カルチャ-ラジオ日曜版「レイチェル・カ-ソンに学ぶ」     講師 多田 満(国立環境研究所 主任研究員)

160131④ 「べつの道」を考える-科学文明

「経済優先の20世紀から福祉優先の21世紀へ」

「沈黙の春」が出版された20世紀は経済の世紀であった。とりわけその後半は科学技術の進展により、世界の経済は大きく成長した。その一方経済を最優先にした事で水俣病を始めとする公害の発生や様々な地球規模の環境問題が深刻化した。そこで21世紀はその環境と健康の拠り所となる福祉を最優先に考え、人類の持続可能な安定した社会を保障する環境と福祉の世紀になることが期待される。それは経済的価値を最優先にするのではなく、福祉即ち生命を生かす生活の価値を最優先に考える社会である。そこには人々の健康で幸福な安定した生活とその暮らしの営みがある。この

経済優先から環境・福祉優先への転換のきっかけとなったのが、1962年に出版された「沈黙の春」である。レイチェル・カ-ソンもこの生活の価値を最優先に考える社会を期待していたのではないか。

 「沈黙の春」は、アメリカの歴史家ロバ-ト・ダウンズの著書「世界を変えた本27冊」の内、最新の一冊に取り上げられている。他には聖書をはじめプラトン、ニュートン、ダ-ウィン、マルクスの「資本論」等古典が選ばれている。

前回までの三回では「沈黙の春」を理解するための4つのキ-ワ-ドの、「恐るべき力」と「環境リスク」について見てきた。

最終回になる今回は、残り二つのキ-ワ-ド「地球倫理」と「べつの道」について、レイチェル・カ-ソンの思想を通して

見て行く。それと共に現代の科学文明について考える。

 

「地球倫理」 3つ目のキ-ワ-ド

レイチェル・カ-ソンは生態系に環境問題を引き起こしたDDTについて「沈黙の春」の最後でこう結んでいる。DDTなどの恐ろしい武器を手にして、その矛先は他ならぬ私達人間の住む地球そのものに向けられていた事は一言でいうと、環境問題は人間問題であるという事ではないだろうか。」

つまり環境問題は、環境の側の問題というよりはむしろその原因となっている人間の側の問題であるといえる。それは又、科学技術に深く関わりのある問題でもある。 2014年度の温室効果ガス排出量は、原発が全て停止しているにも関わらず震災のあった2010年以降初めて前年度を下回っている。環境省は原発0を契機に省エネと再生可能エネルギ-への転換が進んだためとしている。

「沈黙の」の最後の章、「べつの道」の冒頭で人類の未来の為にレイチェル・カ-ソンはこう述べている。

「私達は今や分かれ道にいるのだが、ロバ-ト・フロストの有名な詩とは違ってどちらの道を選ぶべきか、今更迷うまでもない。長い間旅をしてきた道は素晴らしい高速道路で、すごいスピ-ドに酔うことも出来るが、私達は騙されているのだ。その行き着く先は、災いであり破滅なのだ。もう一つの道は余り人も行かないが、この分かれ道を行く時にこそ、私達の

住んでいるこの地球の安全を守れる最後の唯一のチャンスであるといえよう。」

この素晴らしい高速道路とは何であろうか。それは経済的価値や効率性を追求する余り、その過剰な利便性による物の豊かさではないだろうか。

・「わかれ道」 アメリカの詩人のフロスト 1920年の有名な詩

「道が二つに分かれていた。残念だが両方の道を進むわけにはいかない。そして長い間立ち止まってどちらを選ぶか迷った挙句、私は人が余り通っていない道を選んだ。そのことがどれだけ大きく私の人生を変えたことか。」で結んでいる。

●「成長の限界」   「沈黙の春」の10年後に出版された。

 「成長の限界」とは、ロ-マクラブが資源と地球の有限性に着目して、MITのデニス・メドウズを主査とする国際チ-ムに

委託してまとめた研究で1972年に発表された。「人口増加や環境汚染などの現在の傾向が続けば、100年以内に地球上の成長は限界に達する」と警告した。

ロ-マクラブは地球の有限性という共通の問題意識を持った世界各国の知識人で構成される民間団体で日本からも

参加している。その1970年当時の先進国の人々は経済成長には限界はないと、未だ成長神話を信じていたのである。

●「限界を越えて」 「成長の限界」の続編  20年後に出版された。 

 「世界がこのまま経済成長を追求すれば、環境破壊を中心として事態は悪化の一途をたどり、人類にはもはや破滅しか残されてない。破滅を避けるためには、持続可能性を追求する革命が必要である」というものであった。

