科学と人間「生物進化の謎と感染症」                           講師 吉川 泰弘(千葉科学大学教授)

151009② 歴史を変えた細菌~ペスト菌

ペストは狂犬病ウィルスと違ってウィルス感染ではない。ペスト菌と言う細菌によって引き起こされる致命的な感染症である。

ペストは(げっ)歯類(しるい)からノミを介して感染する。中世の市民を恐怖のどん底に落し入れた黒死病としても有名である。中世のペストについてはその悲惨な様子がボッカチオの「デカメロン」、カミユの「ペスト」に書かれている。

*齧歯類→哺乳類の一目。ネズミ目。千数百種あり、哺乳類最大の目。

 (現在の概況)

:現在でもアジア、アフリカ、アメリカ大陸に汚染地域がある。野生の齧歯類とノミの間でペスト菌が循環している。1980~

1994年の間、報告されたペスト患者は2万人、死亡は2000人。最近ではマダガスカルで2013年75人、死亡。米国ではメキシコ州で7件、コロラド州で3件、カリフォルニア州で2件、テキサス州で1件。米国での死者は二名。

ペストは現在五つの地域で野生の齧歯類の中で循環を繰り返している。南アフリカ、マダガスカル、ヒマラヤ周辺のインド北部、中国の雲南省からモンゴル、北米の南西部のロッキ-山脈、南米北西部アンデス山脈。

日本では1926年以降発生していない。

(ペスト菌とは)

ペスト菌学名 エルシニア・ペスティス)は、グラム陰性通性嫌気性細菌であり、腸内細菌科に属する。

両極染色で、外見は安全ピンのような形に見え、ペスト病原体となる。細菌は古くから三つの要素で大きく分類される。

一つは形、丸い球菌・棒状の桿菌・スピロヘ-タ-の様ならせん菌。それから代謝の仕方で酸素を必要とする好気性菌、酸素を嫌う嫌気性菌。それからグラム性菌。この三つで特徴づけられる。グラム性菌は陰性と陽性とに分けられる。これはグラム染色と言う方法で識別される。グラム陽性菌は非常に厚い細胞壁をもっている。抗生物質は斯の厚い細胞壁に付着しやすく、菌を増殖させないような働きがある。この為細菌への抗生物質の有効性を知る一つの指標としてグラム

染色が使われている。

ペスト菌は人を含めた動物の血液中で非常によく増殖する危険な菌である。菌への感受性の低い野生の齧歯類とノミの間で循環しているが、これが感受性の高い齧歯類例えばプレリ-ドッグに入ると大きな流行を起こす。

(感染症法)

患者を指定病院に隔離するという事が定められた。最高に危険として一種の対象となるのは、エボラ出血熱・マ-ルブルグ病・クリミア、コンゴ出血熱、ラッサ熱と言った危険なウイルス感染症であるが細菌感染症としてペストだけが指定されている。一類指定という事は、血液中に入ったペスト菌はとても早く増殖するので抗生物質治療が間に合わず死亡する例が多いという事である。

(ペストの症状)

人が感染して菌が血液中を回って肺に行くと肺ペストになる。普通は腺ペストと言って通常リンパ節が侵される。呼吸器系が侵されると容易に人から人へと感染する。

ペスト菌が血液によって全身にまわり敗血症を起こすと、皮膚のあちこちに出血斑ができて、全身が黒いあざだらけになって死亡する。ペストのことを黒死病と呼ぶのはこのことに由来する

ペストの潜伏期間は1週間、リンパ節が侵される腺ペスト、血液中でペスト菌が増殖する敗血症ペスト、肺でペスト菌が増える肺ペストに分類される。ペストの90%は腺ペスト、敗血症ペストは残りの10%。肺ペストは少ない。

・腺ペスト

 38度以上の発熱、疼痛、悪寒、食欲不振、嘔吐、筋肉痛。

・敗血症ペスト

 腺ペストの後血液を介して全身に回った菌が回った状態。急激なショックと血液凝固が起きて死に至る。これが死斑

 或いは黒色に変わるので黒死病と言う。100%死亡。

・肺ペスト

 腺ペストの末期、或いは敗血症ペストの経過中に起きる症状で、強烈な疼痛、嘔吐、高熱で重篤になり100%死に至る。

(ペスト流行の歴史)

