230122③「農耕の起源・スサノオの役割」

今回は日本人にとって最も重要な生業といえる稲作の始まりについて、古事記の神話がどう語られているかを考える。

稲作と言えば天皇が田植え稲刈りをするニュ-スが放映されるので、天皇に所縁が深い生業だと考える人が多いと思う。

そうではあるが、古事記の神話を読んでいくと、アマテラスと対立するスサノオが農耕と深い繋がりを持っていることが分かって来る。

神話では高天原から神逐(かんやらい)された、つまり追放されたという事であるが、追われたスサノオは出雲に降りて、ヤマタノオロチを退治するというのはよく知られた古事記の神話の一つであるが、高天原から出雲に行く途中でもう一つ別の仕事をする。その一仕事がオロチ退治の前に是非とも必要な事であった。その場面を古事記では次の様に語っている。

スサノオのオホゲツヒメ殺害 五穀の種の誕生

又、スサノオは食べ物をオホゲツヒメに乞うた。するとオホゲツヒメ は、鼻や口、尻からくさぐさの美味しい食べ物を取り出して、色々と作り整えてもてなしたが、その時その仕草を覗いて見ていたスサノオは、わざと穢して作っていると思い、たちどころに オホゲツヒメ を殺してしまった。すると殺された女神の身から次々と生まれて来た物は、頭には蚕、目に稲、耳には粟、鼻には小豆、陰には麦、尻には大豆。

  接続詞「又」の不自然さ より推察される事

引用したのは高天原の神々がスサノオの爪と髭を切り、祓いをして追放したと語られる場面である。内容から見ると、それまでと全く別の オホゲツヒメ 殺しへと展開しているのに、冒頭の接続詞が「又」 となっているのはいかにも不自然である。こういう時「古事記は」は、さて とか そこで と言った意味の 「故(かれ)」 とか 「爾(しか)して」 という接続詞をとるのが普通である。「又」と言うのは、現代語でもそうであるが、前に描かれた事柄と並列して話題に新たな情報を付け加える時に使う言葉である。そのようなこともあって、この神話に関しては、元々なかった話がここに紛れ込んでしまったのではないかと考える研究者が多く、この後語られる出雲でのオロチ退治神話と緊密な繋がりがある訳ではないと認識している。

しかし私はこの神話が無ければ、オロチ退治神話は語られる意味が無いと思う。このオホゲツヒメ殺しとオロチ退治は、とても密接な形で繋がっていると見なければならない。その事は後で話す。

スサノオは高天原が直接出雲の行ったのか

音声で語られる伝承と言うのは、様々なバリュエ-ションを持っていて、小さなブロック(話の小さな塊)は、くっついたり離れたりしながら、それが流れを作っていく形で神話は出来上がっている。高天原を追放されたスサノオは、出雲に行くという展開、それはこの全体の流れの中で決まっている訳であるが、そのまま真っすぐ出雲に行くことも出来るし、どこか寄り道をしながら行く事も有りうる。寄り道も一ヶ所だけではなく、あちこち経由してやっと出雲に行くという事を語ろうとすれば語ることも出来る。そしてそのように語った方が、苦難の話、苦しい旅と言うのをドラマチックに語ることが出来る。

