.こころをよむ「漢詩に見る日本人の心」                 宇野 直人(共立女子大学教授)

150426④「博学無比の人~林羅山」

「林 羅山」

江戸初期の儒学者。幕府に仕え、朱子学興隆の基礎を確立した人。京都生まれ。はじめ建仁寺で仏教を修めたが、朱子学に心酔。

23歳で家康の顧問、秀忠・家光・家綱に仕える。林家は代々大学頭となり、幕府の学問の中心。羅山は儒学のみならず国文学・史学・地理学・兵学・本草学・神道などを極め、著作多数。詩を作るのがとても早く、次から次へと出来上がってきたとか。48歳の時に

上野不忍池に私塾を開いた、これがのちの昌平黌となる。

 

  1. 壬戌之~」  七言絶句

    詩題がとても長いので省略。下関の阿弥陀寺(今の赤間神宮)を訪れて、安徳天皇を弔った。安徳天皇の祖母・二位の尼(平清盛の妻で平時子)が安徳天皇を抱いて入水した。この壇ノ浦の戦いに思いをはせて作った詩である。

    この詩は壇ノ浦の戦いを、中国南宋の(がい)山の戦いと重ねて詠んだもの。又漢代・唐代の有名な戦いにまつわる語句を織り込んでいる。

    天子蒙塵船幾艘  天子 蒙塵(もうじん) 船 幾艘(いくそういくそう)               帝が都を落ち延びて 船は幾艘付き従ったのであろうか

    翠華千里影揺揺  (すい)() 千里 影揺揺(ようよう)               帝のみ旗は はるかにこの地まで 揺らめきながらやってきた

    築城捲土重来否  城を築き 土を()いて 重ねて来たるや(いな)や   彦島に城を築き 形勢を挽回できるかどうかと言うとき

    恨在西関不下潮  恨みは西関(せいかん) 下らざるの潮に在り     残念なのは 関門海峡の潮流が敵に向かわなかったことである

    ・安徳天皇 81代天皇 母は平清盛の娘建礼門院徳子 2歳で即位 壇ノ浦で二位尼に抱かれて入水

    (すい)() 翡翠(かわせみ)の羽で作った帝の旗 白居易(白楽天)(長恨歌)の中に、玄宗皇帝の都落ちを描いた場面を引用している。

    捲土重来(けんどちょうらい) 土を巻き上げるような勢いで再起をはかること。

    ・築城    平氏は彦島に城を築いた

     

  2. 月前見花」  七言絶句  月前(げつぜん)に花を見る

    淡月映欄花気濃  (たん)(げつ) (おばしま)に映じて 花気(こま)やかなり  淡い月の光が 欄干を照らし 花の香りが 豊かにただよう

    春宵好景勝秋中  春宵(しゅんそう)好景(こうけい)中秋(ちゅうしゅう)の名月に()さる    春の宵の良い眺めは 中秋の名月にもまさる

    不明不暗朦朧影  (めい)ならず 暗ならず 朦朧(もうろう)の影      明るすぎず暗すぎず おぼろに浮かぶ影

    于色于香剪剪風  色に香りに 剪剪(せんせん)の風           形を揺らし 香りを送る 薄ら寒い風

    春の夜の艶めかしさを歌っている。蘇武「春夜」の(春宵一刻値千金 花に清香有り 月に陰有り)を受けている。

    ・秋中 中秋の事

    剪剪(せんせん) うすら寒い

     

  3. 夜船渡桑名」 七言律詩  夜船 桑名を渡る

    扁舟乗霽即収篷  (へん)(しゅう) (はれ)に乗じて 即ち(とま)を収む     私の乗る舟は 天気回復したら すぐ 舟の覆いを取り払った

    一夜桑名七里風  一夜 桑名 七里の風            これから一晩 桑名から七里の間 風に吹かれて進むのだ

    天色相連波色上  (てん)(しょく) (あい)(つら)なる ()(しょく)の上         空の様子は 海の波の眺めにつながり

    人声猶唱櫨声中  人声(じんせい) (なお)(うた)う 櫨声(ろせい)(うち)           舟人は櫓をこぐ音と共に まだ歌い続けている

    衆星閃閃如吹燭  (しゅう)(せい) 閃閃(せんせん)として (しょく)を吹くが如し     沢山の星はちかちかと瞬いて 灯を吹いているようだ

    孤月微微似挽弓 ()(げつ)微微(びび)として 弓を()くに似たり  ただ一つ空にかかる月はほっそりとして弓を引き絞った形に似ている

    漸到尾陽眠忽覚  (ようや)()(よう)に到って 眠り(たちま)ち覚め      やっと尾張に着く頃 私は目覚め

    臥看朝日早生東  ()して()る 朝日の (つと)に東に生ずるを  朝日が早くも東に登るのを 寝たままで迎えた

    桑名から尾張の宮宿に旅をしたときの詩である。東海道に属し、伊勢湾を通るこの海路は、距離が七里であったので「七里の渡し」と呼ばれた。出発の時の様子→船の上から眺めた夜景→その中で星と月を詠み→夜明けに尾張に着いた情景

