科学と人間「私たちはどこから来たのか?~人類700万年史」     講師 馬場 悠男(国立科学博物館名誉研究員)

150724④乾燥する草原に生きる~頑丈型猿人と初期の原人

今回は猿人がどのようにして原人に進化したかという話である。具体的には260万年前に氷河期が始まり、その中で

祖先はどのように生きてきたかという物語である。

(パンゲア大陸) 

それには大陸移動が関係する。それはプレ-トテクトニクスによるゆっくりとした大陸の移動である。巨大で平らなパンゲア大陸(3億年前に存在したと考えられている巨大な大陸、北半分をロ-ラシア、南半分をゴンドワナと呼ぶ。これが分裂移動して現在の大陸となった。)があった。パンゲア Pangaea  ウェゲナ-の命名

・インド亜大陸はアジア大陸にぶつかり、ヒマラヤ山脈を作る。

・アフリカがヨ-ロッパにぶつかり、アルプスを作る。

・太平洋が拡大していく過程で、アメリカ大陸の西側にロッキ-山脈、アンデス山脈が出来る。

 

(氷河期)

この巨大な山脈のお蔭で、地球全体の気流が南から北へうまく流れなくなり、赤道近くと南極、北極との温度差が拡大する。そうして雪が降る、雪が積もった所の面積が広いと太陽熱を反射して全体的に気温が下がる。そして260万年前から常に北極と南極に氷河が形成される。それが氷河期である。しかし氷河期というのは常に寒いわけではない。寒い時と

温かい時を数万年から10万年単位で繰り返している。こうして徐々に寒くなっていく。今は2万年前に一番寒くなって1万年前に急に暖かくなる氷期の終わりという事で後氷期である。全体として私たちは氷河期の中にいる。

この周期的な変化の原因は、

●地球が太陽の周りを楕円軌道で回り、太陽からの距離が変わるからである。

●これにより太陽から受ける熱量が変化する。

 

(アフリカの乾燥化)  この中での人類の祖先はどう対処したのか。

この氷河期にアフリカは全体としては寒くなると言うよりは、乾燥する。熱帯雨林が草原に、草原が砂漠に。サハラ砂漠は700万年前には大部分が草原であった、それが徐々に砂漠化が進んできた。同時に数万年から10万年単位で砂漠が拡大したり縮小したりしてきた。この変化の中で二つの違う戦略を取った別々の集団があった。運命の分かれ目であった。

ここでの教訓→変化しない集団は絶滅する。

頑丈型猿人のグル-プ   従来の生き方の踏襲→100万年前に絶滅。

   パラントロプスの仲間で、南アフリカ・タンザニア・ケニア・エチオピアで発見される。

   では従来の生き方の踏襲とはどんなことであったか

    ・熱帯雨林の果実は期待できないので草原の固い植物を食料とするようになる。この為、歯と

     顎を強大にしていく。噛む力は現代人の5倍。

●ホモハビリスのグル-プ  我々ホモサピエンスに進化していく祖先  ホモハビリスというのは

   「器用な人」という意味それは道具(石器)を使ったからである。どういう使い方であったか。

    ・ライオンが眠っている間、昼間に歩きまわって多様な食物をさがす。特に肉などの軟らかい

     食物をさがす戦略を取った。例えば死んだ動物がいたら、石器を使って肉を切り裂く、内臓を

     処理する。骨を石器で砕き、髄を食う。

    ・歩きまわる為には体温を下げねばならない、又増大する脳の温度も下げねばならない。

     この為に体毛が薄くなって、発汗作用を促すようになる。

    ・この間の変化を要約すると

  1. 石器を使って肉などの軟らかい食物を食べるようになったので歯・顎が小さくなる。  

  2. 歩きまわる為に足が長くなる。

  3. 食物を得ようと工夫するので頭を使い、脳容積が大きくなる。頑丈型猿人は進化しない。→絶滅

    (化石発見の場所)