これはドラマでも神話でも同じことである。そのように考えると高天原から追い出され、流離うスサノオのエピソ-ドと言うのは、恐らく幾つも語られて並べられていた可能性が高いと思われる。それが古事記では今読んだ  という形で展開する話だけが残されてしまって、その前にあったかもしれない、或いはあったに違いない話、それも一つか二つか、そういう話が脱落してしまったと考えることが出来る。或いはその様に考えた方が、理解しやすいと思う。そのように私が考えるというのは、これは日本文学者の西郷信綱が「古事記注釈」と言う本の中で、指摘していることで、日本書紀の一書の中に、「スサノオが蓑笠を着て雨の中を流離う話があって、その話などが恐らく他の話として並んでいたのではないか。」この様に指摘しているのだが、私もそのように考える。日本書紀には正伝と言われる正しい伝えの他に幾つもの神話が並んでいて、同じ神話でもバリュエ-ションを持った、幾つもの神話が並んでいるという事は前に話した。そのここで言う一書と言うのは第七段と言う所に語られているものであるが、高天原を追放されたスサノオが雨の降り続く中を、青い草を編んだ蓑笠にして、彷徨って宿を神々に乞うた。神々は「御前は己自身の行いが邪悪だったために放逐されたのだ。どうして宿を乞うたりするのだ」と言って拒んだ。その為に風雨が激しい中をスサノオは留まり休むことも出来ずに苦しみながら降りて行った。そんな風に語られている。この日本書紀の一書に語られているような話が、その次にお腹が空いて、オオゲツヒメに食物を乞うという古事記のエピソ-ドの前に入っていれば、神話の流れはとてもスムーズになるのではないかと思う。

オホゲツヒメは何処にいたのか

スサノオは高天原から出雲に降りて行ったと、古事記、日本書紀では語られているが、スサノオが出雲に行くのはあらかじめ決定されていた訳ではない。高天原の神がスサノオを追放したという訳ではなく、ただ高天原から追い出した、所謂所払いというものであるから、出雲に行くと言ったというのは、ある意味では偶然と考えることも出来る。

そして高天原から出雲へどの様な道を辿って行ったかと言うのも、神話では何も言っていない。又先程読んだ話で、

スサノオに殺されてしまったという女神が、何処に住んでいる神かという事は、古事記では何も語っていない。その

オホゲツヒメの居場所について、従来の研究では高天原のどこかにいたのではないか、それから四国の粟の国、これは徳島県であるが、その様に見做す見解もある。ただ、いずれにせよきちんと論じられている訳でもないのだが、何故粟の国が出て来るかと言うと、イザナキイザナミが結婚してこの地上が作られる。そして四国を産んだ時、四国は四つの顔をもっていたと神話では語られている。その一つの粟の国と言うのがオホゲツヒメという女神が守っているのだとその神話では語っている。ただ私は高天原のどこかにオオゲツヒメはいたとか、粟の国に降りて来てオホゲツヒメに出会ったとか、どうもどちらも説得力は無いと思う。神話の流れからすると、オホゲツヒメは高天原と地上の間、最後にはスサノオは出雲に行くのであるから、その出雲と高天原の間のどこか、それはひょっとしたら海の彼方の想像上の世界かも知れないし、朝鮮半島のような他所の世界かも知れないが、天空の高天原とも、出雲とも直接繋がっていない所、その様な場所にオホゲツヒメはいたと想像する。そして高天原を追放されたスサノオは、あちこち彷徨う内にオホゲツヒメという女神の住む世界に立ち寄ったと考えて見ればどうであろうか。このオホゲツヒメという名前であるが、 と言うのは偉大な、立派なと言うほめ言葉、ゲ と言うのは本来は清音で  という音で食を意味し、 と言うのは~のと言う接続助詞だから ヒメ と言う言葉を繋いでいるので、全体の意味としては 偉大な食べ物の女神 という意味である。だから神話に語られるように、ありとあらゆる食べ物を無秩序に体中の全ての穴から出している形で、排泄するよう食べ物を生み出して来る神の事だと語っている。このような食べ物の女神、食べ物の神は女神であるが、  の神と言うのが、粟の国だけではなく、あちこちに見られる。現在でも、気比の神、ケツミコの神とか、食べ物の神を祀っている所は多々ある。だから粟の国に行ったと限定するのは考え方が狭いと言わざるを得ない。しかもこの オホゲツヒメ 、の姿を見ていると、大地からあらゆる実りや生命が萌えだしてくるような、そういう大地の根源の力を生命として宿している女神、名前を付けるなら大地母神(だいちぼしん)の如き存在、土地の母なる神、あらゆる生産を司る存在、それが オホゲツヒメ という女神なのである。混沌とした根源の力を秘めた女神をイメージさせる存在である。

