日曜カルチャ- 「正倉院ものがたり~正倉院展はこうして誕生した」
帝塚山大学文学部教授 西山 厚
171001①「聖武天皇と大仏」
秋に奈良国際博物館で「正倉院展」が開催される。一日当たりの入場者数は世界一で、13000人。
何故こんなに大勢の人々が興味を示すのか。何故毎年やるのか。これらの事を5回に分けて話していく。
「聖武天皇と大仏」
小学5年生で、東大寺大仏の事を始めて習う。
「聖武天皇は何故大仏を作ったのか」
自分の誕生の背景及び父母との関係、又疫病・天変地異などによって自分の天皇としての徳のなさに想いを致し大仏造立を思い立ったとされる。
●大仏造立の詔 741年 41歳
「すべての動物植物がともに栄える世の中を作りたい。この為に大仏を作る。大きな力ではなく一本の草、一握りの土を持って来たものでも受け入れよ」
●聖武天皇とは 天武→持統→文武→元明→元正→聖武
・父 文武天皇、母 藤原 宮子(藤原不比等の娘) 祖母 持統天皇 祖父 天武天皇
父は早逝し、母は聖武誕生後、病で別邸に隠れてしまう。親子の縁の薄さ。
・皇后は藤原 不比等の娘。安宿媛(あすかべひめ)、光明子とも。
臣下から始めての皇后→長屋王の変。
・肉親に縁の薄い育ち。男子誕生するも早逝、女子のみ阿部内親王。後の孝謙天皇。
●時代背景
・天然痘の大流行 藤原四兄弟(武智麻呂・房前・宇合・麻呂)の死去 総人口500万人の内、
100万人死亡。
・旱魃・飢饉・地震
・藤原 広嗣の乱
●大仏造立の切っ掛け
「続日本紀」によれば、聖武天皇は天平12年(740年)に河内(大阪市柏原市)の知識寺で盧舎那仏を見て感銘を受け大仏造立を思い立ったという。
(盧舎那仏)
:華厳経などの教主で、万物を照らす宇宙的存在としての仏。密教での大日如来と同じ。
●大仏の造営場所
聖武天皇は、祖父天武天皇が壬申の乱の時に巡った三重、岐阜、近江へ大仏建立の場所探しの旅に出る。当初紫香楽宮で造立を決定するが、結局官民の反対で現在の東大寺とする。ここは
亡くなった息子基王の墓がある金鐘寺である。
●大仏建立
743年に開始し、開眼供養は仏教伝来から200年とされる752年。建設労働者数は延べ250万人。導師はインド僧 菩提僊那。所要の銅は500トン。
「聖武天皇の死去」 756年 56才
死去に当たり、光明皇后は天皇の所蔵品を東大寺に寄贈。これが正倉院宝物の始まりとなる。
「コメント」
講師の話は変に会話口調で、話題が転々とするのでまとめるのに困る。会話口調で分かり易くとの配慮であろうが講義の筋はきちんと立てて貰わないと。単なる歴史講談になってしまう。
時間の割に内容が無いのでがっかり。