カルチャ-ラジオ日曜版「レイチェル・カ-ソンに学ぶ」     講師 多田 満(国立環境研究所 主任研究員)

160117② 「海辺」にみる生物多様性

「奪われし未来」

前回はレイチェル・カ-ソンの「沈黙の春」から恐るべき力を持つ化学物質や放射能について見てきた。レイチェル・カ-ソンがここで取り上げたDDTは環境ホルモンつまり人を含む動物の内分泌系の調節をかく乱する化学物質であると指摘された。

当時のアメリカ副大統領はコルボ-ンの「奪われし未来」に序文を寄せている。その序文には、こうある「レイチェル・カ-ソンが声を大にして呼びかけてくれたお蔭で、私達はアメリカ国民の命を守るために新たな展開をすることが出来た。」

「奪われし未来」はレイチェル・カ-ソンが30年前に取り上げたのと同じ位深刻な問題を提起しており、それには国民一人一人が答えて行かなければならないだろうと書かれている。この様に女性の生物学者コルボ-ンの「奪われし未来」が切っ掛けとなり1990年代後半に始まった環境ホルモン問題はアメリカのみならず日本やヨ-ロッパを始め全世界を揺るがす社会問題となった。今なお多くの専門家がこの研究を続けている。この本には「沈黙の春」の事がこの様に書かれている。

「沈黙の春は合成殺虫剤の危険性と人類の思い上がりを告発した古典であり、今日の環境保護運動の原点ともいうべき書物である。」この様に「沈黙の春」は長年環境保護論者や野生生物を研究する生物学者には進化や環境まで視野に

入れて考える研究者のバイブルとなっている。

レイチェル・カ-ソンは「沈黙の春」を書いたことで知られているが、元々は海洋生物学者である。「単独で生きるものは

何もない」と言って生物多様性に繋がる考え方を裏付ける生態学の存在を強調した。この生物多様性の考え方は「海辺」を始めとするレイチェル・カ-ソンの海の三部作から読み取ることが出来る。そこで第二回はレイチェル・カ-ソンの海辺に見る生物多様性や生物の進化をキ-ワ-ドにしてみて行こう。それらは生態学のキ-ワ-ドでもある。

生態学は生物と生物の関係、生物とそれを取り巻く環境との関係を研究する生物学の一分野である。更にいうと個々の生物が如何に生きているかを研究する専門分野である。

 

「レイチェル・カ-ソンの生い立ち」

●大学時代

レイチェル・カ-ソンは10代の初めから少年少女雑誌に作文を投稿し、しばしば入賞した。そのことで作家になりたいと

いう心が芽生えていた。そこで作家を目指すために女子大学英文科に入学。所が教養の生物学にすっかり引きつけられ大学院に進学し海洋生物学を専攻する。こう回想している。「ある夜、寮の窓を雨と風が激しく叩いていた。その時ビクトリア朝時代のイギリスの詩人テニソンの詩ロックマリ-ホ-ルの一説(強い風が海に向かって唸り声をあげている。さあ私も行こう。)が心に響いてきた。それは私の進路がそれまで見たことのない海に通じていること、私自身の運命が海と何らかのかかわりを持っていることを告げていると感じた」と。

 

政府職員 海の三部作の出版 まず「潮風の下で」

海洋生物学の修士号を取得し卒業後政府の漁業局の生物専門官となる。このときに海の三部作の中の「潮風の下で」「我らをめぐる海」を発表。ベストセラ-となる。後にレイチェル・カ-ソンは「もし私の作品に詩情があるとするならば、それは海そのものが詩であるから。」と語っている。最初の作品である「潮風の下で」は海辺の鳥や魚の事が描かれている。

「サバはマグロに食べられマグロはシャチに食べられる。こうしてあるものは死に、あるものは生き、生命の貴重な構成要素を鎖のように次から次へと委ねて行くのである。」と東海岸ニュ-イングランド沖に溢れる様々な魚をこの様に描いている。 