オホゲツヒメ の死が意味するもの 再生 採集から栽培へ

例えば栽培という秩序だった生産ではない、もっと混沌とした生産の女神といった性格のオホゲツヒメ である。

所がその女神が作り色々と整えてもてなす様子を覗き見たスサノオは、わざと自分に対して穢れた食べ物を出していると疑って、その場で オホゲツヒメ を殺してしまう。ここにはスサノオと言う神の直情的な性格がよく出ている。その殺された オホゲツヒメ の体のあちこちから頭からは蚕、そして腹の五つの部位から五つの穀物、米・粟・小豆・麦・大豆が生えてきた。

神話では誰かが殺される、或いは死ぬという場合は、それは世界の終わりではなくて新しい次のものが再生してくるという、死と再生と言うのが一つのサイクルの中で語られていくという事がしばしばみられる。オホゲツヒメ の体から素晴らしい食物が出現したというのは、その点ではとても分かり易い語り方である。そしてそれを説明するのが混沌の女神の死と言うのが、秩序ある生産を生み出しているのだという事を説明することが出来る。

この展開を採集から栽培への生業へと変化していったと考えれば、まさに縄文的女神、そして女神の死によって生まれる稲作を始めとした栽培という行動が、生産が始まったのだと説明することが出来る。ただし現代の考古学や歴史学では、縄文時代は採集、弥生時代は栽培とはっきり区別するのは否定されているが、ただ採集的生活から栽培生活へと次第に移行していくというあり方、そり在り方を象徴的な オホゲツヒメ 殺し というこの神話が伝えているのだととらえることは認めて良い。

カムムスヒの役割 種の採集 スサノオに和し地上にもっていかせた

そしてその折に説明したように、この オホゲツヒメ殺し の神話の中に、カンムスヒ の女神が登場するというのは、とても重要な事である。しかしこの神話だが、文章がとても曖昧でうまく読み込まれない部分がある。その神話の最後の部分であるが、オホゲツヒメ を殺して穀物が生えてくると、それを カンムスヒ の御祖(みおや)とよばれる ミオヤノミコトと言う女神が、スサノオに これを取らせて実のなる種としたと語られている。原文では「カンムスヒの命がこれを取らしめて種となす」とたった五文字で示されていて、それを私は言葉を添えながら解釈した。この原文はとても簡略で、 カンムスヒ がこれを取らせた これ と言うのは、その生えてきた種と考えることが出来るが、誰に取らせたかと言う事は何も語られていない。それから種に成したものをどうしたのかという事も、具体的に何も書いてない。それで次のように解釈した。カンムスヒ と言うのは、ムスヒ 物を産みだす力を持つ神、その カンムスヒ の御祖(ミオヤ)がこれ=殺された オホゲツヒメ の体から取り出した稲などの種をスサノオに取らせたてそれを自分の所に持ってこさせて、その実のなる種を カンムスヒ が浄化した。そして改めてスサノオに授けて、地上にもっていかせた。この様にかなり言葉を補って意味を解釈することによって、全体のこのスサノオの役割、或いは語られる意味と言ったものが理解できるようになる。いずれにしても、高天原から出雲へ行く途中のスサノオが、オホゲツヒメに出会って、蚕と五穀の種を手に入れて、その種を持って出雲にやって来たと読まなければ、オロチ退治神話の展開が叶わない。何故かと言うと、オロチを退治して、いけにえになる筈だった櫛名田比売(クシナダヒメ)を助けて結婚するというのが、稲を持っていなければ種を持っていなければ不可能であったと考えられるからである。

クシナダヒメ を守ってオロチ退治 櫛名田比売(クシナダヒメ) の意味

そのように考える鍵と言うのは、オロチのいけにえになって、オロチに食われそうになった乙女の名前 クシナダヒメ という名前に秘められている。このクシナダヒメと言う名前であるが、古事記での漢字表記は、櫛、名、田それに比売 