アテナイ、ギリシア BC431年~404年

 アテナイを中心としたデロス同盟、スパルタを中心としたペロポネソス同盟の開戦翌年、アテナイでペストの大流行に

 襲われた。2年間で人口の1/3が死亡。この戦いはBC405年にデロス同盟の敗戦。歴史家ツキジデスが彼の戦史の

 中でアテナイの疫病について書いている。その中で疫病から回復した人は二度と罹らないと記録している。

ユスティニアヌス一世(東ロ-マ帝国) 542年~543年

 ペストはエジプトからパレスティナ、ユスティニアヌス一世治下の東ロ-マ帝国の首都コンスタンチノ-プルと拡がり、

 542年に旧西ロ-マ帝国に侵入した。547年にブリテン島、ガリア(今のフランス)には567年。それから中近東アジア

 に広がり発生から60年にわたって流行した。

全ヨ-ロッパでの流行 1347年~1400年

 モンゴル帝国の支配下でユーラシア大陸の東西交易が盛んになったことが大流行の背景にある。中央アジアから

 シチリア島ッシ-ナに上陸。翌年にはアルプス以北の多くのヨ-ロッパに伝播した。14世紀末までに大流行と小流行を

 繰り返した。全世界で8500万人、ヨ-ロッパでは全人口の2/(2000万人)が死亡した。

 しかしペストの流行は海上検疫と言う感染症を防止する新しい制度を生んだ。ペストの流行の時、ベネチア当局がこの

 疫病が東洋から来た船で持ち込まれることに気付いた。船内にペスト患者が発生してないことを確認するために潜伏

 期間に等しい40日間、強制的に沖に停泊させる措置を取った。これが海上検疫の始まりとされる。

中国 19世紀  ペスト菌の発見

 この流行はペスト菌発見に繋がった。雲南省で1855年に大流行した腺ペストが起源とされる。1895年香港での

 大流行を機に世界中に流行した。20世紀初頭、中国東部沿岸地方、台湾・日本・ハワイ・更に米国・東南アジア・南

 アジア各地に広まった。この時ゴッホ研究所から帰国していた北里柴三郎は香港に派遣されペストを研究し腺ペストの

 病原菌を発見。同時期にパスツ-ル研究所のアレキサンドル・イエルサンもペスト菌を発見した。こうしてペストの原因が

 細菌による感染症である事が確定された。しかしペストとペスト菌を結び付けることを考えたのはイエルサンであったの

 で学名は彼の名に因んでいる。

 

(人類がペストの流行から学んだもの)

●ペロポネソス戦争、中世の黒死病の時、ペストから回復した人は二度罹りしないという免疫現象を理解した。これが

予防ワクチン開発に役立った。

●中世の医学はヨ-ロッパよりイスラム世界の方が進んでいた。感染症が伝播することを発見したのはイスラムの医学者達であった。又患者を隔離することで拡大を阻止できることも理解していた。また患者が汚染した衣類、食器などへの接触が発症の原因となることも。更には感染症は微生物が体内に侵入することで発症するという仮説も立てていた。

●ロベルト・コッホはゼラチンを用いた純粋培養法を確立し炭疽菌・腸チフス菌・結核菌・コレラ菌などを分離した。又有名な病原菌に関するコッホの四原則を確立し感染症の原因が細菌によるものである事を証明した。しかし有効な治療法の開発までには至らなかった。グラム陽性菌を殺す抗生物質の発見は1928年のフレミングのペニシリンの発見以降となる。

●その後様々な抗生物質が見つかり、ペスト菌に有効なストレプトマイシン、テトラサイクリンなどの抗生物質が開発された。

 

(ペストを運ぶ動物たち)

 米国では中西部の乾燥地帯で野生のプレリ-ドッグとノミの間でペスト菌が循環しており、人や動物が感染する。輸出されるペット用プレリ-ドッグは感染の恐れがあるという事で分かった。1万3千頭が日本に輸出されていたが2003年に輸入禁止。ペスト菌は、4千種いると言われる哺乳類の中で一番種類の多い齧歯類とノミの間で循環している病原菌である。

  又狂犬病ウイルスは齧歯類についで種類の多い翼手類(よくしゅるい)(こうもり目)を宿主として発症した食肉類が動くものに噛みつくという習性を利用して拡散維持されてきた病源体である。どちらの病源体も現生人類が約6万年前アフリカから世界中に拡散するずっと前から存在していた。両病源体とも人類が数千年以上悩み続けた感染症を引き起こす病原体だが、仮に人類が存在しなくともこれらの病源体は循環し続けるであろう。即ち野生の動物と病源体の循環の中に人類が

  組み込まれ感染症を発症して悩むのである。動物由来の感染症は第5回で話すが、動物に由来する感染症の多くは是に類似した特性を持っており、統御することが難しい理由がここにある。

 

「コメント」

当時治療法のないペストの恐怖は大変なものであったろう。日本では疫病は神の祟りであった。天皇の不徳であった。

そうとしか考えられない中での生活はある意味では気楽かな。どうしようもないのだから。選択肢があるから不幸に

なる。