科学と人間「私たちはどこから来たのか?~人類700万年史」            講師 馬場 悠男(国立科学博物館名誉研究員)

150904⑩日本人集団の形成1~旧石器人と縄文人

私達日本人の祖先はどこから日本列島にやってきたのだろう。それは単一の集団だったのか。それともいくつかの集団がやってきて

混血したのだろうか。かって日本列島には原人や旧人が住んでいたと考えられていた時期があった。

「明石原人」→ 実際にはホモサピエンスで、原人ではなく間違いだった。

1931年(昭和6年) 兵庫県明石市の海岸において民間人・直良信夫が古い人骨を発見した。しかし当時の年代測定技術では判定出来なかった。長谷部東大人類学教授が原人のものと判断し、ニポナントロプス・アカシエンシスと名付け北京原人より古いとした。北京原人と同じような原人が日本にもいたというニュ-スは世界を駆け巡った。しかしその後、講師も参加した研究で骨は原人ではなく、

新人(ホモ・サピエンス)のものである事がはっきりした。

この研究では従来の古典的比較形態学や機能形態学ではなく、客観的に判断できるコンピュ-タ-による統計手法を使った。しかし従来の専門家には、コンピュ-タ-で分かるものかと言う反論がなされた。

「旧石器捏造事件」 

2000年2月、埼玉県秩父市の小鹿坂遺跡で50万年前の旧石器とともに住居跡が「発見」された。当時は「北京原人よりさらに年代をさかのぼる世界最古の、しかも原人は洞窟で生活していた」という定説を覆す人類史上の大発見だ」と大騒ぎだった。その後新聞のスクープ記事により旧石器捏造事件が発覚した。発見者がほかの遺跡で石器を埋めているのが分かったから。事件は藤村新一という

民間研究者が自分で収集した数千年前の縄文時代石器を数万~数十万年前の地層に埋めて、旧石器時代の遺跡を次々に発見」したというものである。彼は厳しく指弾されたがそれよりも問題なのは、彼の単純なトリックに引っ掛かった周囲の専門家たちである。

彼らは大学、文化庁、博物館、教育委員会等々に勤める考古学プロフェショナルなのである。

「港川人骨」 

日本列島にある数多くの遺跡や石器の考証によって4万年前から新人(ホモ・サピエンス)がいたことは確かである。彼らはどのような姿でどのように生活していたのか。日本列島は土が酸性が大部分なので通常は古い人骨は残らない。しかし石灰岩地帯ではアルカリ性なので残ることがある。南西諸島(九州南端から台湾東端の間に弧状に続く諸島の総称、大隅諸島・トカラ列島・奄美諸島・沖縄諸島・先島諸島・・・)は、石灰岩地帯が多いので、古い人骨が残っている。ここで多くの旧石器人骨が発見される。特に港川人骨は日本列島人の最古の姿を現している。

・脳容積は1400ccで現代人より少し少ない。小柄で150cm、上半身は華奢だが下半身は頑丈。

これは狩猟採取生活の実態を表している。つまり狭い島嶼部では食料が少ないので小柄の方がよく、下半身はしっかりする必要があった。小動物は骨ごと食べ、固い木の実など雑な食物を食べていたので噛む力は強かった。

・様々な特徴がオセアニア人と類似している。これは人類がアフリカにいた時の特徴を残しているのである。

「縄文人」

旧石器時代後の、紀元前1万5000年前から4000年前までの縄文時代の文化は、概ね現在の日本に分布していた。そのため、この地域に居住していた縄文土器を作る新石器時代人を縄文人という。

飾りをつけ芸術的な火焔式土器を作り、お洒落な雰囲気を持っていたが、生活は厳しかった。自然は豊かであったが、恵みを利用するにはそれなりの工夫が必要であった。

(縄文人の特徴)

・顔は短く幅広で全体に四角い印象。現代人は細長い。

・咀嚼能力が強い。固い食物を食べていた。縄文人の歯は世界中で最小と言われている。それは祖先が東南アジアにいて軟らかい

果物を食べていたからとか、土器による煮炊きなど調理技術の進歩で軟らかいものを食べていたからとも言われる。縄文人の歯は

擦り減っている、現代人は擦り減らない。

・歯が小さいので口元が引き締まっている。端正な顔。現代人は眉間から鼻にかけてなだらかで、歯が大きいので出っ歯気味。

・目が大きく眉が太く唇が厚め。いわゆる濃い顔である。縄文人の直系の子孫であるアイヌ人の特徴である。

・そもそも縄文人の祖先は港川人もそうだが4万年前にアフリカからやってきたホモ・サピエンスである。その特徴を留めながら文化的発達によって現代化した人々と言える。しかし現代日本人は縄文人に似ていない。その理由は次回述べる。

(縄文人の食物)

・遺跡として貝塚、内陸ではドングリなど固い実を大量に貯めていた穴、それを砕いて水にさらした跡がある。

・最近まで具体的に何をどれくらい食べたかは分からなかった。実は骨に含まれる微量の炭素元素や、窒素元素の安定同位体の量を分析してこれが推定できるようになった。結果わかったことは食事はバランスが良くて、昭和20年代、30年代の素朴な食事と似て

いる。長野県の山の中ではドングリなど様々な堅果、鹿、猪。北海道では大部分が動物性で鯨、アザラシ。地域の特性を生かした食事であった。

(縄文人の人骨)  埼玉県妙音寺洞窟遺跡で発見された

・壮年男性  小柄で手足は細いが筋肉は発達している。走るのは早かっただろう。咀嚼能力は高い。歯は摩耗している。固いものを

食べていた。

・犬歯が抜かれている。これは次の事を意味しているのであろう。

 成人式の儀式(痛みを我慢して大人になる、出自を示す、近親者の喪に服している)

・158cm  50kg  小柄だが筋肉質で敏捷  定住性の狩猟採集生活への適応を示している。

 狩りで獲物を捕らえたり、落とし穴を作ったり、舟の艪を漕いだりの生活。スポ-ツ選手に例えるとボクシング選手かレスリングの

  選手。

 

日本列島の自然と折り合いを付けながら生きてきた縄文人たちは、このまま現代日本人になったのだろうか。2千数百年前にとんでもない事態を迎える。それは次回に。

「コメント」

・今回は分かり易かった。しかし素人にはどうでもいい、難しい学術用語は相変わらず。これは殆ど省略、第一字が分からない。

学者によくあるタイプ、間違いといい加減なことは出来ないのだ。私は7割方分かればそれで卒業。細部に拘るより全体感をどう掴むかが勝負と心得ているのだ。

・やっと面白くなった。今までの我慢が報われる?