230115②「人は草である・循環する生と死」

前回は古事記冒頭の神話を黄泉の国の訪問を通して、人間を草と見る発想について話した。今回はそれを受ける形で、人間の生と死、或いは寿命、そういう問題について古代の人々がどの様に認識していたかという事を考えてみる。

イザナミを黄泉の国に訪ねるイザナキ イザナミの無惨な姿を見て逃げるイザナキと追うイザナミ

前回話した逃げるイザナキを、黄泉のシコメと雷(いかづち)など様々な追手が来て、追跡されたイザナキは、追手を全て退けたので、今度はイザナミ自身が追いかけて来る。追いつかれそうになったので、坂の途中に千人掛かりの大岩を置いて、仕切りとしたうえで、追いついたイザナミとの間で 事戸(ことど)を渡した という。事戸 という言葉であるが、事と言う言葉は事物の事も、言葉の言も、日本語では区別なく こと という。故に 事戸(ことど)を渡した 言葉を交わしたと解釈する。その 事戸 と言うのがどの様に語られているのかと言うのを神話で読んでみる。

「さてイザナミは大岩を黄泉平坂に引き据えて道を塞ぎ、事戸を渡す時にイザナミが言った。愛しい私の貴方、これほどひどい仕打ちなさるなら、あなたの国の人草を一日に千頭(ちがしら)縊り殺します。するとイザナキはそれに答えて、愛しい我がイザナミよ、お前がそうするなら、我は一日に千五百(ちいほ)の産屋を建てよう といった。この為に一日に必ず千人が死に、1500人が生まれる事に成った。」

ここに語られているのが、地上に住む人間の死と誕生である。前回話したように、黄泉の国の神話では、人間は うつしき人草 と言う名で出て来た。そして始まりの人間 人間の元祖を ウマキアミカビヒコヂ 立派なアシの根の男神 と認識していたことも話した。古代の人々にとって人は草だと考えられていた。草であるからには、当然しぼんで枯れてしまう。

人の死と言うのは、草であるからには当然の最後であると言えばいいだろう。その事は人間ではないが、黄泉の国に行ったイザナミの姿にも表れている。死んだイザナミを連れ戻そうと、黄泉国に行ったイザナキに対して、イザナミは死の国の神と相談するから、その間見ないでと言って奥へ行ってしまう。待ちきれなくなったイザナキは、約束を破って灯を点して、真っ暗な建物の中に入っていって、イザナミを探す。その場面であるが、古事記では次の様に語っている。「そこで左の御角髪(みづら)にさした湯津間櫛(ゆづつまぐし)の大きな柱をへし折って、火を点して見たら、イザナミの体には蛆虫が たかって這いまわり、体中に雷(いかづち)がうごめいていた。」

 人の死と生

神話に出て来る神は死なないというのが普通であるが、例外的に死んで腐乱していく姿がリアルに描かれている。そういう神なのである。これは横穴式古墳の上に葬られた死者を定期的に見に行くという習俗があったのと関係しているかもしれない。古代の人々にとっては人の死と言うのは、肉体の腐乱と言うのと非常に近くにあって、我々には想像できないような肉体の滅びが、死の観念の中には強くある。そして一方で人は草であるという発想を持っているわけで、その二つは同じものとして繋がっていく。草であり枯れて死んでしまうというと同じ様に、やはり人も腐って枯れて亡くなる。だけれども生命は誕生していくという発想だと言う風に繋がっている。自分の死、親しい人の死はとても恐ろしいものだし、悲しいものである。所が人を繋がりとして考えて見れば、一人の自分は死んでいくけれども、それで全てが終わる訳ではない。自分の子とか孫とか、或いは周りの人たちは、後を継いでくれるわけで、それはまるで草と同じ様にではないだろうか。草は芽生えて成長して、花を咲かせて実をならせてそして枯れてしまう。春になると種が目を出して命を蘇らせていく。そのように人は死ぬけれども次々と生まれてくる。それがこのイザナキとイザナミが最後に、黄泉平坂(よもつひらさか)と言う所で、戸をはさんで向き合った時、イザナミは千人の人間を殺すと宣言すると、イザナキは千五百の産屋を建てると答える。それは健全な人間の循環を証明している。だから人は一日五百人増えてくることを語っている。だから死の世界である黄泉の国の神話で語ろうとしていることは、人間の生と死に対する古代の人々の認識として、何故人は増えていくのかに対する一つの答えが示されている。現代の日本では出生率が減少して、人口減となっているが。

