カルチャ-ラジオ「漱石と明治近代科学」        早稲田大学教授 小山 慶太

   140112 漱石の巧みなレトリック

まずは、漱石が愛犬家であったという意外な事実。

「吾輩は猫である」等から猫に決まっていると思われがち。熊本の第五高等学校、帰京後の自宅で犬を飼っていた。特に東京では雑種の犬に「ヘクト-」とギリシャの叙事詩「イリアス」の英雄の名まで付けている。夏目家の猫には最後まで名はなかった。漱石の次男の言でも「猫より犬が好きであった。」と。

・「ガラス戸の中」エッセイ  身近な体験談を書いているが、ヘクト-が貰われてきた時の様子がある。また、ジステンバ-で入院して見舞いに行った時の、ヘクタ-の喜んだ様子が書かれている。

・ヘクタ-が死んだ時、庭に墓標を立て、俳句を詠んでいる。    「秋風の聞こえぬ内に土に埋めてやりぬ」

・妻 鏡子の書「漱石の思い出」

熊本で飼い犬が人を噛んで巡査と口論する様子が書かれている。「犬は利口で怪しいと思うから噛み付いた。噛み付かれたのは怪しくて、人相が悪く、犬に敵意を抱いたから。犬は悪くない、責めるべきではない。」

 

権威への反抗    これらの文章の中に漱石流のレトリックが使われて自説の正当性を印象付ける。

・自身への文部省による文学博士の称号授与の拒否

・学士院 恩賜賞への意見

この制度が設立されると猛然と抵抗。その論旨。 対象は物理学者 木村博士

このような賞が設立されると、今迄無知であった一般大衆にはその人だけが輝きを持って浮かび上がる。その意味も中身も理解できずに。同様に努力している他の人は知られないまま、これは不公平。誤解を与えるものである。

・朝日新聞への入社

「吾輩は猫である」発表後、帝大/第一高等学校/明治大学予科の教授と文筆家の二足のわらじ。段々に教師の仕事が嫌になり、遂には朝日新聞に入社。この時心境を「入社の辞」として。抜粋

「大学教師を辞して朝日に入ったら会う人が皆驚いている。教師を止めて新聞屋になることがそんなに不見識な事なのだろうか。新聞屋が商売なら、大学屋も商売である。新聞が世の中に媚びた下卑た商売なら、大学も下卑た商売である。個人としてやっているのと、お上がやっているのとの差である。世俗的な価値観では帝大の存在は絶対的でそれを投げ打って新聞屋になることなど非常識の極みと言われている。しかし所詮は大したことではない。」

 

これらの主張へのレトリックの利用

漱石の様々な主張の論旨には特有なレトリックが使われ、読者に効果をあげている。その例をいくつか示す。

・「草枕」の序

山道を登りながらこう考えた。知に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。住みにくさが嵩じると安い所へ引っ越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生まれ絵が出来る。人の世を作ったのは神でもなければ鬼でもない。向こう三軒両隣にチラチラする只の人である。只の人が作った人の世が住みにくいとて越す国はあるまい。あれば人でなしの国にいくばかりである。人でなしの国は人の世よりも尚住みにくかろう。越すこともならぬ世が住みにくければ住みにくいところをどれほどか寛げてつかの間の命をつかの間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が下る。詩は人の世を長閑にし人の心を豊かにするゆえに尊い。

 

レトリック   「人の世は住みにくければ人でなしの国に行くばかりである」 これは間違い、人の世の反対が人でなしの国ではない。ここに意味をすり替えてトリックを使っている。漱石の文章はテンポがいいので、読者はこのトリックに気づかず引っかかってしまう。これは随所に仕掛けられている。

 

漱石の作品と近代科学の融合

一般には文学と科学は水と油として捉えられるが漱石はそうとは考えなかった。文学の批評とか文学の歴史の研究は科学者が自然を対象として研究する作業と同じであると主張し信じていた。留学時代を通じて科学的文学研究は余りうまくいかなかったが、創作作品の中では科学の話題が作品にうまく溶け込み、漱石文学の興趣を深めている。

背景には漱石の科学に向けた熱い眼差しがあった。知的世界の広さと奥行の深さが直接間接に漱石文学の味わいに濃密なものとし、それがまた時代を越えて多くの人々を引き付ける魅力の源泉となっている。科学は漱石文学の隠し味である。