    化石の発見からこの様な事が分かってくるのだが、化石がどのように発見され、今のような状態がどうしてわかって来たか。それは化石発見の聖地を尋ねるとよく分かる。例えばイスラム教徒ならメッカ、人類学者にとってはこれらが聖地である。

  4.  ・北京原人    北京郊外周口店     ホモエレクトス・ペキネンシス

     ・ジャワ原人   ジャワ島トリニ-ル川  ピテカントロプス・エレクトス

     ・ネヤンデルタ-ル人  ドイツ ネヤンデルタ-ル

     ・クロマニオン人     仏 クロマニオン洞窟

     ・アウストラピテクス・アファレンシス(アフ-ル猿人)

     ・ホモハビリス  タンザニア オルドバイ渓谷

     (オルドバイ渓谷)

     講師はジャワ原人・ホモフロレシエンシスとの比較研究の為にケニア ナイロビの国立科学博物館に行く。この機会にホモハビリス化石発見のオルドバイ渓谷訪問を行った。アルシャまで飛行機で行くが途中にキリマンジェロが見える。

    温暖化で雪の減少が甚だしい。この近くに有名な「セレンゲティ国立公園」がある。オルドバイ渓谷は西から東に流れる大きな谷である。その先は南北に連なっている広大な大地溝帯である。ここで長年、化石研究をやっているのが、後述の有名な「リ-キ-一家」である。

    (リ-キ-ファミリ-)

    ●ジンジャントロプス・ボイセイ→ホモハビリス

    昔からタンザニアのオルドバイ渓谷で人類化石の調査をやってきたのは、リーキ-一家。最初のボスで今の世代の祖父にあたるルイス・リ-キ-という人はイギリス系のケニア人。ケンブリッジを卒業した古生物学者。奥さんのメアリ-と二人で、南アフリカの頑丈型の猿人とよく似た化石を見つけた。顔を形から猿人と思ったが石器の出てくる地層だったので人の祖先の可能性を考えてジンジャントロプス・ボイセイと名付けた。しかし南アフリカのフィリップ・トバイヤスという人類学者と共同で研究し、結論はやはり猿人としてホモハビリスと名付けた。これは人類の直接の祖先ではなくなったが人類の直接の直接の祖先らしい化石を見つけたという事でリ-キ-夫妻の業績は評価された。

    ●トゥルカノボ-イ  息子のリチャ-ド・リ-キ-がケニアのトゥルカナ湖畔で発見した少年の化石

     脳容量は約900cc。ホモ・エレクトスに分類される。彼が発見された地と生息していた時期から、ホモ・エレクトスはホモ・ハビリスの進化系であると考えられる。

    ●ミ-ブ・リ-キ-  リチャ-ド・リ-キ-夫人

     リチャ-ド・リ-キ-の妻。元々海洋学者であったがリチャ-ドと結婚して化石の世界に入った。無学なリチャ-ドを助けて研究に励むが、後リチャ-ドが化石研究から脱落すると自分がリ-ダ-となって現在もトゥルカナ地方の化石研究を行っている。世界的に高名な人類学者であるが、講師の印象ではとても謙虚で上品で知的でユ-モアが会って素晴らしい人。

     

    (ケニア国立科学博物館)

    周辺で発見された人類学上の貴重な化石の、巨大な収蔵庫があり、講師は許可を得て拝観した。憧れの化石を実際に手にふれて、研究できる幸せに浸った瞬間であった。

     

    「コメント」

    ・講師は類人猿、原人の学名を事もなげに連発するが、こちらはまず聞き取れない。これは止めてほしい。肝心な物だけで後は省略。

    ・氷河期になり乾燥化は分かるが何故、人類の祖先は草原に出て行ったのかが、もう一つ理解できない。

    ・二つのグル-プの片方は石器を使い、片方は無し。この差異は?賢いグル-プと、変化を嫌う馬鹿な因循姑息なグル-プ?

    ・自分のタンザニア・ケニア訪問の話が長すぎる。