 

「環境問題は人間の問題である」

「沈黙の春」はシュバイツァ―の言葉「人間は未来を予見してそれに先んずる術を失ってしまった。人間は地球を破壊することで、自らをも滅ぼすだろう。」で始まる。そして「素晴らしい高速道路の行く先は災いであり破滅なのだ」とするレイチェル・カ-ソンの立場、その破滅を避けるための別の道は、「その持続可能性を追求する革命である」というメドウズの立場に近いと見ることが出来る。

今日、人間を取り巻く地球環境が温暖化を始めとする深刻な危機に陥っていることについては、先程のメドウズの「限界を越えて」を始め、種々論じられている。しかしこうした問題に対して、単に技術的プラグマテイックつまり実利的にアプロ-チするのみでは解決できない。

「べつの道」  4つ目のキ-ワ-ド

地球倫理(環境倫理と生命倫理)  生命倫理(生物倫理と人間倫理)

自然とは何か。人間とはいかなる存在か。その人間と自然との関係はどの様か。自分と他人との関係はどのようなものか。これらの究明を踏まえてそこから問題を倫理的に考察していくものでなくてはならない。その自覚や了解があって初めて、その心の意識や価値観の基盤が確立されていくのではないだろうか。そのことでレイチェル・カ-ソンのいう「べつの道」を自主的な判断によって選ぶという行動に繋がるのではないか。「沈黙の春」で「この地上に生命が誕生して以来、生命と環境という二つのものが互いに力を及ぼしながら、生命の歴史を織りなしてきた。」とレイチェル・カ-ソンは述べている。その環境と生命の繋がりや関係に係わる倫理を地球倫理と呼ぶ。それは環境倫理と生命の倫理から成り、更に生命の倫理は生物倫理と人間倫理から成る。つまり環境倫理は、その人間と環境との繋がりや関係に係わる倫理であり、

生物の倫理は人間と生物との繋がりや関係、一方の人間倫理は人間と他の人間との関係や繋がりや関係に係わる倫理である。これらの倫理は習慣・行動の規範を意味するギリシャ語エ-トスという言葉に由来している。それは人間の習慣的行動の指針となる一般的な信念や態度のことである。それではまず、環境倫理から見て行く。

 

●環境倫理

レイチェル・カ-ソンは、「沈黙の春」の中で、人間は自然界の動物とは違うといくら言い張ってみても、その人間も自然の一部に過ぎない。人間も自然の織りなす網の目の一部を形成する存在にすぎないと考えた。これは人間も自然の一部であるという環境倫理を意味する。

・エマソン→レオポルド(土地倫理)  人間は自然の主人公→自然は人間の所有物ではない

アメリカにおいて人間は自然の一部であるという考え方を初めて明確に示したのは、Wisconsin大学のレオポルドだといわれている。それまではアメリカの思想家エマソンが、人間は自然界の主人公と位置付けているように、自然とは対峙

すべきものであり、利用すべきものであった。レオポルドは、1949年に出版した「野生の歌が聞こえる」の中で土地倫理という考え方を提起して、その土地は人間の所有物ではないと主張した。

土地倫理の意味を、古人の経験から生態系についての経験へと広げて、生態系全体との共感や一体感について次のように述べている。「水の調べは誰の耳にも聞こえる。この調べをほんの数小節聞けるようになるにも、まずここで長期間暮らし、丘陵や河のおしゃべりを理解できるようになることが必要だ。するとあの音楽が聞こえてくるだろう。幾千もの丘陵に刻まれた楽譜、草木や動物の生けるものと死せるものが奏でる調べ、秒という時間と世紀という時間とを結ぶ音律、これらが一体となった大ハ-モニ-だ。」と、誰もが持っている美的な情感は、前回に見たレイチェル・カ-ソンの感性を働かせるという事で、その個人から生態系についての経験へと広がり、普遍的な持続的なものとして洗練される。この美的情感によって、命のリズムと宇宙のリズムの調和も感じとることが出来る。それは幾千もの丘陵という空間を越え、生けるものと死せるもの、秒と世紀の時間を渾然一体に結び付ける情感なのである。それが土地の倫理即ち環境倫理に気付かせてくれる。

