220206①「ステレオタイプの形成~ルイス・フロイス「ヨーロッパ文化と日本文化」ほか~

(はじめに)

16世紀から21世紀までの欧米からの日本観を話す。日本がヨーロッパと、向き合って初めて接したのは16世紀。

その時の日本観という物はどういうものであったかを話す。今日はルイス・フロイスとその前に来た

フランシスコ・ザビエルの日本観を中心に話をして、それが今日の我々にとってどんな意味をもっているか、どういう風にそれを、とらえればよいかというような話をする。

4回にわたって通底している大きなテ-マは、二つある。

(文化のステレオタイプ)

一つは今申し上げた文化のステレオタイプということ。ある文化というものが、外国人の目から見ると、我々が感じている日本の姿と違う風に受け取られていく、つまりステレオタイプというのは文化の紋切り型、悪く言うと、色眼鏡で見た姿という事になる。

それを分析しながら、我々の文化という物が、海外でどういう風に認識されているのか、或いは誤解されているのか、これは、そういう話をしたい。

これは例えば、今日の話はルイス・フロイスとフランシスコ・ザビエルだが、背景が二人とも16世紀に日本に来た宣教師である。そうした人たちなので、キリスト教文化をベースにした人たちは、日本をどう眺めたのか。そこには、ザビエルとフロイスが好意的に日本を見たとしても、その底にはキリスト教的文化感に伴うものがある。それを検討しながら、文化のステレオタイプを考えていく。

(異文化理解)

それからもう一つの柱は、異文化理解という問題である。異文化理解という事が、いかに難しいか。我々の隣の韓国の文化にしろ、中国の文化にしろ、日々話題になっている政治的問題であっても、或いは経済的問題であっても、その基底にある文化、人々の営み、風習などまで目が届かない。

そうなると政治的経済的レベルで、ぎくしゃくした問題が出てくる。だからそういうのを踏まえて、

異文化理解とは何かを考えねばならない。

だから文化のステレオタイプと異文化理解、この二つを軸にしながら考えていく。

 

それでまず、16世紀に来たザビエルの日本観、その後にザビエルを追うようにしてくるのがフロイス。

彼らはキリスト教をもたらしたが、彼らがもたらしたヨーロッパ文化(ルネッサンスを経た)。豪華で豊かで華やいだもの

(ザビエルの日本観)

これに関しては、本も沢山出ている。

ピータ-・ミルワード 上智大学教授「ザビエルの見た日本」講談社学術文庫

これを見ていくと、ザビエルの人となりが伝わって来る。16世紀の中頃、15498月に鹿児島に上陸。日本とヨーロッパの接触というのは、ザビエルの1549年が初めての文化的宗教的接触であった。

歴史的に言うと、その6年前にポルトガルの商人が日本に来ていた。種子島への鉄砲伝来である。

これ以来、鹿児島にヨーロッパの色々な文物が入って来る。これが日本の他の世界との交流の最初である。しかし種子島-鹿児島は、ビジネス中心の交流で、文化的な、宗教的な交流というのは、ザビエルの1549年の鹿児島上陸から始まる。16世紀までの世界地図は、ヨーロッパ中心に出来ているので、日本は登場しない。所がザビエルは、リスボンで日本人と出会う。アンジロウ1547年鹿児島出身。

アンジロウから日本の事を聞く。そして、アンジロウが言う。「ザビエルさん、貴方が日本に行けば日本人は改宗します。是非行ってください」

ザビエルは天意を感じて、日本に行く。キリスト教に改宗する時は熟していると。

ザビエルの日本観を少し話す。まず日本人というものを高く評価している。これは日本人の清貧に甘んじる心、心が清い、彼らはキリスト教を受け入れるに違いない。日本人賛美の言葉を書いている。

「日本人は他のアジアの国より優れている。」

ザビエルもフロイスも本国の本部に報告を送っている。この日本人が非常に優れているというのは、何度もその書簡に繰り返されている。差し障りがあるが、それは日本人の一般市民の、心の清らかさを述べる一方、僧侶が如何に堕落しているかを述べている。それ故に、二人とも、日本でキリスト教が広まるという事を確信していた。「私の知る限りでは、日本人はキリスト教に帰依した以上、いつまでも迷わずにその形を掲げる、唯一の国民である。」

しかし、福音を説教する側からいえば、大きな苦しみと悲観的な葛藤を、味わわないわけではなかった。それは、これから待受けている、布教といの困難さという物を、予言していることである。

