150116科学と人間②「日本列島の成り立ち」  講師 山崎晴男  首都大学東京都市環境学部教授

(関東平野はなぜひろいのか)

最近、書店で見かける本に竹村公太郎「日本史の謎は地形で解ける」がある。この中に徳川家康の関東移封の話が出てくる。秀吉が尾張、三河から江戸への移封を命じる。家康は受けるが家臣団は猛反発。名目上の禄高は150万石から250万石への加増だが、当時の関東平野は湿地など多く全くの未開地。しかし家康は広大で未開の関東平野に開発による経済発展を期待した。江戸に居を構えると城下の整備と共に大規模な土木工事を開始し関東平野の開発に着手。

土木工事のポイント

  1. 江戸城周辺の埋め立て   日比谷湾の干拓(今の丸の内、日比谷は海)

  2. 下町の埋め立て 低湿地地帯

  3. 利根川の流路の変更  東京湾→銚子

  4. 関東平野の低地の新田開発

    以上のことで家康は江戸の経済発展の基礎固めに成功した。背景には関東平野の特徴が寄与している。

  5. 一般的に平野を作る地形は平地・台地・丘陵地に分類される。低地が最も新しく、台地・丘陵地と作られた時代が古くなっていく。

    (低地)

    河川に沿う地では自然地盤では洪水時に河の流路から溢れた水が流れて、また河が頻繁に移動して河が運んできた地層が堆積したり、削られたりするという激しい侵食場所ともなる。現在堆積しつつある沖積層という新しい地層でできているという意味で沖積低地とも言われる。最近は堤防によって河道が固定されているので水害を被る頻度は大幅に減少している。

    低地は上流側から扇状地・自然堤防などで蛇行源と名付けられている。それからもっと下流で海に面している場所で出来る三角州とに区分される。

    (扇状地)

    扇状地は河川が山地から平野に出るところで形成される扇形をした堆積の地形で、平野に入って河川の流動幅が広がりその結果、水深が浅くなり、土砂を運ぶ力が低下して砂礫層等の堆積が起こるのである。洪水の度に河道は前に堆積した場所を避けて移動するので洪水が何度も繰り返されると結果として扇形に広がる扇状地が出来る。扇状地は主として砂礫層で形成され、水はけがよく畑地が多いが、水量が多い時期には扇状地の様な河川が幾筋も分流して流れ、網目のような分流が出来る。流路と流路との間には砂礫が溜まった高まりが出来る。ここでは洪水が起きる頻度が少ないので、よく「~島」といった土地があるがそこには古い集落が立地している。

    (自然堤防帯)

    渇水期には河川は地下に水が染み込んで伏流を作り、水無川となる。下流の自然堤防帯というのは扇状地より下流の平野に見られるもので、流路が蛇行するのが特徴である。洪水の時に溢れた洪水流は周辺に広がるがその時水深が浅くなるので流力を失って砂などを堆積する。これが繰り返されると河道に沿って周囲より僅かに高い土地が出来る。これが自然堤防である。

    人々はこうした自然堤防の中に住むようになる。現在も古い集落は自然堤防の中に残っている。

    (湿地)

    一方自然堤防帯の外側には乗り越えた洪水流が流入して土壌が堆積する。そのために水はけの悪い所ができて湿地となる。また河の蛇行によって流路は少しずつ移動するので放棄された流路跡に水が溜まって三日月湖などと呼ばれ、河の跡と書いて河跡湖というものが生まれる。

    (三角州)

    これは河川の最下流部、海に接する部分に出来る。河川が運んできた砂などよりもっと細かい(粘土等の細粒物質)の堆積により出来る。この細粒物質は一度堆積すると水の流れを受けても動きにくいので河口は固定される。その結果下流側に多数の枝分かれした流路が生じその周囲に細粒物が堆積していく。海側には干潮時に広がる干潟が作られる。江戸時代にはこの様な所に新田開発が行われ、干拓され農地化が進んだ。

    (砂州)

    平野の海岸に沿う地域には沿岸流で砂州が作られる。砂州も周囲より小高いので、人が最初に住み着いた場所の一つである。

     

    以上が低地で、平坦で水の便がよくて人々の生活の舞台であるが、本来洪水を受けるところである。我々の祖先はその洪水と戦いながら

    平野を切り開いてきた。つまり人工的な土地なのである。

    (台地)

    低地より高いところの土地。河川や海岸に沿って平坦地が段を作るので段丘とも呼ばれる。河川が作った段丘は河岸段丘、海で作られた段丘は海岸段丘。段丘化すると洪水の影響を受けないので火山噴火で火山灰などが降ってくると堆積する。これが繰り返されると古い火山灰から新しい火山灰までが堆積していく。これが関東平野に特徴的な関東ロ-ムである。台地のことを以前は洪積台地と呼んでいた。これは洪積層で洪積世にできた台地という意味。台地は水が得にくいので江戸時代までは開発されていなかった。家畜の採草地、牧場などとして利用されていた。江戸時代中期以降新田開発が行われ土地が広がった。特に戦前は養蚕の為の桑畑が多かった。戦後の都市近郊の大地では、電気や水等のインフラ整備が進み、住宅地となってきた。自然災害には強い地域ではあるが、最近の異常気象の中で、下水排水能力不足で河川の氾濫などが起きつつある。