・環境教育の基盤

レイチェル・カ-ソンは海辺で見られる美と魅力にあふれた潮溜まりを観察した時の共感や、前回に見た、雨で美しくなった森をロジャ-と散策した時の一体感について述べている。この様に生物との原体験によって、培われた感性は、その後の生命についての知恵を形成し続けることになる。つまりその感性は、自然や環境についての深い洞察力の物差しになるのである。このように自然の中で、命に触れる直接体験や、そこでの感性の芽生えから更に進んで、生態系全般への共感や一体感を育むこと、即ち自然体験はその環境教育の基盤になるのである。

(日本の環境教育)

日本の環境教育では、自然への感性、生態系への共感と一体感、生命の尊重と生物多様性への畏敬の念、これら三つを育むことが重要とされている。これはまさに前回に見たレイチェル・カ-ソンの「Sence Of Wander」とシュバイツァ-

生命への畏敬を育むことそのものである。

●生物倫理

 次に生命倫理のうちの、生物倫理について見て行く。「沈黙の春」執筆のきっかけをその前書きでレイチェル・カ-ソンはこの様に述べている。「1958年の1月だったろうか。アキンズ夫人が寄越した手紙には、彼女が大切にしていた小さな自然の世界から、その半分の生命が姿を消してしまった。と書いてあった。それでどうしても、この本を書かなければならないと固く決心したのは、手紙を見たときであった。」

しかし人間は農薬の大量散布を繰り返し、私達の住んでいる大地を壊すだけではなく、あらゆる生物たちにもその破壊の矛先を向けてきたのである。

・殺虫剤「マルドリン」の空中散布

 1950年代のアメリカではマメコガネ駆除の為に、殺虫剤のマルドリンが空中散布された。マルドリンはDDTの100~

 300倍の毒性の強い有機塩基性殺虫剤である。マメコガネは1916年にアメリカに侵入し、マメ類、ブドウの大害虫と

  なった。  

日本に多数生息しており、Japanese beetleと呼ばれる。今では生物農薬での駆除となっている。「沈黙の春」の当時、

マルドリンの空中散布で、ムクドリ・ノヒバリ・キジ・コマツグミなどの鳥が死に、地上ではリスやウサギが犠牲になった

である。

 これは人間が殺虫剤を用いることで、鳥やリスなどの生物の在り方を決めてしまうという事に繋がってしまうという生物

倫理に係わるものである。レイチェル・カ-ソンは問いかける。「この毒性の強い殺虫剤の大量散布について、何の

ための大破壊なのか。静かに水を湛える池に石を投げこんだ時のように、輪を描いて広がっていく毒の波、石を投げ

込んだものは誰か。石の連鎖を引き起こしたものは誰なのか。例え不毛の世界となっても石のない世界こそ一番いい。

生きものの生存を決める権利が誰にあるのか。」

人間倫理

レイチェル・カ-ソンは「沈黙の春」の中で農薬など化学物質の利用などについて、「これから生まれてくる子供たち、

その子供たちは何と言うだろうか。生命の支柱である自然の世界の安全を私達が十分守らなかった事を、大目に見る

ことはないだろう。」と述べている。

レイチェル・カ-ソンは亡くなる前年、ガンの放射線治療で体が衰弱しているにも関わらず、講演を行った。その最後の

講演「環境汚染」で、やみくもに新しい化学技術にとり付くことの危険性をきちんと認識しようとしない社会への批判を

展開した。

更に海を原子力時代の有害廃棄物の捨て場にしてはならないと、遺言ともいえる警告を発した。それは今から半世紀

以上も前の1963年のことである。そして「私達が住む世界に汚染を持ち込むという問題の根底には、逆進的責任

つまり自分たちの世代ばかりでなく未来の世代についても責任を持つことについての問いがある。」と、レイチェル・

カ-ソンは強い口調で述べている。これは人間が他の人間の在り方を決めてしまうことに繋がってしまうという人間

倫理に係わるものである。この場合の人間は、今の自分たちの世代であり、他の人間はこれから生まれてくる子供

たち、その又子供たちである。

 

「原子力」

(21世紀の再生可能エネルギ-ネットワ-ク報告書)