 

武士道についても触れている。

子供でも12歳になると、キリっとしていて武士として生きていく心構えを持っている。

 

(フロイスの日本観)

ザビエルの後にフロイスが入る。ザビエルは長くは居なかった。

フロイスはザビエルと違って31歳から60歳まで日本で過ごす。彼の「日本史」が、有名である。中央公論。12巻。

全て本国に報告をした文書である。今日お話に使うのは、フロイスの「日本史」のエッセンス、一部と言ってもいい、「ヨ-ロッパの文化と日本文化」岩波文庫 小さな本である。日本観察のエッセンスである。一番の特長は、ヨ-ロッパ文化と日本文化というタイトルに、今なっているが、これは岩波が付けた名前で、元々は「日欧文化比較」という。
このタイトルのように、ヨ-ロッパと日本を対照的に書いている。比較文化論の草分けである。これをいくつか紹介する。

子供達の勉強

「我々の間では師匠について学ぶ。ところが日本では、全ての子供は寺子屋で習う。我々の子供は初めに読むことを習い、その後で書くことを習う。日本の子供は書くことから始め、後で読むことを習う。ヨ-ロッパの子供は青年になっても、口上一つ伝えることが出来ないが、日本の子供は10歳でもそれを伝える判断と思慮に於いて50歳にも思われる。

武士の事

ヨ-ロッパの日本観を辿って行くと、サムライ日本というイメージが濃厚である。その先駆けがここにある。その後はル-ス・「ベネディクトの「菊と刀」。日本全体が武士社会のように描かれている。もう一つは、エズラ・ボーゲルのJapan as No1」の中でも、武士社会の事、疑似武士社会のように企業人を扱っている。武士というイメ-ジ、サムライというイメージは、ずっとこの頃から流れている。

ヨ-ロッパ人のステレオタイプは、日本人はサムライ社会であるという事になる。

日本人の無表情

「我々は怒りの感情を大いに表し、そういう気持ちを抑制しない。所が日本人は、特異な方法でそれを抑え込む。そして、中庸を保ち、思慮深い。極めつけがある。」この辺から、日本人のステレオタイプが強化される。

日本人の笑い

これは以外でびっくりする所である。

「我々の間では、偽りの笑い・作り笑いは不真面目だと考えられる。所が日本では、品格の有る高尚な事とされている。」

これはいわゆる、オリエンタル・スマイルといわれ、ヨ-ロッパ人にとっては、不気味な笑いである。

日本人のスマイルについて、文化史的に評価したのは、小泉八雲のジャパニ-ズ・スマイルである。これは、ただ無意味に笑っているのではなくて、相手の気持ちを汲んで、相手の立場に立って笑っているのだ。相手の気持ちを汲んで、その場を和ませるために、顔に微笑みを浮かべているのだという風に、日本人を弁護している。

「日本の面影」小泉 八雲 角川ソフィア文庫 NHK100分で名著

これは例としては、自分の夫を亡くして悲しみに暮れている奥方。そして葬式で弔問が来る。そうすると彼女は微笑みを浮かべて応対する。それを見たイギリス人は「何という女だ。笑っている。」八雲はそうではないので、態々弔問に来た人の気持ちを、慮って、微笑みを浮かべたのであると弁護している。

曖昧な言葉

八雲はこうも言っている。

「ヨ-ロッパでは、言葉が明瞭であることを求め、曖昧な言葉を避ける。所が日本では曖昧な言葉が一番優れた言葉で、最も重んぜられる。」

日本語の難しさ

多くのヨ-ロッパ人が来たが、日本語をマスタ-した人は少ない。これはヨ-ロッパ人が故国への手紙で、日本語が如何に難しいかを欠いている。悪魔の言葉であるとまで言っている。所がフロイスは日本語を完璧にマスタ-した。

そして、江戸時代から開国になるが、日本に宣教師でなくて外交官が来るが、1850年代、その中でアーネスト・サトーという英国の外交官がいる。岩波文庫に彼の日本滞在記がある。彼は完璧な日本語であったらしい。そういう日本語を理解した人が書き残している、日欧文化比較論は良く解る。これは何故かというと、日本語は普通漢字で出てくるが、これを読み解いて、尚かつそれに音を付けてローマ字化しているものが残っている。現代人でも読めない漢字迄残している。

