こころをよむ 「いま生きる武士道」                             講師 笠谷 和比古(帝塚山大学教授)

151213⑪ 明治武士道とその後 ~近代化と国家主義

(明治の武士道の特徴)

明治になると武士階級と言うのは消えて行く。その中に新しい武士道ブ-ムが出てくる。特に日清日露戦争の頃から武士道と云う言葉が盛んに使われるようになり、その頃アメリカにいた新渡戸稲造「武士道(Soul Of Japan)」が英文で刊行され、その日本語訳として出版された。武士道に関してその他多くの著作が出たが、その多くは武士道と云うより儒教の事であり大きな違和感がある。今まで見てきた江戸時代の武士道とは大きく違っている。

 (新渡戸稲造)

 思想家・教育家。南部藩士の子。札幌農学校からアメリカ・ドイツに留学。京大教授、一高校長、国際連盟事務局次長。

●儒教の影響→国家主義

 この本で武士道と云う言葉が注目された。しかしそこで語られる武士道は今まで見てきた武士道とはかなりの隔たりがある。武士道とタイトルにあるがその内容は儒教に大きく影響されている。18世紀後半から各地で藩校が設立され、その中で多く儒教が説かれた。それが明治時代に受け継がれていく。近代化の中でこれが国家主義と結びついて行く。欧米列強と対峙する中で、独立・民族主義的国民精神を強調せざるを得なかったのである。

●葉隠「武士道とは死ぬことと見つけたり」 明治時代の誤解 意図的な使われ方

 これが本当に意味する所は死を奨励しているのではない。「武士は常に死というのを心に持って生きよ。生か死かと

 問われたら死を決断し、これによって生死を超えた境地に到るべし。」本意は死ではなくて生死を超えた生を生きること。

 所がこれが明治時代になると死のすすめということになり国の為に死ぬことが忠義、武士道だと国家主義に使われる

 ようになる。これが後々まで葉隠のトラウマとなる。

●忠義の概念の変容 対象が主君→天皇

 忠義とは自己の主君に対してのものであった。例えば将軍頼朝は御家人の所領安堵を行い、ご家人はその恩に対して

 奉公していくという契約的な関係、これが忠義の基本形である。しかし明治になると忠義と言うのは天皇に捧げるものと

 いう概念に変わる。つまり伝統的武家社会においては、所領の安堵をしてくれる主君に対する忠義と言うのが本質で、

 主君の更なる主君に対して忠義は不要である。しかし明治時代になるとこれは封建道徳として否定され、赤穂浪士も

 公権力に逆らったとして「大局を見ていない、主君しか見ていない、将軍はじめ公権力への反逆」とされた。

ル-ス・ベネディクトの「菊と刀」にこの事が次の様に書かれている。「武士道の忠誠は伝統的に天皇に向けられている」

 明らかに間違いである。明治時代に国家主義の観点で書かれた本を参考にしたのでこういう間違いとなったのである。

 天皇への具体的忠誠の現象として、殊更に南北朝の楠正成・名和長年・北畠親房・・などを挙げている。

「武士道とキリスト教の関係」

 明治時代の武士道の特徴としてキリスト教との結びつきがある。新渡戸稲造の武士道はその典型であるが、その他

 にも色々とある。キリスト教の中でもプロテスタントとの拡がりが注目された。入信者は旧武士階級の中で幕府系、戊辰

 戦争の負け組が多かった。

●内村鑑三

 宗教家。高崎の人。札幌農学校。キリスト教無教会主義を唱えた。天皇への不敬事件を起こし非戦論を唱えた。明治

 大正のキリスト教指導者として有名である。プロテスタントはそもそも教皇などの権威を認めていない。故に教会にも

 懐疑的。聖書のみを拠り所にして、そこに教えの本質があるとした。「代表的日本人」という英文の本を出版し日本人の

 生きざまを海外に広げた。この中で触れているのは西郷隆盛・二宮尊徳・上杉鷹山・日蓮上人・・・。その中で面白い

 のは日蓮のくだり。

・日蓮

「日蓮の負けじ魂・弾圧に屈しない心・攻撃精神→禅 天魔、念仏 無限・」日蓮と私とは信条は違うが、日蓮の宗教者と

しての負けじ魂には大いに敬服するとしている。

・武士道とキリスト教  講義録

 「武士道は腹切りと敵討ちばかりではない。その中にキリスト教に似た多くの貴い教えがある。私達日本人が初めて

 キリスト教に接して強くこれに魅かれるのはここにある。キリスト教には日本人の心に強く訴える所がある。多くの点に

 おいてイエスとその弟子とを武士の模範としてみることが出来る。→イエスとその使徒との関係は主君と従者の関係で

 ある。正義と信義の為には命を惜しまないという日本人の精神はキリスト教の犠牲の精神と共鳴している。

・使徒パウロについて

 この人をユダヤ武士という表現を使い、恥よりはむしろ死を選び、名を重んじる所は武士であるとした。更に次のように

 言う。「武士の模範としてパウロは武士道の精神を体現している。日本人が信義に敏感なるのは神と人間に尽くそうと

 する心があるからだ。武士道の精神は神の賜物であり、武士道とキリスト教が合体することによって真の高貴なる宗教

 が出現する」

●新渡戸稲造

 「武士道」の中で武士道、日本文化を理解して貰うために旧約聖書、新約聖書からの教えのエピソ-ドを引きながら

 武士道を様々に説明している。彼も武士道とキリスト教の一体化を説いている。

「福沢諭吉」  中津藩 下級武士

 「身分制度は親の仇でござる」武士社会の身分制度の不合理さに憤っている。「近代的な個人の自立と言うのはどう

 あるべきか。それは昔の武士が武士道を守ることによって武士の存立・自由を守ったのと同じだと考えてもよい」

 武士道は個人の自立の手本であるとしている。

武士階級に否定的な考えを持つ福沢諭吉がこの様な表現をするというのは印象深い事である。

「武士道と全体主義、国家主義」

国家主義者が武士道を持ちあげて道具に使うのはいつの時代でも常套手段であるが、武士道も近代化に伴い武士

階級の消滅に伴い様々に変質してきた。いわゆる昭和武士道と云うものもある。これは昭和ファシズムが作りあげた

もので天皇絶対主義で、本来の武士道とは似てもなつかないものである。又葉隠なども利用された。これが武士道に

対するアレルギ-として残っていて多くの人々を遠ざけている。

 

「まとめ」

武士道が明治時代、日本の近代化に果たした役割は極めて大きい。これが無ければ近代化は為し得なかったと言える。しかし武士道と云うのは夫々の時代に変容しその功罪もあるということも忘れてはならない。

 

「コメント」

武士道とは信義を守ることにあり。この事は今でも日本社会のそこここに見られる。これが無くならない限り大丈夫。

しかしこの源泉は今までは地方にあった。農村にあった。地方が衰退していく今からは危機的。今までは都会を、

日本をこれで地方が押し上げてきたのだ。これは学校教育には馴染まない、家庭の問題。