科学と人間「日本列島の成り立ち」  講師 山崎晴男  首都大学東京都市環境学部教授

150213(海峡の成立)

前回の海水準変動から海水面上昇について話したが、今日は海面が低下することによって生じる地形や環境変化について話す。

まずは日本を島国たらしめている海峡の話から始める。現在の日本は周囲を海に囲まれて孤立した島国のように見えるがそれは

地質学的時間から見れば最近のごく短い時間のことに過ぎない。

(日本の海峡)

・これまで話してきた世界的氷河性海水準の変化の結果、日本列島は北西側にあるユ-ラシア大陸との間が海によって

 切り離されたり、或いはそこが陸続きになったりするということを繰り返してきた。

・海峡とは二つの陸地の間が狭くなった部分で、日本では「水道とか「瀬戸」と呼ばれている。日本の周りは朝鮮半島との間に

 「対馬海峡」、サハリンとの間に「宗谷海峡」、サハリンと大陸の沿海州との間には「間宮海峡」があって大陸との間を分けている。

 また北海道と本州との間には「津軽海峡」がある。

・対岸の見える狭い海峡でも人間にとっては移動を阻む大きな障害になる。その為人間の生活を断ち切る場所としていつも海峡が

 小説や演歌の舞台となる。

・現在の日本付近の海峡には二つのタイプがある。

  1. 一つは水深が100mより浅いタイプ。これは氷河性海水準変化で氷期に海面が大きく低下すると海底が露出して陸地となってしまう所。干上がらなくとも細い水路だけになってしまい、大洋からの海流の流れ込みが無くなってしまう。このタイプの海峡は氷期には陸地となって動物たちが移動してくる。そして間氷期になると海面が上昇して海水に覆われ行き来が難しい海峡になる。対馬海峡は水深が100m、宗谷海峡は60mで、氷期の最盛期には干上がって大陸と陸続きになったり川のようになったりしたと考えられる。

  2. もう一つのタイプは水深が深いために氷期になっても干上がらず、海峡はそのまま海水の通路として存在し続ける所である。こちらは動物が移動できない。この為に海峡を挟んで生物分布境界が生じる。日本の生物分布境界にはいくつか在るが、世界的規模での大きな境界となっているのはワタセ線である。

    (ワタセ線)      トカラ構造海峡とも呼ばれる、トカラ列島南部の悪石島小宝島の間に引かれた動物の分布の境界線

    ・この線の北側は旧北区と呼ばれる地域で日本列島と同じ種類の生物が中国、ユ-ラシア大陸の大部分それからアフリカ北部まで分布している。

    ・一方この線の南側は東洋区と呼ばれる地域で東南アジア、インド、インドネシア、フィリピンと共通する生物が分布する地域である。

    沖縄で有名な毒蛇のハブはコブラの仲間で東洋区に分布しているが旧北区にはいない。一方日本本土にいるマムシは東洋区にはいない。日本ではワタセ線が1番顕著な分布境界となっているが、そのほかには海峡が生物の分布境界となっている所がある。

    ブラキストン線、または津軽海峡線というのがあって本州と北海道の生物分布の境界になっている。

    ・津軽海峡線  北海道のヒグマやエゾシカとキタキツネと本州のツキノワグマニホンザル、モグラ唐の本州生物との分布境界。これらは海峡が深く氷期になって海面が下がっても生物が往来できなかったためである。

    (ウォ-レス線)    世界的に有名な生物分布境界線はウォ-レス線でインドネシアの東部を横切るロンボク海峡とその北のマカッサル

    海峡を通っている。

       ・この線の西側は東洋区、東側は有袋類が特徴のオ-ストラリア区となっている.ロンボク海峡はバリ島の東側にあり水深250m氷期にも干上がらなかった。それで生物の移動が制限されたように見えるがじつはそう簡単ではない。詳細は複雑なので省略。

       ・でも深い海峡を越えて両側にオ-ストラリアくの生物が分布している。こうして諸条件を見ると、生物分布は色々な条件が深く絡み合って決まるようで、単に海水準で決まるのではないことが分かる。

    (津軽海峡線)

    (日本の象)    日本にはかって象が生息していた.いつ頃どうやって日本列島に来たのであろうか。

       ・東洋象は63万年前の氷期の海面低下期に中国南部から干上がった東シナ海を通って渡ってきた。この象はすぐ死滅した。

       ・その後にナウマン象がやってきた.43万年前の氷期に朝鮮半島から千島の陸橋を渡ってきたとみられる。ナウマン象はインド象の亜種でインド象より小型である.寒さに耐えるためにマンモスの様に毛が生えて独自の進化を遂げていた。ナウマン象の死滅は