 2013年末にバイオマスつまりゴミなどの廃棄物や下水汚泥などの熱利用まで含めると、再生可能エネルギ-は世界

 の全エネルギ-消費の22%を越え、2%の原子力を大きく上回る。2011年の福島原子力事故にヨ-ロッパ諸国は即座

 に反応し、中でもドイツは2014年に国内エネルギ-消費量に占める再生可能エネルギ-の割合が、27.8%と過去

 最高となった。 

 (ハイデッガ-)

  「核、即ち原子力の平和利用がその人間の目標設定と、その使命を規定するようになると、その人間は自らの本質を

 失わなければならない。人間は原子力エネルギ-によって生きては行けず、逆に滅んで行くだけだ。例え、原子力

 エネルギ-が平和目的だけに使われたとしても。」彼は広島、長崎に投下された原爆は知っていても、1986年の

 チェルノブイリ原発の大事故はこの時点では起きていない。平和利用の名で広がりつつあった原発の危険性を、彼は

 いち早く見抜いていたのである。

 (安全なエネルギ-供給に関する倫理委員会を報告書)→これによりドイツ政府は原発の廃炉決定

   2011年5月30日ドイツの哲学者・宗教家・社会学者・政治家等17人で構成された委員会報告書は、「計り知れない

  リスクを抱えた原発の利用に倫理的根拠はない。」と結論づけた。そして、ドイツ政府に勧告し、政府は国内すべての

  原発の廃炉を決定した。報告書ではその理由をこの様に説明している。「その原子力の利用とその停止、更には停止

  に当たっての代替エネルギ-による穴埋め、こうしたことに関する一切の決定は、社会における価値決定にその

  根拠を持つ。こうした価値決定は、技術的側面やその経済的側面に先行する。」原発問題が負債を、未来の世代に

  継続させないという倫理問題として位置づけられたのである。この場合の倫理は、レイチェル・カ-ソンが述べた、未来

  の時代に対する道義的責任つまり世代間倫理に繋がるのである。

そしてレイチェル・カ-ソンは警告する。「私達自身のことだという意識に目覚めて、皆が主導権を握らなければならな

い。今のままでいいのか、このまま先に進んで行っていいのか。」

この様にレイチェル・カ-ソンは「沈黙の春」の中で、私達に自主的な判断を迫っている。

 

「社会的対話」

判断の為に、専門家と市民との対話が求められている。それは先ほどの「安全なエネルギ-供給に関する倫理委員

会」の報告書に見られた、社会における価値決定に繋がるのである。

●リスク

社会における経済の規模が、おおきくなればなるほど、そのシステムはより複雑により巨大化する。その結果社会に

対するリスクの実態が、直接人々に伝わりにくくなる。

ハ-バ-ド大学リスク解析センタ-によると、私達がリスクを感じる10の要因があるという。

 ・恐怖を強く感じる  ・自分で制御できない  ・子供に関係する などと原発に係わるものである。

2011年の原発事故の例でみると震災という緊急事態に於いて、一旦制御不能に陥れば、私達の生活そのものを

危うくする複雑で巨大なシステムに、身を委ねている事への不安である。

  (リスクの再分配)