この、海の生命の鎖や生命の織物という表現は、海辺の生命の織り成す多様性即ち生物多様性を見事に描くキ-ワ-ドになっている。それはキ-ワ-ドて゜あると共に、レイチェル・カ-ソンが敬愛していたシュバイツァ―の「すべての生命が根源的な相互依存の関係にある。」という主張に結びつくのである。 

 

●「我らをめぐる海」

「潮風の下で」の10年後の1951年に出版された「我らをめぐる海」は海の伝記といわれる。即ち地球の形成とその後の海の形成に関する事から始まり、そこに流れる海流やそして特定の海域での低気圧の発生、海底火山、大漁場など海の多様な環境の在り様が描かれている。それだけではなく雄大な海の生命力や不思議な美しさが見事に表現されていて

命溢れる海の叙事詩の様である。更にプランクトンと魚類、鯨とイカ、鳥類とウミガメが断つことの出来ない絆で結ばれているという食物連鎖や生物連鎖に係わる記述もある。この連鎖の考え方は最初の作品である「潮風の下で」に既に現れていたが、これが前回に見た「沈黙の春」では大きな役割を占めることになる。「我らをめぐる海」の成功で経済的な基盤を得たレイチェル・カ-ソンは45才1952年で公務員を辞め、執筆活動に専念する。

 

●「海辺」 

三冊目となった「海辺」では海辺に生息する生物の形態即ち形や生態、暮しとその生息環境を詳細に調査し、海の多様な生命の在り様を描いている。地球上の海岸は、岩礁海岸と砂浜、サンゴ礁の三つの基本的な形に分けることが出来る。レイチェル・カ-ソンはアメリカの大西洋に面した東海岸の岩礁海岸と砂浜、フロリダのサンゴ礁の海岸で調査を行って

いる。その「海辺」の中で海藻や海草と共存するフジツボ、タマキビ、二枚貝のイガイをはじめ様々な生物について生態学的に解説している。

海藻は陸上のコケやシダのように胞子で増えるが、海草は花を咲かせて種で増える種子植物である。種子植物は6億年前に地上に現れたもので、現在海に生活している海草の祖先は陸地から海に帰って行ったものと考えられている。海辺の生物を生態学的に解説しただけでなく海辺が如何に美に溢れた場所であるかについてこの様に書いている。「私は

海辺に足を踏み入れるたびに、その美しさに感動する。潮だまりには微妙な色合いの生き物が溢れている。海辺は寄せては返す波のように私達を魅了する。波打ち際の様々な生物には動きと変化そして美しさが溢れている。海辺には、そこに秘められた意味と重要性がもたらす深い魅力が存在している。毎年夏になると海岸から汲み上げてきた海水の中にフジツボの脱皮ガラである白い半透明の斑点が漂い、それはまるで小さな妖精が脱ぎ捨てた薄い紗の衣の様である。」

西洋には古くから様々な妖精の存在が信じられていて、妖精とは西洋の伝説や物語に出てくる、自然に宿るとされる霊的な存在の事である。次回に見る「Sence Of Wander」の中で「もしも私が全ての子供の成長を見守る善良な妖精に話しかける力を持っているとしたら、世界中の子供に生涯消えることのないSence Of Wanderの感性を授けて欲しいと頼むで

あろう。」と述べている。この様にレイチェル・カ-ソンは海辺の生命の小さな果かないものを見つけ出し、それと共に妖精や精霊などには人間を超えた存在を認識し、それ自体の美しさと同時に美と神秘が隠れていることを指摘する。

 

●「管弦楽曲 海」トビッシ- 

レイチェル・カ-ソンはその後、ドビッシ-の「海」の解説を作成依頼される。そこには次のように書いた。「海の神秘は

生命の神秘そのものである。何億年もの間、全ての生命は海に住んでいた。生命の豊富さと多様さは驚くばかりに発達して何千種類もの生物を進化させ、その一部は海から陸上に上がり、その中から人類が誕生した。かって海の生物で

