科学と人間「日本列島の成り立ち」③  講師 山崎晴男  首都大学東京都市環境学部教授

150123 (武蔵野台地と玉川上水)

  1. 玉川上水は何故作られたのか

    家康は江戸に居を構えて城下作りを始めてから街は急速に発達し人口も急増。その結果飲料水不足が顕在化した。江戸城の東側は埋立地なので井戸を掘っても塩水しか出ない。そこで幕府は多摩川から水を引くことを計画、当初の目的は江戸城の為の水確保。予算6千両で1653年にスタ-ト。多摩川沿いの羽村から四谷大木戸(新宿御苑の大木戸門辺り)まで8ヶ月で43kmの水路を完成させた。これを請け負ったのは玉川兄弟で、飲料水料徴収の権利を与えられた。

  2. 武蔵野台地と玉川上水

     ・羽村-四谷大木戸の標高差は100m。分水できるように台地の尾根を通って極めて巧妙に作られている。これは武蔵野台地の地形的特徴を上手く利用している。                                                                             ・武蔵野台地は関東平野西部の一角を占め、西側の関東山地から流れ出る多摩川と入間川の間に広がる台地である。武蔵野台地の中央部には島状に孤立した狭山丘陵があり、元々多摩川が作った扇状地や東京湾の沿岸に広がった海岸平野が海水準の変化やその原因である気候変動、更には地殻変動による隆起も加わって段丘になったものである。古い時代に低地だったところが隆起して浸食を受けながら台地を経て丘陵となった物である。丘陵の頂面には、当時の河川堆積物(砂利)が、残っておりこのことを示している。武蔵野台地の東端には淀橋台とか荏原台と呼ばれるところがあり、河岸段丘が隆起して台地化したものである。                                                                  ・江戸城は淀橋台の東端に作られている。                                                                           ・江戸に坂が多いのは海沿いに古い段丘群があり、谷なども多く人口が密集しているので段丘面を上下する道が発達したため。                                                                                                ・玉川上水が出来る前、江戸時代初期の飲料水として利用された神田川や石神井川の水源は段丘の中にある井の頭池や石神井池の湧水であった。                                                                                    ・玉川上水はポンプのなかった時代に武蔵野台地の地形面の標高差を利用して、相対的に高い所にある淀橋台の上まで水を運んだのである。→段丘面は下流に向かって下がっているので、これよりゆるい勾配の水路を設ければ下の段丘から上の段丘に水を送ることが出来る。しかし図面も測量技術もない時代には大変な難工事であった。                                     ・一番の難工事は羽村の取水口。

  3. 武蔵野台地が出来た仕組み                                                                                      ・氷期には関東山地の森林限界が下がり2000mより低くなり、山地はハゲ山となり岩石の崩壊、流失が頻発。これにより下流部では 堆積物により扇状地が出来る。氷期には海水面が大きく下がるので扇状地には谷が出来る。間氷期には関東山地に森林が復活し森林限界は上がる。その結果、砂礫の供給は少なくなり、雨による侵食力、流力を増した河川は氷期に埋めた扇状地を侵食し段丘となり、これが武蔵野台地となっていく。

  4. 玉川上水が可能だった理由                                                                                ・関東平野の東に傾く武蔵野台地があったから。これは関東造盆地運動で東側と南側が高くなっていたためである。                           ・つまり玉川上水は武蔵野台地の地形的特徴と関東造盆地に負うものである。

  5. 現在の玉川上水

    ・全体としてはもう水を東京に運ぶ役割はないが、羽村-四谷大木戸までの水路は残っている。

    ・羽村での取水は続いているが上流に取水堰が新しく作られ、別の疎水ル-トができたので役割は大幅に低下した。

      羽村で取水された水は拝島段丘に上り狭山丘陵の山口及び村山貯水池を経て東村山浄水場へ、或いは玉川上水を               小平分岐まで経由して東村山浄水場に運ばれている。

      ・東村山浄水場は、今新宿副都心となっている旧淀橋浄水場の代わりに、多摩地域の殆どと世田谷を除く23区の西部地域に供給する大規模な浄水場である。

     ・玉川上水は羽村から小平分岐まで水量は大幅に減ったが利用されている。

     ・小平分岐から下流は環境保全のために下水処理された水が流されている。これは飲料には適さないが綺麗な水である。

    「コメント」

    ・地質学の説明は、当方に基礎知識がないので、理解がなかなか出来ないが、関東平野のでき方、武蔵野台地の成り立ちはぼんやりとわかったかな?

     ・玉川上水構造の理屈は、これまたよく理解できない。武蔵野台地の地形をうまく利用したという事のみ。仕方ないか。