   ドイツの社会学者ベックが1986年に出版した「危険社会」では「今や政府の役割は、冨の再分配からリスクの

   再分配へと転換しつつある。リスク社会の出現である。」と指摘したように、原発事故は科学技術が0リスクではなく、

   必ず社会的リスク即ち人々へのリスクの分配を伴う事を知らしめたのである。

 ●社会的対話

今回の震災と原発事故で、科学と社会の関係に係わる多くの課題が提起された。それらの課題の多くに関係するの

が、その科学の伝え方や情報共有についての科学者や専門家と社会とのコミニュケ-ション即ち社会的会話である。

「沈黙の春」の中で、レイチェル・カ-ソンは強調する。「正確な判断を下すには、その事実を十分知らなければならな

い。私達には知る権利がある。」

・「原子力災害対策指針」

2012年10月の原子力規制委員会の原子力災害対策指針の前文には「国民の生命身体の安全を確保することが、

最重要という観点から、住民に対する放射能の影響を最小限に抑える防御措置を確実にすることを目的に、その事前

対策には住民への情報伝達に関する責任者及び実施者を予め定めること。集落の責任者や国民に迅速にかつ正確

な情報が伝達されるような仕組みが構築されることが必要とされている。又その緊急事態における応急対策の考え方

として、其の可能な限り確実性の高い情報に基づき、住民の防護措置を的確に講じることが必要であり、住民への

情報提供の緊急時には、住民に正確な情報提供を迅速にかつ分かり易い内容でおこなわなければならない。その

情報は定期的に繰り返し伝達すべきである。」と述べている。更に、今後詳細な検討が必要とされる事項の一つに、

その地域住民との情報共有の在り方があげられている。

●安心・安全

現在、震災と原発事故の経験を踏まえて、安全で安心な社会作りの重要性が再認識されている。原発再稼働の為の

安全基準のように、安全は科学的根拠をもって国が定めるもの。一方の安心は主観的な概念であるので、個人一人

一人が判断するという指摘がなされている。その安全について、私達には知る権利がある。この為には国と地域住民

との情報共有の為の対話が求められている。つまり、その社会対話による相互理解に基づく信頼関係があって

初めて、人々は安心するのである。

 

「現代の科学文明と社会」

レイチェル・カ-ソンは自然において生命あるものは共存している事、人と自然が調和している事、その命の共生を最も大事に考えた。それに対して「沈黙の春」で告発したような農薬の大量使用による生命の破壊という、人間の行為を最も愚かな事と考えた。「私達は今、自然界に対して技術を用いて戦っているが、我々の文明にはそのような事が許されるのか。はたして文明に値するのか。これは極めて正当な疑問である。」と述べている。そのレイチェル・カ-ソンの思想の中には、現代の科学文明に対する批判がはっきりと表れている。即ち「長い間、旅をしてきた道、つまりこれまでの科学文明は素晴らしい高速道路で凄いスピ-ドに酔うことも出来るが、私達は騙されているのだ。その行き着く先は、破壊であり破滅だ。」という。

更にDDTなどの恐ろしい武器即ち科学技術に支えられた文明、その科学文明を手にして、その矛先は人間の住む地球そのものに向けられていた。」と「沈黙の春」の最後を結んでいる。