あった私達人類は今でも血液中に塩分を持っている。その体内に海洋生物の遺産が残され、特有の記憶に似た海の

記憶ともいえる何かがある。」

この様に海は生命誕生の場であり、多様な生物が生息している。

 

「日本列島の海」 アマモ場

日本列島の沿岸には岩礁海岸の磯や砂浜、干潟が見られる。他にもコンブやワカメなどの大型の海藻類からなる藻場と呼ばれる生態系や、アマモなどの海草の群生したアマモ場という生態系が各地でみられる。アマモは水深1~2mの海中の砂や泥地に生えている。海藻と違って陸上植物のように根と茎、稲に似た細長い葉を持った種子植物である。又アマモは頻繁に芽を出し、落葉するという代謝が盛んな植物である。その為に海水中の窒素や燐の吸収により水質浄化の働きがある。更にその地下茎を張り巡らせることで海底を安定化させる。それだけではなくアマモ場は海産物の重要な生産の場であり、水産資源の即ち小魚を追い求めてやってくるタイ類・スズキ・メバル・カサゴなどの生息や生産場所、採餌や

産卵場所である。それは命の揺籠と言われ、生物多様性が極めて高いホットスポットになっている。レイチェル・カ-ソンが「一人で存在しているものは何もない」と述べている様に人間の生活は多様な生物が存在していて初めて成り立つのである。 

アマモ場はこの様に重要な生態系であるにも拘らず、沿岸域における面積は減少し続けている。それは人間の経済活動による水質悪化や海岸の改変などが大きく影響している。そして今後地球温暖化や海洋酸性化などのグロ-パルな気候変動との相互作用により更に深刻な悪影響を受けることが懸念される。例えば瀬戸内海は古来より人間生活との繋がりが緊密で里海の性格を保持してきた。里海とは人出が掛かることによって生物多様性が高くなった海域のことである。

里海としての瀬戸内海が提供する豊かな海の恵みは、人々の暮らしや自然との相互作用によって形成されてきたものである。戦後の高度成長期は公害汚染による環境汚染、埋め立てなどによる浅瀬の消滅、富栄養化による赤潮などを引き起こした。しかしその後の工場排水や生活排水規制、そしてカキの水質浄化作用に着目したカキ筏などの努力によって

かっての海の生命力を取り戻しつつあるのは嬉しい事である。

 

「私達の為すべき事」

この様な里海の変貌即ち生態系の劣化など生物多様性に対する危機を考えると、生物多様性の健全化のためにはまず人間が生態系の一部であるという事、人間生活の基盤をなす生態系からのサ-ビス無しでは一日たりとも生きていけないことを認識する事である。それはかって人々が持っていた自然と人間の関係、つまり自然との対話を取り戻そうとする行いといえる。

PCや携帯電話を手にする時に、地球の各地に住む人々や絶滅しつつある野生生物に思いを馳せること、私達が使う

商品の原材料はどこから来るのか、そしてどのように日本に辿り着いたのかなどを考え、そして自然への感性を働かせることである。即ち一人でも多くの人が自然との対話を取り戻し、地球上の生物多様性が置かれた危機感を共有し、日々の暮らしの中で何をしたらいいのかを考えることである。

  

「生物多様性」

生物多様性とはあらゆる生物種の多様性とそれらによって成り立っている生態系の豊かさやバランスが保たれている

状態の事である。一言でいうと深海から高地まで地球上の様々な環境に適応した沢山の生き物が暮らしていることで

ある。環境省では生物多様性を地球に固有の自然があり、それぞれに特有の生き物がいること、そしてそれが繋がっている事と定義している。個性とつながりや関係と言い換えることも出来る。その繋がりは地域の中での繫がりだけでは

