こころをよむ「これが歌舞伎!! 極みのエンタ-テインメント」      金田 栄一(歌舞伎研究家・元歌舞伎座支配人)

160110①「ようこそ歌舞伎の世界へ」

「歌舞伎とは」

歌舞伎というのは江戸時代の庶民が作りあげた当時の最高の娯楽である。現代もまさしくエタン-テインメントの先頭を走っている姿であり、特に近年昭和から平成に入った辺りから次第に歌舞伎の面白さが見直されてきている。とにかく

歌舞伎の中には江戸時代の人々が培ってきた色々な感性それと豊富なアイディアこういうものが沢山詰まっている。

例えば色彩感覚そして言葉の遊び、色々なところに素晴らしいアイディアと非常に洒落れた気楽な感覚を持った洒落の

精神が詰まっているので歌舞伎を観れば江戸時代の日本人が持っていた色々なノウハウが現代の人も手に入れることが出来る。単に文化という言葉で表現するよりも色々なものが宝物のように溢れているのが歌舞伎である。

ある意味文化、芸能のおもちゃ箱なのである。この講座ではまだ歌舞伎を見ていない人、これから見ようという人に、まず役者を見て下さいと勧める。歌舞伎は江戸時代の大衆芸能なので基本的に何の知識もなしで楽しめばいいと思う。今のTVドラマを見るのと同じである。

歌舞伎というのは世界でも珍しい役者本意の芸能である。西洋演劇は大まかに言えば作品主義、色々な作者や演出家がいてそういう中で自分の価値観、宗教観、道徳観或いは主義主張というものを作品を通して描こうとしているのである。観客は舞台上の役者の演技や作品の展開を見て、それを受け取るのである。

歌舞伎にも色々なスト-り-、作者が工夫を凝らしたスト-り-があるので、そういった作品性、メッセ-ジが無いとは

言わないが、歌舞伎というのはやはり江戸時代の娯楽から始まって人気役者が居て、これを目当てに観客が詰めかけて、役者を楽しむという所から成り立ってきたので、歌舞伎のスト-り-はあるにはあるが多くは役者を引き立てる為に、都合よく出来ているのが普通である。歌舞伎を見に行くというのは役者を楽しみに行くというのと同じ意味である。これが江戸時代から今日まで続く歌舞伎の在り方なのである。

例えば例を挙げれば、歌舞伎に限らないが日本のお芝居の観客というのは、主役や人気俳優が登場した所で必ずその人に拍手を送る。

歌舞伎の場合は客席から掛け声がかかる。団十郎系→成田屋  菊五郎系→音羽屋

これはまさしく芝居の登場人物に掛けているというよりは、そこに登場した役者に掛けているのである。西洋演劇では

進行している劇の途中で、特定の俳優に声援を送るというのは考えられない。こういう違いを見ても、一人一人の役者で成り立ってきたものと、作者・演出家を中心に作品中心に作り上げてきたものとの違いは明確である。

 

「歌舞伎という言葉」

歌舞伎(歌・舞・伎)という三文字はまさしく、これは演劇の構成要素をそのまま表している。しかしこれは後になって作った当て字である。

元々は(かぶ)くという言葉が語源になって生まれた言葉である。傾くというのは、人から外れた、世間から外れた奇抜なもの、奇妙な格好をしたものという意味である。つまり奇抜な格好をして自己主張を繰り返して、時代を先取りして肩で風を切って歩くそういう傾き者というのがいて、歌舞伎という芝居はこの傾くという事から発している。歌舞伎というのは世間から外れる奇抜さをもってそしてそれを実行していくエネルギ-に溢れ、そして時代の先取りをするという好奇心旺盛な芸能というのは今も変わっていない。それがまさしく歌舞伎の本質である。

 

「歌舞伎の歴史」

歌舞伎の創始者は出雲阿国で出雲大社の巫女。京都四条河原で念仏踊を演じて大評判となる。それは官能的で奇抜であったので(かぶ)き踊りといわれた。この人気にあやかった女歌舞伎が続々誕生した。しかしこれが風紀上の問題から禁止されそこからやむなく女形を使い、男だけの芝居となっていく。

 

「歌舞伎ストーリ-の歴史的考証」

歌舞伎には大勢のヒ-ロ-が登場する。故に観劇する時に歴史の予備知識をと考える人がいるが不要である。

登場する歴史上の人物は殆ど実際の歴史上の人物ではない。それを取り巻くスト-り-も歴史通りではない。つまり江戸時代に幕府が実際の武家社会を芝居にすることを禁じたので、止む無く時代を超えて上演された。本来ならば江戸時代で描きたいのだが、出来ないので時代を変えていることが多い。例をあげる。

 

●助六 由縁(ゆかりの)江戸桜

江戸の古典歌舞伎を代表する演目のひとつ。「粋」を具現化した洗練された江戸文化の極致として後々まで日本文化に決定的な影響を与えた。歌舞伎宗家市川團十郎家のお家芸である歌舞伎十八番の一つで、その中でも特に上演回数が多く、また上演すれば必ず大入りになるという人気演目である。

主人公は江戸っ子の花川戸の助六という侠客。しかしこれが曽我の五郎という設定になっている。鎌倉時代、親の仇討をしたヒ-ロ-。曽我の五郎が吉原に出没するということになっている。当時の人々に人気の高い曽我兄弟、それと華やかな歓楽街の吉原を組み合わせて徹底的に豪華にして上演した。時代考証など問題外である。あくまで楽しめればいいというのが歌舞伎らしいところである。

 