つまりレイチェル・カ-ソンは環境問題を通じて、科学文明に関する危機感を「沈黙の春」の中ではっきりと述べている。

●足尾銅山鉱毒事件

 明治初期に始まった国内初の公害事件。古河鉱山による足尾銅山の重金属汚染による鉱毒事件で、生涯を掛けて

 戦った田中正造は「真の文明は命よりも金、即ちその経済を重視することはない。」と述べた。つまり彼の晩年の有名な

 日記の一節に「真の文明は山を荒らさず、川を荒らさず、田を破らず、人を殺さざるべし。」とある。

●水俣病

 公害の原点といわれる。水俣病の公式確認から間もなく60年。その50年に当たる2006年の環境庁主催の「水俣病

 犠牲者慰霊式で、慰霊碑が建てられた。その碑文には、水俣病の犠牲者だけではなく、魚や鳥や猫まで不知火海を

 取り巻くあらゆる生物に対する鎮魂の願いが込められている。そこにはあらゆる生命が共に生きるという、レイチェル・

 カ-ソンが最も大事に考えていた命の共生についての思想が読み取れる。是と共に科学技術に支えられた現代文明の

 在り方が問われている。

元々水俣の地は、熊本県の南端に位置し、海と山に囲まれた自然豊かな所であった。その水俣周辺は天然の海運に

恵まれた、魚類の産卵場であり、豊かな漁場であった。そこには小さな漁村が点在し、人々は恵まれた海と共に生活

していた。その漁業という伝統的経済と共同体つまり、人々を取り巻く多様な生命の繋がりによる共生の空間がある

村社会、それには不知火海という、自然の風土に根差した人と自然が調和した社会であった。この自然と一体となった

村社会に対して、経済成長という企業の論理つまり経済至上主義の効率性から、有害物質であるメチル水銀を、自然に

大量に垂れ流すことによって、悲惨な水俣病の発生となった。

・原田正純

 胎児性水俣病の存在を突き止めた医師 原田正純は、一人一人の人間の尊厳を等しく認め合うことが、公害による

 健康被害や環境汚染の防止に繋がることを指摘している。即ちメチル水銀は小さな原因で、水俣病発生の最も根本的

 で大きな原因は、人を人とも思わない状況、それを換言すれば人間疎外・人権無視・差別という言葉で言い表される

 状況であると。この様に水俣病は、経済を起点に社会と自然、生命の繋がりによって生じた健康被害であった。 

●生活の価値を第一に考える社会への転換

 ・公害を発生させた考え方とは逆に、生命を起点に生命と自然その社会の繋がりから、べつの道の行き着く先を考え

  る。その為にはこれまでの様な経済的価値を最優先にする社会から生命をよく生かすこと、つまり生活の価値を第一

  に考える社会への転換が求められる。

・その社会では生命と自然に配慮した生活を大切にし、その定常型の経済による社会の在り方つまり生命と自然と

 社会そして経済の調和した繋がりが求められる。ここでの定常とは、それまでの物質的な成長つまり拡大ではなく、

 質的な発展つまり改善・向上による持続可能性を意味する。 

・その社会の人々は、健康や自然への意識が高く、これまでの経済効率のみを追求する大量生産大量消費型社会ではなく、持続可能な定常型経済の下で、生命と自然に調和した社会、調和型社会を志向する。

・生命と自然の調和から、人が健康であることとは、その生態系が健全であること、つまり人の健康は自然の生態系によって支えられているのである。

・この社会では環境やエネルギ-効率を高めることで、資源の使用量も、汚染物質の排出量も減らす循環型グリ-ン経済への移行でもある。またこれまでの自然破壊や環境汚染に替わって、自然再生や環境創造が求められる。

●現状

 かっての日本やアメリカをはじめとする先進国や現在の新興国が経済活動に邁進する余り、それを支えている環境を顧みず、すごいスピ-ドで高速道路を走ってきた。私達は今、その分かれ道にいる。「沈黙の春」の前書きの最後に「私達人間が、この地上の世界と又和解する時には、狂気から覚めて健全な精神が光り出すであろう。」と述べて

 いる。

 

「べつの道」

自然と和解する時、レイチェル・カ-ソンのいう「べつの道」の行き着く先に、狂気から覚めた健全な精神の光出す未来の春を見つけねばならない。それがどのような未来の春になるかは、私達一人一人の自主判断に掛かっている。それは前回に見た「Sence Of Wander」の感性を働かせて、生命への畏敬と自然との関係において信念を持って、その定常型の経済と調和型社会という分かれ道を一歩一歩進んで行くことである。

・「沈黙の春」の原稿が完成に近づいた時、「可能なことはしなければならないという厳粛な義務感に縛られている事を感じている。もし私がいささかなりとも試みようとしなかったら、私は自然の中で二度と再び幸福にはなりえないだろう。私達の住んでいる地球は、人間だけのものではない。かけがえのないこの地球の生命や環境を守るための努力を惜しんではならない。」と親しい友人に書き送っている。それは「沈黙の春」や「Sence Of Wander」に見られる、生命と環境に対するレイチェル・カ-ソンの基本的姿勢に基づいており、信念でもあった。この信念は、多くの人に理解され、共感された。

 

「科学者と市民の対話」

震災と原発事故を契機に科学者は、市民との対話と交流に積極的に参加すること、更に社会に向き合う科学が求められている。つまり科学者には、市民や社会との対話即ち社会対話が求められている。その為にとりわけ自然を対象とする科学者は、生活感覚や人文的教養、それは人文科学例えば「沈黙の春」のような環境文学や、よるべき思想や

倫理例えば環境思想や環境倫理、つまり社会リテラシ-を持つことで、社会との調和を視野に入れた、社会に向き合う科学を市民に示さねばならない。

「記憶の中」 湯川秀樹の1950年のエッセイ レイチェル・カ-ソンと同い年

 このエッセイの中でこう述べている。「自然科学は他の世界の改善に大きなお手伝いをしてきた。人文科学の助けを借りて、私どもの頭の中でもう少しよく整理出来たら、皆がもうすこし幸せになり世の中ももっと平穏になるのではなかろうか。そして又音楽には音楽性だけではなく、その人間性も現れる。それ故に科学者は社会対話の場で、その科学性だけでなく、その日常性や人間性を通じて市民に理解され共感される、つまり科学を演奏するそういうことが出来るのではないか。」と。

それと同時に市民は、環境問題など社会の問題を自らの問題として捉え、自主的に判断し行動するための科学リテラシ-、つまり科学的に物事を理解する能力を身に付けることが出来る。

