こころをよむ 「いま生きる武士道」                            講師 笠谷 和比古(帝塚山大学教授)

151004① 現代にとって武士道とは何か

「武士道」新渡戸稲造

武士道と言っても分かっているようで説明するのは厄介な言葉である。日本人ならばある程度のイメ-ジは湧くが、いざ説明しようとすると中々難しい。ある人々は忠義・仇討・武士の情け・・・。日本人にとって武士道のスタンダ-ドをなして

いると目されるのは、新渡戸稲造の「武士道」と言う本である。この本は彼が米国滞在中1899年に英文で出版された。

(新渡戸稲造→思想家、教育家。南部藩士の子。札幌農学校~米・独に留学。京大教授、一高校長。国際連盟事務局次長。)

当時の日本は発展途上で、アジア・日本に対して偏見が少なからずあった。偏見を乗り越えて日本の文化をいかに説明するか。外国人から見るとサムライ・ハラキリというステレオタイプのイメージが

あり、この言葉には当然野蛮であるというニュアンスが込められている。新渡戸はそれを乗り越えて武士道にどのような意味があるのか、その時の外国の文化、多くは聖書と比較しながら日本文化の特質とそれと同時に普遍性を説いた。同時に西洋文化に負けないような道徳性があるという事を論じている。その文章も洗練されており、分析の仕方も適切であったので好評であった。日本の事を単に特殊な事として捉えるのではなく、その個性を論じつつ同時に普遍的意義を持つと説明した。英語の他20数か国語に翻訳された。時の米国大統領T・ルーズベルトもそのファンになり、人に読むことを勧めたという。

日本においては日本語訳が矢内原忠雄東大総長により岩波文庫で出版された。しかし矢内原訳は格調が高く現代の日本人には古典を読むが如くであったので、この解説本が出版された。

俳優のトムクル-ズが「ラストサムライ」で「武士道」に魅かれたという事があって、この本があの映画の元であるという事もあり、日本の若い人の間にも武士道に関する関心が高まった。

日本人が武士道を説明する時の一つのスタンダ-ドな参考書になっている。

(この本に対しての人々の感想・意見)

・新渡戸が描いている武士道と言うのは理想化されたものではないのか。日本には仁義・礼・智・信という高い道徳性を備えた武士道があって、日本人の国民道徳であると新渡戸は言っているが果たしてそうなのか。

・純粋に学問的観点からみてはたして新渡戸の描いている武士道は存在するのか

・武士道はあったとしても戦国の余風を伝える様な野蛮なもの、続にいう切った張ったの世界の話であって、道徳性高潔な云々などという事は明治になってから作られたものではないか。

・新渡戸は高い道徳性、倫理性を備えていると主張するが、日本文化を世界の中で称揚するために    描いたのだ。

・武士道は明治国家の自意識のようなもので、近代日本が作りあげた虚像である。

(講師の見解)

武士道研究で欠かす事の出来ないものに有名な「葉隠」があるが、これが全く触れられていない。「葉隠」は武士道を論じた書。佐賀藩士山本常朝の談話の筆録。武士の心得を説く「武士道とは死ぬことと見つけたり」は有名な文句。

「武士道」が広く読まれながら、片方では色々な疑問点、不十分な点が指摘されるが、これには

(葉隠」にふれていない事も大きい。

 

そこでこの講義では武士道とはどんなものであるか実態をもう一度探ってみたい。それには歴史学の一番厳密な方法である実証主義の方法を使って、この武士道と言うものがどのようにサムライの世界において存在し、又影響を及ぼしたか。その当時の人々が武士道にどのようにかかわっていたかだけではなく、一般庶民がどのように感じていたか。武士道は男だけの世界ではないのか、女性は

関係ないのではないかと言う思い込みもある。この女性と武士道と言うのも欠かすことの出来ない

大事な論点である。

(現在人々の武士道との関わり)

・自衛官、海上保安官、アスリ-ト

武士がいなくなった現在の日本で武士道とはどのような意味があるのか、又どのように存在しているのか。分かりやすい例で云うと武士道から直接的に派生するのは戦うという事である。自衛隊の、

海上保安庁の人々にとって日本の国を守るという問題がある。当然そういう人々にとって武士道と

言うのは強い関心をもたれると思う。他方アスリ-トの人々、特に武術武道に関係している人々にとっての戦う魂としての武士道、これも当然存在する。

しかし今回の講座で話したいことは、単に国を防衛する人々だけの武士道、アスリ-トだけの武士道ではない。もっとそれとは関わりのない一般の国民にとっての武士道とは何ぞやと言う事を考えてみたい。

(一般の人々の日常的武士道)

JR南浦和駅のエピソ-ド

一つの写真がある。2013年JR南浦和駅で駅員乗客が皆で電車を押している。押してホ-ムと車体に隙間を作り挟まった女性を救出しようと、駅員、乗客が一列になって車体を押しているのだ。偶々

その場にいた讀賣新聞の記者が記事にした。所がこれが世界中で大きな反響を呼んだのである。

 CNNTV(アメリカ)

   「日本から素晴らしいニュ-スがある。これは日本でしか起きないだろう。」としてこの写真が

   出された。経緯が説明されたが、ニュ-スの冒頭にである。

 ガーディアン(イギリスの名門新聞)