●菅原伝授手習鑑

平安時代菅原道真の失脚事件を中心に、道真の周囲の人々の生き様を描く。歌舞伎では四段目切が『寺子屋』の名で独立して上演されることが特に多く、上演回数で群を抜く歌舞伎の代表的な演目となっている

この芝居の中に有名な寺子屋という所があるが、寺子屋は江戸時代のもの。この芝居は平安時代のものか江戸時代の芝居か頭を痛めてしまうが、歌舞伎は様々な時代背景から物語を自在に設定して、そこに面白い人物を登場させて江戸風俗の中で描いてしまう。だから歌舞伎は大胆に言えばある意味「おとぎ話」、そういう風に考えるべきである。気軽に理屈抜きで接するべきである。

 

「時代物・王朝物・世話物」

歌舞伎は大きく分けて時代物と世話物とに分けられる。

 

●時代物

 室町時代、鎌倉時代の武家社会を扱った演目である。これは先ほど説明したように、実際の近い時代の武家社会を芝居に出来ないので、古い時代に設定するのである。代表的な例として赤穂浪士の討ち入りの話、歌舞伎では「仮名手本忠臣蔵」。主人公は大星由良之助(大石内蔵助)、場所は鎌倉(江戸城松の廊下)

時代物は、基本的には江戸時代における時代劇だと考えて差し支えない。ただし演目によっては明らかに江戸時代に起きた事件を題材にしたものでも時代物として扱われる場合もある。

 

●王朝物

 武家社会が始まる前の時代(平安時代奈良時代飛鳥時代)を扱う演目もいくつかあり、これらは時代物の中でも特に

王朝物と呼ばれる。王朝物が描くのは公家社会である

 

●世話物

 江戸時代の人たちにとっては現代劇で、町人社会・世相風俗を扱ったもの、町のどこにでもいる大工や魚屋、侠客や

 遊女、長屋の衆など様々な人たちが登場する。日の出から日の入りまで上演するので12時間。長い時間なので、武家

 社会のストーリ-がベースにあって、脇筋の世話物が組み合わさる形が多かったので典型的な世話物でも場所も時代 

 も鎌倉というものも多い。見る方はごく素直に見ていたようである。

 

「舞踊」

歌舞伎の大きな要素に踊りがある。つまり歌舞伎そのもののスタ-トが(かぶ)き踊りなので現代でも重要なポジションを占めている。歌舞伎が始まった頃は歌舞伎曲いわば賑やかな鳴り物に合わせて踊りを踊ることからスタートしたが、幕府から風紀上の理由で禁止令がでて、ストーリ-を中心とする物まね狂言となり、これが歌舞伎の演劇としての始まりであった。しかし踊りは廃れることはなく、初期の単なる歌舞音曲という事はなく次第にドラマ性を持った名作が出来るようになった。

当初、舞踊は女形限定の演目であったが江戸時代中期以降立役(男形)が活躍する舞踊が登場するようになった。

時代物・世話物・そして舞踊これが歌舞伎に於いて大きな三つの要素であるが現代でも上演演目は主として幕が上ると、最初は重厚な時代物そして中幕には華やかな舞踊、そして最後には粋な世話物という構成が基本形である。

 

「観客サ-ビス」

何といっても素晴らしい所は観客サ-ビス。歌舞伎というのはお客様あっての芝居という事である。劇場だけではなく役者衆も「ご贔屓の皆々様」という事をよく口にするが、これは決して遜っている訳ではない。歌舞伎というのは発生の当初から民衆によって支えられ木戸銭で成り立ってきた芸能である。例えば西洋のオペラ・クラシック、日本でもお能などは当時の王侯貴族・公卿・武士らの特別な階級によって庇護されて、素晴らしい芸術になっていった歴史がある。しかし歌舞伎というのは一人一人の役者、人気役者に牽引されこれを支持し喜んでいただけるお客様によって支えられてきたのである。根本的にスポンサ-のない芸能である。常にお客サ-ビスをしてそして人気俳優を生み出して手を変え品を変え、アイディアを出して面白いものを作り上げてきた。それが歌舞伎が育ってきた歴史である。故に歌舞伎というのは世界に類を見ない役者本意の芝居である。自然発生的に河原から生まれたのである。当時としては社会の底辺にいた河原者といわれた芸人たちが切磋琢磨して作り上げてきたのである。

 

「役者」

現在演じる人を職業として言う場合は歌舞伎俳優という。一般的には役者とも言われる。俳優という言葉は古くからあるがワザオギという読み方→手振り・足踏みなどの面白くおかしい技をして舞歌い、神を和らげ楽しませること、又その人。

実際に芸能というのは神に捧げ神に向かって演じる、神楽などはその典型である。俳優という言葉は明治になって坪内逍遥が使い始めた。

 

「まとめ」

歌舞伎というのは基本的に江戸時代の大衆芸能である。明治になって西洋文化が入ってきて、その中で伝統芸能となって今日まで生き残ってきている。明治という新しい時代を迎えてそのまま大衆芸能であったならば、欧風化の中で消えてしまっていたであろう。しかし明治時代に確固たる地位を得たことが今日残ってこれた要因であろう。一つに女形がある。長い年月の中で世界に類のない女形を踏襲している。これも大きなポイントである。明治時代に女形を廃して女を導入していたら、歌舞伎は今は歌舞伎でなくなっていたであろう。何かに吸収されて別のものになっていた事は間違いない。

 

「コメント」

全くの門外漢で二回ほど見に行っただけ。そしてそのスト-り-の荒唐無稽さに仰天し退散した。舞踊の退屈さにも辟易。しかし知人に何人も歌舞伎愛好者がいる。その心理は何か興味があったのが、この講座を聞こうという動機で

ある。勿論一般教養でもあるし。