カルチャ-ラジオ「漱石と明治近代科学」        早稲田大学教授 小山 慶太

 

   140119 科学のHOWと文学のWHY

今迄2回で漱石が科学に関心が高かったことを話した。今回は漱石が科学の本質をどう捉えていたかを見ていく。

ここにも漱石の高い理解と、炯眼が見て取れる。「文学評論」の中で、科学とはいかなる学問であるかについての認識を次のように述べている。(要旨)

1、  科学はWHYを追及するのではなくてHOWをやる学問である。

科学はWHYに対してひとまずの答えは出すが、出た答えにそれは又「どうしてだ」と問われるとキリがなくなる。究極の「どうして」に対して答えはない。「神のおぼしめし」といしか言いようがない。そうなるとWHYよりHOWの方に目を向けた方が合理的で、成果も上がる。

・しかし一般の我々にはWHYに答えるのが科学であるとの認識がある。

EX、どうして空は青いのか 夕焼けは赤いのか?

 

    ニュートンも同じ考えであった。→漱石はニュートンに倣った。

     三つの運動法則と重力の法則を基礎にして力学の体系構築を目指して

     「プリン木ピア」を書いた。これはニュートン力学の確立を示し、近代科学の

     方法論に大きく貢献。

    これに対しデカルト派から猛烈な批判。

・離れた天体間でどうして重力が働くのか説明がない。

WHYに答えるのが科学である。

    ニュ-トンの主張

・例え原因は分からずとも重力の作用を数学で表現しそれを色々な現象に適用して運動がどのように起きるのか(HOW)を説明できれば取り敢えずは充分である。このようにして、ニュ-トンは重力の原因追及は放棄して運動現象の解明に専念した。

・更にデカルト派の攻撃は続くのでニュ-トンは次のように言う。

「あくまでも重力の究極の原因を問われるのであれば、それは宇宙に遍在する神の御業とでも答えるしかない」

一種の開き直りである。神に最終的責任を被せた。要するにWHYに対して科学は責任をとれないと言ったのである。その後デカルト派との争いは続くが、ニュ-トンの目覚ましい成果は世界に認められ、より一層HOWに力を入れるようになる。これが生産的で成果を上げた。

    このように科学の本質の特徴が基礎固めされ、HOWを中心課題としてWHYを棚上げする。

現代の科学でも重力がなぜ働くのかというWHYには答えられない。これは科学という人間の知的営みの限界であろう。

 

2、   漱石の文学の中のWHYHOW

「こころ」

・あらすじ

物語では最初、「私」という学生の主人公が、鎌倉で「先生」と出会い、親しくなる。しかし「先生」は重大な秘密を抱えており、なかなか心を開いてくれない。実は「先生」は、学生の時、親友の「K」と、二人して下宿の娘のことを好きになった過去があった。先生は「K」を出し抜いて恋を告白。そのことにショックを受けた「K」は自殺してしまう。その後、「先生」はその娘と結婚するが、親友を裏切った自分を許せず、最後には「私」あての遺書を残して真相を告白し、自殺してしまう。

・作中に私から「どうして」が連発される。しかし科学がWHYに対してひとまずの答えしかできないのと同じ状況。

 

 (先生)は一度「なぜ?」という質問に会うと、「神の思し召し」とでも言わないと説明にならないと言う。

 科学にたいするWHYHOWの論争を思い出させる。

 

「明暗」

・あらすじ

円満とはいえない夫婦関係を軸に、人間の利己(エゴイズム)を追った近代小説。漱石の小説中最長の作品である。また本作品が他の漱石作品にない特徴として、さまざまな人の視点から書かれている点、特に女性の視点から書かれているという点がある。

 

会社員の津田由雄は、持病である痔の治療のための手術費の工面に迫られていた。由雄には、勤め先の社長の仲立ちで結婚したお延という妻がいる。お延は津田に愛されようと努力するが、夫婦関係はどこかぎくしゃくしている。津田にはかつて清子という恋人がいたが、あっさり捨てられ、今は人妻である。お延にはこのことを隠している。お延の叔父岡本の好意で、津田の入院費を工面してくれることになった。津田の入院先に、かつて清子を津田に紹介した吉川夫人が現れる。夫人は、清子が流産し湯治していることを話し、清子に会いに行くように勧める。津田は結局一人で温泉へ行き、その宿で清子と再会する。清子は驚くが、翌朝津田を部屋に招き入れる。ここで漱石が没し、未完となる。

 

・ポアンカレ(仏の数学者)

漱石の弟子 寺田寅彦は、大正四年の『東洋学芸雑誌』に二回分ポアンカレの主著である『科学と方法』の中から抄訳して「事実の選択」(二月)と「偶然」(七月)を載せている。この翻訳は、漱石の未完の大作『明暗』中の一エピソードにも活かされている。

 

・元訳

「もしもあらゆる自然法則に無限の知識を有する全能の英知が存在して宇宙全体の情報をその英知が集約し、それを力学に当てはめて計算すればあらゆることを予見する事が出来る。偶然なることは意味をなさない。一方人間にとって偶然が存在するのは英知に比べると我々が無力で無知であるからである。偶然というのは人間の無知を図る尺度に他ならない。⇒偶然というのは人間の無知を表す。

 

(ポアンカレのこの言葉を要約すれば)

「我々は気が付かない様なごく小さな原因が重大な結果を引き起こしてしまった時、その結果は偶然に起こったという。」

 

・「こころ」にもあったが、究極の回答が提示されないのが漱石文学の奥深さが醸し出されている。漱石の死去で未完に終わったという偶然が皮肉にもその効果を大きくしている。

 

「まとめ」

   漱石が科学に強い興味があったことは充分理解できた。

   又、交友が文学者だけではなく、物理学者 寺田寅彦にも及び大きな影響を受けている。ここから科学への関心の深まりが増す。

   英語・漢文・短歌・俳句・科学にも堪能で知識人。