    (丘陵)

    高い丘陵は侵食が進み平坦面が失われた所である。丘陵内部には細かい谷と尾根が形成され平坦部がほとんどない。水は得やすいので里山として利用されてきた。しかし現在は土地整備をして住宅地となっている。この様な土地は地震や集中豪雨による自然災害の不安がある。

    (関東平野)

    関東平野は日本で一番広い平野で面積は1.7万Km2。日本の全面積が38万Km2、平野はその1/4なので約9.Km2だが関東平野は日本の全平野の18%。そこには平坦な低地が広がるだけではなく、台地が広く分布していて小高い丘陵もある。浅い谷や崖などの起伏もあって坂が多い。平野の中央部には旧利根川、荒川といった大河川に沿って多くの低地が分布している。一方平野の東半分や西側の関東山地に沿う地域には台地と丘陵が広がっている。日本の平野には低地が広いタイプと台地が広いタイプの二種類があるが、西南日本は低地が広いタイプ、東北日本は台地が広いタイプ。関東平野はこの台地が広いタイプで、台地の面積は関東平野の60%

    台地の地形面構造を見ると、西部では東に向かって下り、東部から南東部台地では西ないし北に下っている。つまり関東平野の中央部に向かって下っている。台地は元々河川や海が作ったので水平ではなく下流に傾いているが、東側の下総台地は下流であるはずの海側が高くて変形していることを示している。

    これは関東平野が関東造盆地運動と言われる、平野の中央部が低下し周辺部が隆起する地下運動が起きているからである。

    (関東造盆地運動の原因)

    日本列島の太平洋側の沖合には、二つの海洋性プレ-トが日本列島の下に沈み込んでいる。潜り込んだ二つのプレ-トは関東平野の下で重なり、フィリピン海プレ-トの先端部は東から潜り込んでいる太平洋プレ-トと接触している。これは関東平野で発生する地震の震度分布や地震波より推定されている。このプレ-トの沈み込みによって日本列島を含む大陸の縁には島弧または弧状列島と言われる独特の地形が形成される。まず海溝の陸側斜面にはプレ-ト沈み込みの際に海底から引き剥がされた堆積物がくっつき付加体と言われる物が形成される。ただし形成されるのはフィリピン海プレ-トが沈み込む西南日本の南海トラフ、相模トラフ、駿河トラフの場合だけ。太平洋プレ-トが沈み込む東北日本の海溝では付加体は形成されていない。理由はテクトニック イル-ジョンといい、構造侵食とも言う。沈み込む海洋プレ-トが、大陸プレ-トの下部を削り取る作用によって大陸地殻が消えていると考えられている。

    関東平野が広いのは三枚のプレ-トが重なる地域にありかつ日本では他に例を見ないフィリピン海プレ-トの沈み込みによる前弧海盆だと言われている。更に関東平野では東縁の銚子付近、霞ヶ浦台地、鹿島台地などに隆起運動が認められこれが盆地形成に貢献している。これらの真下に沈み込んだフィのピン海プレ-トのスラブの先端部にあたり、そこではマントルの加水蛇紋岩化作用という作用が起きておりその蛇紋岩形成作用により体積膨張が起きて地上に隆起が起きているという説もある。

    (関東の地震)

    関東平野の下にはプレ-トが二つも潜り込んでいるのでこのプレ-トの活動と関連した地震が心配されている。それが関東直下地震である。

    今後3年間の発生確率は70%と言われ、甚大な被害が予想されている。それはどのような根拠なのか。

    相模トラフでのフィリピン海プレ-トの沈み込み運動によって引き起こされるM8級の地震として知られているが、フィリピン海プレ-トのもっと先の深い部分でも発生するはずである。ではどんな地震が発生するのか。将来のことを予測するには過去の経験に頼るしかない。関東地方の地震の歴史は家康の江戸開府以降しか信頼できるDetaはない。更に資料が沢山あって色々な情報が得られる情報となると1855年の安政地震以降となる。

    ・安政地震以降関東平野で起きたM7以上の地震は1923年の関東地震を除いて150年間に7回発生している。平均すると30年に1回。

    発生時期を見ると1923年の関東地震の前でありその後は1987年の千葉県東方沖地震まで60年以上M7級の地震は起きていない。

    震源はいづれも関東平野の内部。このうち1931年の西埼玉地震の震源は浅く、やや深い震源を示す他の6つの地震とは異なる。或いは

    活断層が動いたのかもしれない。

    ・これらの地震の被害は大きくバラつく。最大の被害が生まれたのは1855年の安政の大地震。震源地は東京湾北部。この他の地震は

    震源が人口密集地でなかったために大きな被害は出なかった。つまり関東直下型地震というのは、地震発生の場所によって被害が

    異なる。

     ・この首都直下型地震とプレ-トによる関東造盆地運動とは何らかの関係があると思われるが、まだ具体的関係は分かっていない。

     ・いづれも潜り込んでいるプレ-トの上面から発生した地震と考えられている。

    「結論」

    関東平野が日本の他の平野と異なり、異常に広いのはプレ-トの沈み込み運動に関連した海盆が陸地の近くに形成され、陸地がプレ-トからの堆積物で埋められていることが大きな理由である。