    この様に時間に沿って述べている。

    ・律詩  八句からなり二句毎に内容が変わっていく。

    ・桑名  三重県揖斐川の西岸に位置し、古くから木曾・長良・揖斐の三川を利用した物資の集散地。

    (とま)    菅や茅を編み、舟や小屋の上に架けるもの 篷屋(とまや)(苫屋)

    ・天色  色→この場合は気配・様子

    閃閃(せんせん)  きらきらと輝くさま

    (しょく)    照明用の火→ともしび

     

  4. 葵巳日光紀行」  七言絶句  葵巳(きし) 日光紀行  ()十干(じっかん)の10番目、みずのと()十二支(じゅうにし)の6番目 

    羅山は自分の領地(武蔵国、袋村への旅の様子を詠んでいる。「詩経」に出てくる公劉の故事を引いている。

    自分の領地の振興に尽くしたいとの決意を披歴している。(実際には行かなかった)

    前半  袋村の地味が痩せていて作物が乏しいが、名産のごぼうの事に言及。

    後半  自分が村に入って、生産向上に努めたいと言っている。

    園圃唯望露霈蕃  園圃唯望む 露霈の蕃きを          田畑にとって 望ましいのは 雨露である

    就中風味鼠粘根  就中 風味は鼠粘の根            とりわけこの地で味がいいのは こぼうだ

    公劉好貨非私利  公劉の好貨は私利に非ず          公劉を目指す私が村人に贈る引き出物は私利私欲ではない

    願裏餱糧入此村  願わくば餱糧を裹んで此の村に入らん   食料を調(ととの)えて この村に移り住みたいものだ

    ・詩経 五経の一つ、中国最古の詩集。孔子の編とも言われる。

    公劉 周王室の人で都作りと農業振興に尽くした。仁徳ある主君の例えに使われる。

    ・好貨 宴会の時、客に贈る品

    ・裏餱糧 (こう)(りょう)(つつ)む 詩経に出てくる公劉の故事。旅行中、人に迷惑を掛けないように(こう)(りょう)(ほしい)を持って行くこと。

     

  5. 秋思」  小令(短編の詞)

    夜蔓曼       夜 蔓曼(まんまん)                 夜は果てし無く

    風凛凛       風 凛凛(りんりん)                 風は肌寒く

    夢裏錦衾角枕   ()() (きん)(ちん) 角枕            夢路をたどる 錦の衾  角の枕とともに

    忽驚起          (たちま)驚起(きょうき)すれば               ふと目覚めると

    斜紅残        (しゃ)(こう) 残す               花かんざしは 落ちかかっていた

    只見月転欄     ()だ見る 月の(おばしま)に転ずるを    外を見ると 月が欄干の上を移動していた

     

    葉声声         () 声声(せいせい)                葉のそよぎ

    虫喞喞         虫 喞喞(そくそく)                虫の鳴き声

    忍清怨擲錦瑟     清怨(せいえん)を忍び 錦瑟(きんしつ)(なげう)つ      悲しさ・寂しさに耐え 錦の瑟も弾かずにいよう

    窈窕深          窈窕(ようちょう)として深く            奥まった遠い所

    君門遥          君門(くんもん) (はる)かなり            宮城は はるかかなたに

    独坐侍早朝       独り坐して 早朝に()す       一人座って 夜明けを待とう

    秋の夜、寵を失った女が愁いに沈む様子を情緒たっぷりに描き出している。謹厳な儒者らしくない詩。何でも出来る羅山先生。

    曼曼(まんまん) はるばると広い様子

    凛凛(りんりん) 肌寒い様子

    (きん)(ちん) (錦の寝巻)  角枕→「詩経」よりの引用。 夫の帰りを待つ妻の様子を謡ったもの。

    錦瑟(きんしつ) 錦を描いた大琴 「瑟」は、琴に似てより大きい。

    窈窕(ようちょう) 遠くて深い様子

    「まとめ」

    羅山は膨大な読書量と、博識に基づいて、様々な漢詩を作り分けている。

    漢詩は短歌や俳句に較べて約束事が多い。普段の日本語ではなく、漢字だけで作らねばならない。よって漢詩を作るときには、普通の日本語の詩を作るときに較べて、改まった気分になる。

    又作る人の個性、本質、知識量などが現れる。

     

    「コメント」

    ・漢詩の漢字を探すのに大苦労。しかし探せばあるものだ。辞書を引いたり大変だけど、ある意味面白い。

    ・中国の漢詩に出てくる古事の引用が実に多い。「俺は知ってるよ、こんなことも」と言ってるように感じる。

     この故事を知らないと漢詩は作れないし、様にならないのだろう。という事は本場の漢詩に精通しなければならないのだ。

    ・いつの日か、漢詩の真似事でも作ってみたいものだ。

     ・漢詩とは直接関係ないが、十干十二支をもう一度べんきょうするべき。