なく、世代を超えた命の繋がりでなくてはならない。このように個々の生物は相互に繋がりを持つことで共存している。レイチェル・カ-ソンは「人類もまたあらゆるものを統制する広大無辺なCosmic Powerの支配下にある。」と述べている。生物多様性は生物が過去から未来へと伝える遺伝子の多様さまで含めた幅広いものである。それは同じ種であっても様々な遺伝的性質を持つ個体がいる事、いわば遺伝子の多様性も含めている。この様に遺伝子が多様であれば、生息環境が変化しても絶滅を回避できる。

 

「進化」

生物多様性とは進化の結果として多様な生物が存在している状況だけではなく、生命の進化という時間軸上の尽きることのない変化を含む概念である。つまり進化とは生物の世代を通じて受け継がれていくその生物の性質つまり遺伝形質が変化していくことである。この進化の過程はありとあらゆる生物個体に消えることのない痕跡を残している。この事についてレイチェル・カ-ソンはこう述べている。「魚類から両棲類、爬虫類、鳥類、哺乳類へと海から陸への動物の進化は即ち大進化と呼ばれる。それは何億年もの過去に起きた出来事で今見ることは出来ない。それに比べて大地と海が存在する限り常に海辺は海と陸との出会いの場所であり、今もそこには生命が創造され又容赦なく奪い去られている。海辺は地球上で演じられる生命のドラマが幕開けしたところであった。」

そして海辺は生命の出現以来今日に至るまで進化の力が変わることなく作用している所なのである。そこではこの世界の厳しくも壮大な現実に直面している生物たちの有様がはっきりと見えるのである。この進化の力が生物多様性の

原動力になっている。

 

「海辺の特異性」

レイチェル・カ-ソンは海辺を舞台に選んだ理由について、次の様に述べている。

・誰でも行けるし直接観察できる場所である。

・海辺は潮のリズムに従いある時は陸地、ある時は海。その為に海辺は生物に出来る限りの適応性を要求する。

海の生き物は海辺に順応することによってついには陸地に住むことが出来るようになる。従って海辺は進化の劇的な

過程を実際に観察できるところである。

 

「まとめ」

レイチェル・カ-ソンはこう結論付けている「動植物の生息環境との関係について考えてきたが、そこには生命の複雑さと共に独自に完結している要素は何一つない。単独で意味を持つ要素もない。一つ一つが複雑に織り上げられた全体構造の一つなのである。海辺は自然が支配する実験室であり、そこでは生命の進化についてそして、生物が織りなす微妙なバランスについて実験が繰り返されている。生物学とは地球とそこに住む生物の現在過去未来に亘る歴史についての

科学である。」

 

「海辺の最終章の結び」

渚に満ち溢れる生命をじっと見つめていると、私達の視野の背後にある普遍的な真理を掴むことが並大抵な事ではないことをヒシヒシと感じさせられる。しかしながらそれを追及していく過程で私達は生命そのものの究極的な神秘に額ずいて行くであろう。

 

レイチェル・カ-ソンは「海辺」を出版した翌年にエッセイを書いている。次回はそのエッセイが元になった「Sence Of Wander」の感性に生きるをテ-マに、シュバイツァ―のいう「生命への畏敬」とレイチェル・カ-ソンの等身大の生き方について見て行く。

 

「コメント」

成程成程と聞いて書いた。自然環境保護の原点の意味も少しずつ理解出来てきた。

全ての生命の誕生した海は母である。しかし誕生した生命は、厳しい生存環境の中で生き延び進化していく。元の痕跡を残しながら。人間の一生もこんなものであろう。しかし海辺で遂に陸に這い上がれないのもいるし、また海に戻るのも。生物学は哲学なのだ。講師は翻訳文を中心に話すので、日本語としてはなかなか分かりにくいし、論旨も。

60年以上も前に海の生物から環境問題に着目して「沈黙の春」を出した勇気と、学問を社会問題に展開する能力は圧倒的だ。