    「駅員や乗客が集団で英雄的な行動を示した」として     AP通信の記事と共に写真を出した。

 新華社(中国国営)

    日本の新聞記事を転載

 連合ニュ-ス(韓国)

    「乗客が協力して救助する感動の場面が話題になっている」

 プラウダ(ロシア)

   「どうしてこんなに敏速に団結できたのか」

 TNN(タイ)

   「日本の人々が生来の団結力を余すところなく示し困っている人に助けの手を差し伸べた。素晴らしいニュ-スである。咄嗟にこういう行動が出来る日本人はどのような教育を受けているのだろうか。」

 

我々はこの様な教育を受けた記憶はないが、咄嗟に自然に殆どの人々が参加してと言うのは日本人

としては当たり前の事であるが、世界の多数はそうではないらしい。このニュ-スは日本ならではの

事として世界中から賞賛されたのである。これは名誉なことではあるが、どこか面はゆい事でもある。

では外国で同様な事が起きた時どうなるのか、外国のメディアは多くの人はやじうま見物、眺める

だけ、やるのは俺の仕事じゃないと遠巻きにしている と。

 

他方日本人自身がこのエピソ-ドをどのように報道しているかを検証してみた。読売新聞のスクープ

記事なので他の大新聞は掲載していない。

埼玉新聞 

   女性の事故にふれ「駅員等に救助された」   乗客の協力は()のみである。

 

他の国の人にとっては英雄的であるが日本人にとっては普通の事の一端でしかない事であるという

事を考えた場合、日本人の中にはある種のものが脈々伝えられているあるもの、世界的には英雄的

として表現される所のあるものの存在を感じざるを得ないと思う。日本の社会のDNAの中に世界の

中で英雄的と称賛されるような何かが存在しているのだ。私が武士道と言うものを考えるのはその

様なことによる。

・東日本大震災、阪神淡路大震災 略奪・暴動が無かった

この事は世界の中で驚きをもって受け止められた。他の国においてはあの種の災害が起きると

待ってましたとばかり略奪が始まるのは常識。救援物資の奪い合いも起きないし、むしろ遠方の人に

譲っている。見苦しい事をしてはいけないという感覚が共有されているのだ。ここに武士道的な物を

感じる。両震災での住民の節度ある行動は海外メディアから驚きをもって賞賛された。

 

これらの事を考えるとやはり日本人の中にある一つの精神、社会に伝えられているもの、そして文化

の中にある固有の行動バタ-ンというものの存在を感じざるを得ない。そしてそこに武士道的な感性

を感じざるを得ない。

Fukushima 50    福島原子力で電源喪失後、残って復旧に当たった50人

福島原子力発電所事故は、欧米の専門家は連鎖的に暴発を繰り返しチェルノブイリを上回る大惨事

に到らざるを得ないこれが世界の常識と言っていた。したがって現場にも総員退避と言う指示が出た

が、現場の吉田所長以下の人々少人数50人は、残って電源復旧と原子炉冷却に努力した。これを

Fukushima 50という。英雄的にことに立ち向かった。

この為に決定的な破滅は逃れられた。この行動はもっともっと賞賛されるべき。この人たちがもし現場

を離れたらなす術はなかった。これはFukushima 50として海外において多くの賞賛を得た。

  人民日報

    福島50の勇士と言う表現。自らの命を顧みず事故の収束作業に従事した。

・福島原子力の冷却作業に携わった消防士の証言

全国から自衛隊、消防の活動があった。その活動に従事したある消防士の証言。

「我々の消防車が現場に向かう時、地元の人々は並んで深々と頭を下げて感謝と期待の念を示して

くれた。それを見た時、我々は絶対にお役にたたねばならないという思いに駆られた」

 

これはとても印象深いシーンである。何故ならここに表現されている心の有様、心と心の応答、人々

から頼まれたという事、人々の願い、これらに応じるという事。これは武士道において「頼むぞ、

頼んだぞ]心の呼応というものである。

私はこれを聞いた時まさにそれであると思った。そして頼まれたことは命の危険も顧みず人々のお役

に立ちたいという精神、これはまさに武士道的心と言うものを感じる。吉田所長の危急存亡のときに

あっても、人が逃げ出してもただ一人になっても状況の改善に努力する精神は武士道を考えるうえで

一番根幹的な事である。

しかしこれらの人々は果たして武士道という事を意識していたか。武士道という事をどれほど理解

していたか。この人たちはそれに関わりなく自然にその様なことが、事態がここに到ったならば、人々

がそう願うならば自然に命がけで呼応するという行動として出てくる有様は、日本の社会の有様や

文化の性格付けに大きな影響を長きにわたって与え続けた武士・侍の存在と精神と行動を規定して

いた武士道と言うものに我々は改めて目を向ける必要がある。

次回から武士道の様々な側面について話をする。

 

「コメント」

「見苦しい」と言う言葉は両親からどれだけ聞いたか。何が見苦しいかの基準も含めて、徹底的に

仕込まれたように思う。

この講義で久し振りに「見苦しい」と言う言葉を聞いた。又使おう。見苦しいは見かけの事もあるが、

こころの有様の方が多かった。まさに見苦しい考え方、行動。親から見苦しいと言われると、

全否定なのだ。

それにしても知ってる人も知らない人も含めて「見苦しい」人が多くなった。