「科学が活かされるということ 人間に幸福を与えるか」 湯川秀樹の1953年のエッセイ

「科学が進歩するという事は、それと同時に我々の物の考え方が合理的になり、それと同時に段々と包括的というか色々な考え方を調和し、それを包んでゆとりある物の考え方になり、それに伴ってその人間界科学の色々な矛盾とか争いというようなものも、段々と解決されるようになり、それで初めて進歩した科学というものが活かされてくるのだ。

そういう風に私は考えている。」

人間の他の人間に対する暴力例えば虐待や戦争と、人間が自然に対する暴力例えば自然破壊や環境汚染が無くなって初めて、その人間は真の文明化された人類と呼べるのではないか。その文明こそが真の文明なのではないか。その為の科学者や市民、政治家など現代の科学文明に生きるすべての人々の社会対話が求められている。

 

「講座のまとめ」

●「沈黙の春」 環境問題の古典

「レイチェル・カ-ソンに学ぶ」をテ-マに「沈黙の春」をはじめとする作品を見てきた。「沈黙の春」は環境問題の古典といわれる。古典は、その時代の社会の抱えている問題を浮き彫りにしながら、人類共通の古典的テ-マに触れている、そんな書物のことである。よって過去を知って未来を考える書物である。

この中で「恐るべき力」や「環境リスク」等の科学に関する話題に触れている。それと共に人類が生き抜く為に必要な

倫理や「べつの道」をも示してくれている。

「海辺」

生物多様性の個性の繋がりを見てきた。生物である私達は、様々な個性を持ったかけがえのない、一つ一つの生命である。「海辺」で見た遺伝子の多様性が、生命を豊かにするように、生物の多様性が自然を豊かにする。そして人間の多様性が社会を豊かにするのである。一方、海辺で見られる個々の生物は、相互に繋がりを持つことで共存している。

「人は一人でも生きなくてはならない。それでも人は一人では生きられない。」といわれる。

「べつの道」

「余り行かないが、別れ道を行く時にこそ私達の住んでいる地球の安全を守れる唯一のチャンスがあるといえよう。」

述べている。一方、ダ-ウィンの「進化論」によれば、生物の進化は例えば「人類とチンパンジ-の系統は共通の祖先から、500万年前に別れて、それぞれの道を進化したと考えられている。つまりその別れ道を歩いて、今の人類にまで進化したのである。生物は皆、それぞれの別れ道つまりそれぞれ別の道を歩んで進化したのである。人類も又時代や社会に応じて、別の道を歩んでいくのであろう。

レイチェル・カ-ソンは「沈黙の春」執筆のきっかけとなった手紙をくれた友人に対して、「もし私が沈黙を続けるなら、

私の心に安らぎはありえない。」と、その時の気持ちを表している。「沈黙の春」は道徳的な、大きな勇気を持ったレイチェル・カ-ソンの行動を象徴するものであった。

そのレイチェル・カ-ソンは、市民の一人一人が勇気を持って行動する事,別の道を歩んでいくことを願っていた。人間は感情的にならずに、その理性でもって行動するようにとよく言われる。しかし感性から外れた理性であってはならない。前回の環境と生命の思想では、「Sence Of Wander」の感性とその理性との繋がりを見た。人間は生存や生命の

本質に係わるその感性に基づいた理性でもって行動しなければならない。

 

「コメント」

自然保護の原点といわれる名の通り、一言一言に納得。放送日が待ち遠しかった。特に子供たちへの向ける優しさと期待には、その心の本質が現れている。しかし毎度、録音を起こしてUPするのは結構シンドイ。又翻訳文なので、こなれていない文章もあって、さて何を言っているのかと、しばし行きつ戻りつ。この講師もこの世界では、著名なようなので、何か読んでみよう。それにしても久し振りに、肩が凝った。

 

地球環境阿問題への対応が主題であるが、この講座を通じて物の変え方について多くの示唆を得た。

・皆と同じ道は気楽だが、そこには危ういものがある。自分の感性で自主的に判断しなければならない。

・変化に気付き対応しないものに、未来はない。

・感性を伴った理性で判断しなければならない。

 

ここで思い出すのは、中学高校の同級生で、熊本大学医学部出身で精神神経科医の彼。人づてに前述の原田医師のもとで、水俣病にかかわったとされる。帰って話を聞いてみたいが、その後人嫌いになっているとか。