フロイスの仏教批判

「我々の間では、人は罪の償いをして魂を救ってもらう為に、修道会に入る。一方、日本の坊主は快楽と休養の中に暮らす。労苦を遁れる為に九つある教団に入る。修道会の現世的財産は、我々の間では共有である。所が、坊主どもは全て自分の財産を持ち、自分の手に入れる為に商売をする。戦争にも加担する。時の権力者と結託して僧兵となって戦争をする。」と云うようなことが書いてある。
ステレオタイプ 二元論 共通性に注目

ここで取り上げたいのは、日本人の無表情とか笑いとか、そういうのを見てみると、描写は正確なのだが、矢張りキリスト教的文化を、ベースとして日本を観察していると思われる。その意味で、文化のステレオタイプという事を、考えてみなければいけないと、先に行ったが、ステレオタイプというのは、型にはまった受け止め、理解という事である。

この観察は、ヨーロッパとの対比で二元論である。この二元論というのも、極めてヨーロッパ的。

善と悪、右と左。これが比較文化をやる一つの方法であるが、現代では違いに注目しながら共通性を見いだす、これは国際社会であるから違いがあるのは当然で、むしろ共通性を取り出していくやり方になってきている。

 

フロイスは客観的に見ている様に見えるけれども、見る側の立場が出てくるので、自ずとそこら文化のステレオタイプが出てくる。異文化のステレオタイプ化は必然的である。私の考えは、そういう物が現在まで続いているという事である。

イシグロ・カズオ

イシグロ・カズオは元々日本人であるが、6歳で訪英、日本語読み書き不能、英国籍。会った時の話。マスコミに騒がれて、日本の事をやたら聞かれる。それから彼が持っている日本人性(日本的特徴)をやたら聞かれる。実に煩わしい。イギリス人もステレオタイプが好きなのか、BBC放送でも、尋ねられるのは日本の事と三島由紀夫。小津安二郎の東京物語に出てくる、平均的日本人の日常よりも、日本人の異常性を彼らが期待しているのが分かる。

 

私が在英したのは1985年以降だが、空手とか柔道とかをよく聞かれた。異文化を理解する時には、何かそういう極端なステレオタイプが生まれてきてしまうものである。

有るべき形

19世の中頃、日本開国。その時に日本の文物が流出した。浮世絵。この中に日本のステレオタイプが三つ出てくる。富士山・芸者・腹切り。

-ネスト・サトーの日本滞在記で腹切りの場面がある。異文化理解とは一体どういうものか。我々が持つのもステレオ・タイプなのかもしれない。だから、自分の立場、既成観念ではなくて、相手の立場に立って、相手の文化の中に入っていく。そういう立場を養っていかなければ、相手を理解しがたい。

英語のunderstandingは、宗教用語としては、相手の下に立つという意味。相手側に立つ。今までは

そうしたunderstandingではなかった。

外国人の日本観

日本とヨーロッパの交流の始まりという所に、スペイン人のザビエルがいて、そしてこれがフロイスに繋がっていく。ザビエル、フロイスの日本観の特長を四つあげる。

・我慢強い

・清貧を甘んじる

・名誉を重んじる

・知識欲(好奇心)が強い

私は英国にいる時に、英国人の日本観を調べたことがあった。その本も出した。その中に私とイシグロさんの対談も載っている。

英国人の日本観

・勤勉である ・清潔である ・我慢強い   プラス面

・残酷である ・ずるい ・計算高い      マイナス面

イエズス会の誕生

もう一度ザビエルとフロイスに触れるが、今の上智大学はこの流れで出来た大学である。つまりイエズス会、日本で初めて宣教活動をした組織である。いわば彼らが作ったのである。1534年 イエズス会誕生。

ザビエルと7名の宣教師たちがフランスのモンマルトルに集まって、旗揚げをした。それからザビエルが日本にやってきて、2年間滞在した。46歳で死去。

フロイスは1583年来日、宣教活動をやるが、本部から活動を止めて日本調査と記録作りに専念するように言われた。フロイスの「日本史」12巻があるが、1549年から長崎で死去する、61才。1593年までの44年間の記録。

フロイスと織田信長

この時代は織田信長とラップする。

織田信長は新しもの好きで、バテレン文化を好んだ。そして布教活動には好意的であった。段々と布教活動が進むにつれて、警戒感を持つようにはなるが。信長の後の秀吉、彼も最初は布教を庇護したが、徐々に弾圧の方向となる。