一人一人の問題として悲しくてつらい。それは当たり前のことだけど人間全体の問題として捉えれば、私達は繋がっているのだし、人は増え繁栄していくのだというメッセ-ジが、黄泉の国の神話から私達が受け取ることの出来る教えだと言える。そのように考えると黄泉の国の神話を語ることは、現代の私達におけるホスピスのような役割を、古代の人々に果たして貰っているのかも知れない。ある種の緩和ケアとも言えるかもしれない。

人間の寿命 ニニギノミコトとコノハンサクヤビメ と イワナガヒメ

神話の役割と言うのは、一つはそういう極めて哲学的な問題であったりする訳である。一方では草をして萌え出たという発想の仕方がある訳で、それは人間の寿命をどのように考えていたかという事に関わって来る。

古事記では人間の寿命というものを、どういう風にどの様に語っているかと言うとコノハナサクヤビメ という女神と関わる神話の中に語られている。語られている場所は高天原から地上に来た アマテラス の孫の ニニギノミコトが、山の神 オオヤマツミ の娘 に求婚する。父は喜んでコノハナサクヤビメ と共に 姉の イワナガヒメ を一緒にと言う。

イワナガヒメ 石長姫という名前で 石のように永遠の力を持った女神と言う名である。

これに対して コノハナサクヤビメ は、木の花が咲くような女神、つまり岩のように永遠の力を持った女神と、花のように美しい女神を、山の神 オオヤマツミ は差し出した。姉は永遠の命、妹ははかない命を象徴している。

そこで ニニギミコトは美しいコノハナサクヤビメ を手許においてイワナガヒメ を追い返す。

そこで父の オオヤマツミ はこういう。「私の娘二人を奉った訳は、イワナガヒメ は天津神の命を永遠に、コノハナサクヤビメ は花が咲くように栄えるようにと考えて娘たちを出したのです。それをこうされると、天津神の命は 山に咲く木の花のように儚く散るであろう」 その結果なのであるがどうなったか。古事記では「それでこうして今に至るまで、天皇たちの命は長くないのである。」と伝えている。ニニギノミコト ウガヤフキアエヅ 神武天皇。

一方でこの神話とよく似た神話が、もう一つの歴史書 日本書紀にある。日本書紀と言うのは神話の場合は、日本書紀の編者たちが正しいと考えている伝え、それを正伝と言うが、それに対して幾つものバリュエ-ション こういう伝えもあるよ こういう伝えもあるよ といくつかの伝えを並べて伝えているのを、一書 と言っているが、この一書の中に、この話と重なる話が紹介されている。ここでは、父親のオオヤマツミ ではなく、イワナガヒメ 自身が 「うつしき青人草はコノハナの如くに、にわかに移ろいて衰えてしまうだろう」と言って、恨んだと言っている。 イワナガヒメがこう言ったから、人間たちの命は限られたものになったのだと語っている。つまり日本書紀では、天皇の命ではなく人間の命と伝えている。

バナナタイプの人間の寿命の神話

これは実は神話そのもので考えると、人間の命の起源を語る神話と言うのが、いつも同じような形で考えられている訳で、これは日本の問題だけでなくて、この系統の話はバナナタイプとして呼ばれる神話としてインドネシアの方にも伝承があるが、そういうバナナタイプの神話の中でも、この寿命は人間の寿命を語る神話として語られていく、そういう神話である。

一つ紹介する。大林太良(たりょう)という比較神話学の研究者が、「日本神話の起源」と言う本の中で紹介しているのは、インドネシアのスラウェシに住んでいる人達の伝承として伝えている話がある。「初め天と地の間は近く、人間は創造神が周りに縄を結んで天空から垂らしてくれる贈り物で命を繋いでいた。ある日創造神は、石を下ろした。我々の最初の父母はこの石をどうしたら良いのか、何か別のものを下さいと叫んだ。神は石を引き上げてバナナを代わりに下してきた。我々の最初の父母は走り寄ってバナナを食べた。すると天から声があって、お前たちはバナナを選んだからお前たちの命はバナナの命のようになるであろう。バナナの木は子供を持つ時には、親の木は死んでしまう。そのようにお前たちは死に、お前たちの子供達がそれを継ぐであろう。もしもお前たちが石を選んだならば、お前たちの命は石のように不老不死であったろうに と」始まりの人が石ではなくてバナナを選んでしまったために地上の人間は短命になったのだと、この島々では語られている。