表記されているが、この櫛と言う漢字が出て来るのは、オロチから守るために、クシナダヒメを櫛に変身させて、スサノオは自分の髪に挿していた。そうやってクシナダヒメを守りながらオロチを退治したと神話では語られるが、実際の クシナダヒメ と言うのは、全く別の意味を持った女神と考えなければ成り立たない。どの様に考えれば良いかというと、

クシナダヒメ クシと言うのは、形容詞で 奇妙な・何か素晴らしい力を持っているという形容詞、ナダ はこの言葉だが、クシ イナダ が、つづまった形であると認められる。元の形は クシイナダヒメ で、その霊妙なるイナダ 稲の田んぼの御姫様と解釈すると、詰まり豊かに実る田圃の女神と、そこへ他所から素晴らしい種を持った男がやって来た、この様に考えると、 カンムスヒ から種を託されて出雲にやって来たスサノオが、ヤマタノオロチを退治して、田んぼの女神である クシナダヒメ と結婚するという展開は、まさに稲の種と田圃とが結ばれるという事で、稲作の起源を語る神話になっているというのが、この古事記のオロチ退治神話である。だからどうしてもその前にスサノオは種を手に入れて、それを持ってやってくるという事が必要だったと読み取ることが出来る。

カンムスヒ と言う神

カンムスヒ と言う女神は、第一回で話した冒頭の部分で。その後も何度も古事記に登場する神であるが、冒頭の部分を除くと、他の場面は必ず出雲の神が何か危険な事があったり、あわやという場面になると登場して助けてくれる。だから日本書紀には カミムスヒ と言う神は全く出てこない。それは何故かと言うと、出雲を語る神話が日本書紀には存在しないので、古事記だけにこの神は登場するの。

その神の名は前にも話したが、ムスヒ という生成力を表す言葉によってこの神の力が示されている。まさに物を産みだす、生産する神として語られている。その カンムスヒ スサノオに取らせた、それが オホゲツヒメ の体から出て来た五つの穀物それと蚕だった。所が スサノオ が オホゲツヒメ を殺したために、最初は血に穢れた良くない不吉なものと考えられるわけで、カンムスヒは古事記ではそれを浄化して清めて、穢れを取り払って正常な種としてスサノオに渡した。古事記の冒頭の神話では、 カンムスヒ が、タカミムスヒ と並んで高天原にいる、つまり天空世界にいるという事は前に話したが、どうも元々はこの神は高天原に居るのではなくて、海の向こうにいる神ではないかと見た方がわかりやすい神話が幾つもある。と言うのも カンムスヒ と言う神は海と繋がっている神らしいと読み取れる。その カンムスヒ

 が本来います所、或いは本来います所と繋がった所、そこに オホゲツヒメ と言う女神もいた。具体的には説明できないが、カンムスヒ と オホゲツヒメ と言うのは比較的近い所にいた。それは思い浮かべてみるならば、海の彼方の島のような処、そんなところに カンムスヒ はいて、そして スサノオ は、高天原から追放されてそこを経由しながら出雲にやって来た。そんな流れを見ることが出来る。

日本人の稲作の始まり 古事記と日本書紀

稲を始めとした栽培植物の種と言うのは、どの様にして齎されたか。日本人は稲作民族と呼ばれるが、その様な人々にとってはとても重要な問題である。これが農耕の始まりである。そしてスサノオは明らかに稲種を持って出雲にやってきたと語られているのであり、農耕の起源に関わっている神であった。稲作とか農耕の起源、始まりと言うのは、一つの唯一の始まりだったわけではなく、色々な形で語られている。白い鳥や白鳥が稲穂を咥えて飛んできて、それを地上に落としたから稲作が始まっただとか、弘法大師がよその国から持ち帰っただとか、稲作の起源神話は時代によっても地域によっても様々な形で語られている。その語り方は、古事記ではスサノオが持ってきたと語る訳で、もう一つの神話伝える日本書紀では、太陽と月に関わる物語として、この稲作の神話がでてくる。太陽・日の神と言うのは アマテラス、そして月の神と言うのは ツクヨミ であるが、高天原にいた アマテラス が ツクヨミ に対して、葦原中津国には、ウケモチ

