230312⑩「笑い」エム・ワラフ・エラク

今回は古代の人々にとって笑いがどう言うものであったのかということを考える。笑う門には福来るという諺もあるが、片方では笑いが笑われた人を傷つけることもある。笑いというのは、顔面の表情の変化と見てよいだろうが、状況によっては相手に対して様々な意味合いを働きかける。今回考えたいのは、古代の笑いというのが如何なるものであったかということである。笑いという言葉に拘りながら考えたい。

 中国の影響で エム と ワラフ の区別が亡くなったしまった

まず初めに紹介するのは日本人の笑いについて考えた民俗学者の1946年柳田邦男「笑いの本質」という本である。

日本人が戦争に負けて笑いを失ってしまったのを、元気づけようという意図があったと思われる。この中に女の笑いという部分があって、そこに次の一節がある。

「今まで日本人が漢学によって少しばかり損をしているのは、あの国には我々の持つ二つの動詞、エムとワラフとの差別がはっきりせず、双方ともに 笑 または 咲 の辞を充てて混同していることに気付かなかったこと、エミ を恰も ワラヒ の未完成なもの、花なら蕾か何かの如く思っていた人の多かったことである。そういうことは絶対にない。二つは古くから使い分けられていた証拠は、むしろ漢字をあまり知らぬ人々の、物言いに中に今でも残っている。私たちは 笑 と 咲

とを別々に取り扱って、便宜上「咲顔」などと書くことにしているが、これでもまだ間違えられる危険は十分にある。笑い顔というのは決して エガホ ではなく、二つをごっちゃにすれば常人には今でも通じない。」このように述べている。あの国というのは中国の事である。

柳田による エム と ワラヒ の違い
その中で元々日本語として使われていた エム と ワラフ という言葉の差別、違いが無くなり日本人は二つの笑いをゴチャマゼにしてしまったのだと柳田は言う。そしてまた同じ論文の中で、柳田は エム と ワラフ という二つの関係について、次のように説明している。

「ワラフ は恐らくは、ワル という語から出たもので、同じく口を開くにしても大きく開け、優しい気持ちを伴わぬもの、結果をどうなるか考えぬか、またはむしろ悪い結果を承知したものと考えられる。従って笑われる相手のある時には、不快の感を与えるものと決まっている。エム にはいかなる場合でもそうしたことがない。これが明らかなる一つの差別であった。つまり ワラフ という言葉はあまり良い意味では使わず、相手との関係を険悪にしてしまう行為である。つまり割る というのが語源である」 というのである。

ワラフ の語源というのは二つに分割してしまって、二人の関係を壊してしまう傾向に働く、それがワラフである。 軽蔑して相手をワラフとか、馬鹿にして わらふ とか、そのような形で ワラフ という行為、あるいはワラフ という言葉で存在していたのである。それに対して エム というのは、そういうことは全くない。そして続けて柳田は、そのワラフ とエム との言葉が、どのように表現として働くか公理として出てくるかということについて次のように言う。

「それよりも一層はっきりしているのは、ワラフ には必ず声があり、エム には少しの声もない。従ってエム は見るものであり、ワラフ は壁一重の隣からもでも聞ける。どうしてこれほどにも違っているものを、一つ続きの表現の様に見たかは不審であろうが、私の解するところでは人が大きな声を立てて笑う席上には、必ず黙ってただ微笑んでいるものか、あるいは笑う人の数よりも多く同座しているのが常だからである と思う。」

 

柳田はこう述べて、声があるかないかによって ワラフ・ワラヒ・エミ・エム との違いを説明している。要するに柳田は、今、私たちが笑うと読んでいる表現行為には、もともと ワラフ と エム と全く違った二つの表現があり、一方は二人の関係を分断し、声を出して笑う行為であり、もう一つの エム は声を立てずに相手との親密な関係を作る表現としてある。そしてこの二つは全く違う物であるということになる。

 古代において

このように柳田は、古代の事に限定して述べているのではなく、日本語全体も日本全般について論じているが、古代においてもこの二つの違いははっきりとしている。

ここで話題にしている古代において、この二つ、つまり笑うと笑むというのは、はっきりと別の言葉として用いられているのが分かる。用例を見ていくと、この二つは大きな違いを持っている。但し笑うと読むのか、笑むと読むのかというのは、漢字をどう読むのかということになってきて、これは難しい問題である。というのは古代の言葉一字一音で、いわゆる万葉仮名の様に、音によって充てて笑うと書いてあればこれは問題ないが、普通の我々が使う漢字の当て方で笑うという字を充ててしまうと、これは笑うなのか、笑むなのか区別できなくなる。というのは古代の文献を見ていくと、笑うというのは現在私たちが使っている 笑 という字は出てこない。古代では  という字を 笑う とも 笑む とも読む。一つの漢字を二つの読み方を充てて使っている。だから漢字を見ただけでは、どちらの読みか分からないことになっているのが大きな問題である。ここではなるべく一字一音の音仮名を使っていて、読み方に間違いの生じない用例を元にしながら話を進めたい。因みに、ワラフ という字は本来中国でも 咲 という字の異体字とてして使われていたので、本来元々は咲 笑うという意味で使う漢字であった。

日本書紀も万葉集もいずれも 咲 という字が使われている。そのことを確認したうえで、古代の具体的な用例を眺めてみたいが、まず エム という言葉を挙げてみる。

 用例 ヤチホコがヌナガワヒメに求婚

これは古事記のヤチホコ(大国主)が越への国へヌナガワヒメに求婚に出かけていくという物語である。ヤチホコは歌を歌って求婚するが、ヌナガワヒメは戸を閉めて会ってくれない。今は駄目だけど将来は貴方の妻になりますと言って、宥める歌を歌う。かなり思わせぶりで際どい表現であるが、ヤチホコを宥めいなしているのである。すべて音仮名で表記されているが、話題にしたいのは、三行目の以下の部分。

