ふべきものか 2391
昨日の夕方逢ったというのに、今朝こんなに恋しくなっていいものだろうか。
玉かぎる 枕言葉、夕・日・ほのかなどに懸かる。夕方になると、魂が揺れて不安定になると言われる。
玉かぎる石垣淵の隠りには伏して死ぬとも汝が名は告らじ 2700
岩で囲まれた淵が隠れているように、2人の間のことは倒れて死んでも貴方の名を口に出したりはしない。
朝影に 我が身はなりぬ 玉かきる ほのかに見えて 去にし子えに 2394
我が身は朝日に映る影法師のように痩せて衰えてしまった。ほんの一瞬、姿を見せて消え去ったあの娘ののせいで。
人魂のさ青なる君がただひとり逢へりし 雨夜の葉非左し思ほゆ 3889
雨の夜に人魂のように真っ青な姿の君が現れた時のあのハイサ(意味不明)が思い出される。
筑波嶺の彼面此面に守部据え母い守れども魂ぞ逢ひにける 3393
筑波の山のあちこちに見張りを置くみたいに、母さんは見張っているけれども2人の魂は出会ってしまった。
母は娘に言い寄ってくる男を阻止しているが、娘は恋する思いを堪えきれず、魂は身体から抜け出して男の魂と触れ合ってしまった。
万葉人の魂は自然にも虫にも人にも若者の燃え上がる恋の予感の中にもしっかりと陰影を映し出している。