1587年 秀吉のバテレン追放令  宣教師21人のはりつけ

最初フロイスは日本で仏教に代わって、キリスト教が普及し、日本に定着すると喜んでいたが、晩年は悲惨な目にあった。

フロイスの「日本史」を見ると、時代別に作ってある。それくらい精緻である。長い「日本史」を読む訳にはいかないでしょうから、「ヨ-ロッパ文化と日本文化」岩波文庫を読んで下さい。フロイスが信長に会った時の感想が書かれている。

・信長は地球が丸い事を理解した。

・目覚まし時計を献上したら、信長は「壊れたら修理できないので返す」といった。

・背は中くらいで、細い。

・ひげはなくて、声が高い。

・武芸が大好きでプライド高く、下品で怒りっぽい

・戦になると頭がさえる

・せっかちで、部下の意見は聞かない

・この国の諸侯を見下している

・頭が良くて理解力があり、判断力は抜群

・早起きで、睡眠時間は短い

・酒は飲まず、食を節制している

秀吉は、信長よりもっと下品で粗野

 

これらは貴重なもので、イエズス会への報告である。

目の敵にしているのは仏教徒。神道は殆んど触れていない。確かに仏教の堕落から立ち上がって、日本人の精神性というか、16世紀位から芽生えてきた。それも鎌倉仏教の臨済宗あたり、浄土寺もそうだが。

日本人の霊性 鈴木大雪
それを論じたのが鈴木大雪の「日本的霊性」である。日本人の精神性が、鎌倉時代の所謂新仏教という事である。日蓮宗・浄土宗・浄土真宗・禅宗

そういう物の中に日本人の霊性という物が存在していたのである。「日本的霊性」は第二次世界大戦中に書かれた。日本は戦争に負ける、負けて日本がどうやって立ち上がるかという一つの処方箋として、日本の鎌倉仏教に目をやって、日本人が復活するには、日本人の霊性を発見して、それを自分が書き留めておく必要があるというような内容である。

霊性という言葉を使ったが、このザビエルとフロイスが日本人の中に見ているのは、魂、清らかさというもので、それ故に布教が能であるとしたのである。実際には挫折するが。鈴木大雪は1943年から1945年に書いているので、日本が負けるのは見えていて、復活を考えていたわけである。鈴木大雪が見ていた日本人の底流にある精神性を、ザビエルとフロイスは庶民の中に見ていたという事であろう。

小泉八雲

話は離れるが、何処の国も自分の文化について、記録を残すという事が中々難しい。日本は世界の中ではよくやってきた方である。日本書紀・古事記・地方豪族の歴史書・風土記・平安朝文学・・・・・

それを外国人がやってくれている。小泉八雲である。日本人であれば書き残さないような伝説

、迷信・・・・

フロイスの「日本史」日欧文化比較というのも、日本人なら書かなかっただろうことが含まれている。

安土桃山時代を知る上で、日本人のものより貴重である。映画演劇で安土桃山時代を扱う時には、日本の時代考証はとても少ないらしい。


日本文化をどうとらえていくかというテーマは、異文化理解だが、しかし我々にとって、自文化をどう理解するか。異文化理解と、自文化理解という物は、共通性がある。やっぱり異文化を正しくというと、語弊があるが、Understnding=下に立つという姿勢が、それが自文化理解にも繋がる。ザビエルとフロイスが、日本人に中に見た、鈴木大雪が日本人の魂の奥底に見ている何かは、500年ほど違うが、共通性があると思う。

 

次回は「異国情緒と非近代化への憧れ」となっている。今日の続きとして、どうしても欧米人の日本理解というものは、日本とは逆であるという立場がある。全く違った文化としてとらえる所がある。そうした異文化理解とステレオタイプが、どういう風にして日本の周囲に受け継がれているのか。

小泉八雲の日本観と、もう一人帝国大学で教えていたバシ-ル・オールチェンバレンという人。平凡社。

これらを例として話したいと思う。それから1900年~1920年、欧米では、ジャポニズムという一つの

日本趣味が流行する。小泉八雲の作品集の表紙には、日本に寄せる異国情緒をイメ-ジつまり、

ジャポニズム=海外から見た日本的な物である。それは、英、米、仏で浮世絵が評判となり、浮世絵をして日本を眺める。
それが芸術家の活動であった。ジャポニズムも文化のステレオタイプである。

 

「コメント」

 

実に面白い。日本人ほどその評判を気にする民族はいないというが、他国人も基本的には同じ。でも長く村社会で過ごてきたのでより顕著なだけであろう。1時間なので、記録はきついが次が楽しみ。