阿佐比能 恵美佐加延岐弖 明日の ゑみ栄え来て→その時あなたは 朝の日の笑顔を見せて。 ゑみ は音仮名で 恵美 と表記されているので読みは確定できる。そしてその ゑみ栄え来て というのは 満面の笑みを浮かべて、あなたはやってきている様が歌われている。だからこの歌から想像できる恵美 エミ という状態は、とても満ち足りた喜びがこぼれそうなっている様子が表現されている。確かに柳田が言うように、ここには声がない。そしてここではヤチホコとヌナガワヒメが親密な形で仲良くなる様を表現している。

また万葉集の歌にもしばしばこの エム という表現が出てくる。

万葉集での ゑまひ の使われ方
例えば家持の若いころの歌 

4-718 大伴家持

原文 不念尓 妹之咲尓 夢見而 心中二 燎巣管曽呼留

訓読 おもわぬに 妹がゑまひを 夢に見て 心のうちに 燃えつつぞ居る

「思いがけないことにあの人の微笑みを夢に見て、心を燃やしている事よ」

この万葉集の ゑまひ というのも漢字も、咲 の下に 儛 という漢字が当たっていて ゑまひ と呼ばせている。これでは読み間違いようがない。このように古代の文献も柳田が問うように、その ゑまひ には声はないけど非常にふくよかで豊かな二人の関係を親密にする表現として 笑む とか ゑまひ という言葉ある。

 古事記の神武東征 久米部の歌を例にして柳田説を当てはめる

それでは一方で笑う という言葉はどうであろうか。まず間違いなく 笑う と読まなければ意味が通じない言葉を取り上げる。古事記の例である。古事記中巻の最初、初代の天皇 神武天皇が九州から大和へ遠征して、大和に宮殿を作って即位したと伝えられる、神武東征の物語がある。その戦いの中、九州から瀬戸内海を通ってきて、熊野から吉野に入って大和の宇陀に行った時の歌として出てくる。そこで土着の豪族との戦いに勝った時の喜びの歌というのが、古事記に出てくる。
その歌のそのものではなく、歌の言葉の説明に出てくる歌がある。戦いの勝利の宴会の歌である。その囃子(はやし)言葉である。久米部という集団が伝えていたとされる。

ええしやごしや 此者伊能碁布曽 これはイノゴフを言う     イノゴフとは犬が追い詰めた獣などを威嚇するうなり声 ああしやごしや 此者嘲咲者成  こは嘲咲(あざわらふ) これは嘲笑することを言う。

これから見ると、笑う というのは確かに相手を軽蔑して、相手に歯向かう、敵対するような表現だとよく分かる。古代の歌や神話や物語を見ても、柳田が説明しているように笑うというのは、二人の関係を割ってしまうような、相手を軽蔑したりさげすんだりするときに、笑う という言葉を使う。そしてそれは声を伴っている。それに対して笑むというのは、にっこり微笑んで相手を虜にしてしまうような言葉として使われている。それには声が付いていないという説明は、古代の表現にはぴったりすることが分かる。

 柳田説の大きな問題点

その点で柳田の説明は素晴らしいと思うが、ただ問題は一つある。このように二つの言葉があるのだと説明しただけでは、私達が仲間と宴をしながらわいわい笑ったり、喜んだりしながら酒を飲んだり、和やかに会話をして声をあげて笑うという行為は、どういう言葉で表されたのか。それこそが最も大事なのではないか。古代の中ではそれに当てはまるのは、ほとんど用例はないが、一つ二つ候補がある。それが ゑらく という言葉である。
ゑらく 笑う 笑む も  というのは、現代では同じだが 古代ではア行の え ではなくて ワ行の ゑ が充てられている。その ゑらく という言葉がどのように使われているかというと、続日本紀の中で天皇が何かの儀式で唱える宣命の中に使われている。

大嘗祭の宣命の中で、献上された神酒に酔い、頬を赤らめて喜んでいる様を 「赤丹(あかに)のほに 「賜へゑらき(恵良伎)と述べている。この言葉は喜んで声を出して満ち足りている状態を表す言葉である。これと同じ言葉は、万葉集の中に、酒を飲んで天皇の前で喜んでいる歌がある。その中には仲間と和やかになって ゑらゑら というのがあって、同じ言葉から出ていると見做される。

19 4266 抜粋 大伴家持 詔に応える為に予め作る歌

原文 恵良恵良尓 仕奉尓 見之貴者

訓読 ゑらゑらに 仕へまつるを 見るが貴き→ 天皇の寿命が続いて、千年も万年も喜びが続いて、祝福を声高く響かせ、にこにことお仕えするのは貴いことだ

ゑらゑら というのは ゑらく という言葉の頭 ゑら だけが使われて、それが繰り返されて副詞の様に使われている。
仲間で喜び勇んで仕えている様を表現している。先ほど言った ワラフ と エム との間には大きな溝があるが、その二つを繋いでいるのが ゑらく という言葉である。この三つを組み合わせることで、初めて私たち現代人が、笑う と言っている、つまり軽蔑することも仲良くなることも含んだ、その笑う という言葉に対応する言葉が古代でもあった。そしてそれは三つに分かれていた。

ゑらく・ワラフ・エムの三つで古代の心情表現の豊かさが見られる。

逆に言うと本来この三つの言葉が持っていたものを、現代人は 笑う という言葉一つに纏めたのでその意味が曖昧になって、日本人の表現自体が訳の分からないものになってしまった。

 

「コメント」

 

仰る通り。でもそうなったのではなく、そうしたのが曖昧を好む日本人なのである。