    1万年前とみられるが、4万年前に日本にやって来た人類の食料として狩り尽くされたとみられる。北海道にも分布しているが、この種は南方の種なので、ユ-ラシア大陸から北回りで北海道に行ったとは考え難く、津軽海峡を渡った可能性が高い。

       ・氷期にシベリア方面から北海道にやってきたマンモスは津軽海峡を越えて来てはいない。

       ・北海道にはヒグマやキタキツネなど本州と異なる種が分布しており、津軽海峡を境にして生物分布境界が出来ている。

  1. 津軽海峡は最も浅い所で水深は140M以上あり、水深が生物分布を作っているともいえる。しかし南方のナウマンゾウが

    海峡を渡ってきている。説明できない。

       2、 ここでも水深だけで生物の分布を説明できないのである。

      (日本海)       日本海は沿海と言われる。沿海→陸地に沿った海、大陸棚を覆う海。

       ・日本海の誕生

    1500万年前にユ-ラシア大陸の東端に中央海嶺と言われるマントルの噴出口が出来た。大陸が部分的に分裂して開いた部分に

    海洋性地殻が出来た。これが日本海の拡大開始である。日本列島の部分は東側に押し出され基盤は逆九の字型に変形した。九の字

    の折れ曲がった部分は陥没して窪地が出来た。これがフォッサマグナと言われる。フォッサマグマはその後の火山活動ですっかり

    埋め込まれてしまう。しかし西の縁である糸魚川-静岡構造線は、西側の基盤と東側との境界として現在も地形的に明瞭に

    認められる。この様な日本海の拡大は数百万年で終了し日本海が作られた。日本海の中央部分は拡大し水深は3700mと富士山に

    匹敵する。日本列島の北と南の端は大陸と近接しており、外側の大洋とは浅い海峡で繋がることになった.その為に日本海は氷期.

    間氷期の繰り返しの中で大きな環境変化を受ける事になる。

    (海流)

    ・現在の日本海には黒潮から枝分かれした暖流の対馬海流が、対馬海峡を通って流入し津軽海峡を通って太平洋に戻る。マグロ漁は

    この暖流に乗って日本海を北上してきたマグロを捕らえるのである。

        ・しかし氷期になると様子は一変する.対馬海峡が干上がって暖流を通さなくなり、代わりに津軽海峡から寒流が流入し水温低下する。

        また大陸の河川からも冷たい冷水が流入し日本海の塩分濃度は低下し、そこの部分は酸欠状態となり生物は死滅する。

       ・やがて後氷期になって海水準が上昇し生物が復活し現在の姿になった。

       (大陸棚)   海岸から水深200m位までの海底。国際海洋法条約の基準。

       ・日本海はじめ世界の海岸には陸から続く平坦な台地上の地形が分布している。外縁部の水深は130m程度が多く、大陸の縁に棚の

    ように平坦部が続くので大陸棚と呼ばれる。大陸棚の海側の縁は大陸棚外縁と呼ばれそれから先は大陸斜面と呼ばれるものが下に

    伸び海盆に続く。

    ・大陸棚外縁は約130m、これは氷期の低海面水準と一致している。

    (各地の洪水伝説や海底の陥没伝説)  ノアの洪水  ヌ-大陸  アトランティス大陸

    ・有名な科学雑誌に時々この様な伝説を地球の気候変化やプレ-ト運動に伴う地殻変動で説明しようとする論文が出る。

  2. こういう話は専門家だけではなく、普通の多くの人が興味を持つ話題なので盛り上がる。

    ・19世紀インドに駐留していた英国士官がヒンズ-教の僧侶から未知の文字で書かれた粘土板を手に入れる。ここに書かれている

    言葉を解読し世界中を調査し、南太平洋のトンガや西太平洋のカロリン諸島の遺跡からいわゆる「ヌ-大陸」は南太平洋と推定し、説にあるように大陸が陥没したと考える論文を発表した。しかこの地域に人々が移り住んだのは4000年前が定説。

    ・現在の海底地形から見ると、インドシナ半島とマレ-半島との挟まれるタイランド湾、その南には水深100mの平坦な大陸棚。

     この水準なら氷期には完全に干上がるので大陸と陸続きになっていたはずである。へトナムからタイ、マレ-シア、インドネシアに至る大な大陸となり、スンダランドと呼ばれている。ム-大陸を探すならばスンダランドは有力な候補となる。

    (まとめ)

    ・この様に氷期には海面低下が起き、広大な大陸棚が陸上に出現した.一方日本海などの環境も大きく変化し地域的にではあるが生物の大量絶滅なども引き起こした。今回は海峡を入口にして海面低下による色々な話をした。