古事記の コノハナサクヤビメ の話と同じである。人間の寿命の起源になっているという点では、古事記の話よりも日本書紀の伝えの方に近いという風に言える。そしておそらくバナナタイプと言われる神話は、元々人間の寿命を語る始まり、人間は何で限られた命なのかと言う寿命を語る神話で、それが環太平洋の島々の間で広く伝えられていた可能性があると比較神話学では言われている。

 神の子である天孫降臨の神たちが永遠の命を何故捨てたのか

そういう神話を比較してみると、ではなぜ古事記が人間一般ではなくて、天皇たちの寿命の起源を語っているのかと言う所が気になる。古事記の場合、前に話したように ウマシアシカビヒコヂ とか、青人草とか 人は草であるという認識が、非常に明確に語られていた。だから地上に暮らしている人間と言うのは、元々始まりのときから限られた時間の中で存在していた人だという事が分かる。その為に コノハナサクヤビメ の神話で、改めて又人間の寿命などと言う形にすると重複する事に成る。しかもこの神話で コノハナサクヤビメ を選んだのは、高馬原から下りてきた アマテラス の孫

ニニギノミコト の話として語られている訳で、その神が地上に降りて来て地上の存在として、生きていく事に成ったはずの ニニギミコトのいわゆる天孫降臨という神話の中には描かれている。つまり本来神であり永遠の命を持つ神の子の子孫が地上に降りて、人間と同じ様に暮らしていくためには、永遠の命を捨てなければならない。永遠の命を持ったままでは、地上で生きていけないだという風な発想が、この神話にはあるのだと思う。だから、古事記では天皇たちの命が

有限になって、限られた命になったのは、この様な理由なのだと語る必要があったのだと考えなければならない。

ニニギノミコト の子供達の寿命の起源と言う風に語っているというのは、とても合理的と言うか適切な事である。

で もう一つ コノハナサヤヤビメ と言う女神に関わって話をしておけば、コノハナ というのだから、木に咲く花と言うのは沢山あるが、やはりそれは桜なのではないかと。そして コノハナサクヤビメ という女神は、桜の女神だったのではないかと考えられる。

日本人と桜

古典研究者の中西進が桜とコノハナサクヤビメ について興味深いことを言っている。「桜の花を巡る死の幻想は根強く日本人にあったらしいが、その反映がこの説話にも認められる。コノハナサクヤヒメ コノハナ は、何の木とも語られないが、古代人は桜をもって咲くものの代表と考えていた。桜の花は人々に散りざまを感じさせる。既に桜の咲いている姿の中に、散る姿を感じ取る。そうした桜を見る目がこの話を支えていると言えよう。」こんな風に述べている。

桜の語源と日本人の桜への思い

サク という言葉に、ラ という接尾語がついた。それで 咲くもの そのものを表している言葉が、桜だったと見ることが出来る。桜は咲くと共に散るという事と重ねて存在するのだと、つまり咲くものは散るのだという、その二つをこの花が象徴的に持っている。そこに桜に対する日本人の特別な思いというものが、平安時代から中世にかけて蓄積されていく。その根源の所に、もうすでに古代の人々が桜というものを鮮やかに繁栄して咲くのだが、短い命の後には散ってしまうという、その散るという思いを抱え込むことによって桜を見る心というものが存在する。それは人間であり、それからコノハナの(あわい)と古事記で語っていた間(あいだ)の発想と言うものが、分かって来るのではないか。

 

人間は植物から生まれたのだというのは、バナナタイプの神話を持っている南の人達にも共通して存在した発想だと大林さんはいっているが、その様に考えれば私達が考えている コノハナ の間(あわい)、或いは桜、或いは人間の寿命といったものが、日本人の問題だけでなく、太平洋の西の端に住む人たちに共通する発想としてあるらしいという事が分かる。

そしてこうした発想と言うのは、私にはとても心地よいが、この先いつまで生きているのかと思ったりするが、人間は植物なのだから枯れるよねと言うように思って、自分を見ているととてもある種、安心した気持ちが湧いてくる。植物の命を持つ人間と捉え方で、人を改めて考える事も大事な事である。

 

「コメント」

 

だらだらとした話し言葉は何とかならないか。この講座はもっと古事記に沿って解説されるのかと思っていたら、何か古事記風三浦論になってしまっている。さてどう展開していくか。