 と言う神がいるらしい。ウケ と言うのは穀物という意味である。

穀物を持っている神,それが ウケモチ と言う神である。それを見て来てくれと、ツクヨミに頼む。ツクヨミ は偵察に地上に降りて行って、見た途端にその ウケモチ を殺してしまう。それで帰ってきてしまうので、アマテラス は非常に怒って、もうあなたとは二度と一緒に住まないと言って、太陽は昼だけど月は夜を守るとなって、昼と夜の区別が出来たという話になっている。その後 アマテラス は殺された ウケモチ が気になり、天熊人(アメノクマヒト)と言う神に、どうなったか見て来いと命じる。天熊人(アメノクマヒト) という言う神はどんな神かはよく分からないが、偵察に行くとやはり オホゲツヒメ と同じ様に、ウケモチ の神の体には穀物が生えていた。頭には牛馬が、顔には粟、眉の上には蚕、目には稗、そして腹の中には稲・陰に麦と大豆と小豆がなっていた。天熊人(アメノクマヒト)  はそれを全部採取してアマテラスに持って帰ってきた。そうするとアマテラス は喜んで大事に高天原で育てた。

稲作の起源

その育てた稲を始めとした五穀を アマテラス の孫であるニニギミコト が地上に降りていく時に、稲穂を渡した上でそれを育てるようにと言って託したと言われている。

それを 斎庭の穂(ゆにわのいなほ) と呼んでいる。この 斎庭の穂(ゆにわのいなわ) と呼ばれる高天原で育てられた聖なる稲、大変素晴らしい稲は、天孫降臨と共に地上に降り下って、それが地上に拡がっていったと日本書紀は語っている。

アマテラスの子孫たち、つまり天皇に繋がっていくわけであるが、その天皇たちはずっと稲作の起源に関わっているとして、その流れは今でも皇居で稲を育てるという事に繋がっていく。天皇制と稲作と言うことを非常に強く語るのが日本書紀の神話である。

所が古事記の場合には、アマテラスが高天原で稲を育てている場面は出て来るが、それを地上にもたらしたという事は全く語られていない。稲作の起源は、スサノオが オホゲツヒメ を殺して、その時に生れた種を地上に持って来て、出雲にもたらしたと語られている。そんな風に古事記の神話の稲作の起源は語られている。

それぞれ神話の語り方と言うのは、語る人等よって又書物によって色々違っているのだという事も興味深い。その稲作が私達にとっては極めて有用であり、そしてそれは神によって齎されたと語られる所が、どの話も共通している。

 

そんな風にして始まりを語ることによって、我々はそれをずっと続けていくのだという事が保証される。つまり稲というものが、この日本列島の人々の生活を支える、一番大事な物なのだという神話として、スサノオの神話にしろ、アマテラスの神話にしろ、語られているのである。

 

それからスサノオと言う神について、これは古事記には出ていないが、日本書紀を見ると、スサノオは地上に降りて、この出雲にやってきた時、木の種を持ってきた。杉、桧、クスとかあらゆる木の種を持って来て、実のなる木の種をも持って来てそれを日本列島全体に、息子の 五十猛命(イタケル)と一緒に植えて回ったという神話が日本書紀に出て来る。

そんな風にして植物或いは樹木などの始まりと言う所にも、スサノオは関わっている点で、スサノオと言う神は、単にオロチ退治する勇敢な英雄と言うだけではなく、生産に関わる所に重要な役割があったのだと、古事記或いは日本書紀を読んでいくと見えてくる。

 

「コメント」

 

事実として知らなかったこと、又講師の解説で成程と思う所が随所にあった。歴史と言うより物語として面白くなってきて、神話の登場人物が生き生きとして来た。