220227④「変容・多様化する現代の日本人像~カズオ・イシグロ「浮世の画家」ほか

イシグロ・カズオは2017年ノ-ベル文学賞受賞。今日はイシグロカズオを中心に話をしたい。このシリ-ズでは、異文化を理解するのはという事なのかという事なのかを話してきた。

もう一つは世界が、これ程紛争が多い時代に、その時に、自文化中心主義・ナショナリズムをどう克服して行ったらいいかというテーマ。それからずっと付きまとっているのは、文化のステレオタイプ。芸者、富士山みたいなもの、そういうものをどういう風に克服していくのか。これをベ-スにして、今日は話をする。

「イシグロカズオ取り上げた理由、異文化の真っただ中にいるノ-ベル文学章の時のスピ-チ」

今日はイギリスとイシグロカズオを、中心に話を進める。なんで一気にイギリスになるかというと、ご存じのように、イギリスはEUを脱退した。それでマスメディアでご存じのように、イギリスは日本に近付いている。これはEUを脱退した後に、経済問題それから政治、それから中国に対する脅威、そういう物を含めて日本に接近してきている。かって百年前には、日英同盟というのがあったが、今、日本とイギリスの関係は新日英同盟いわれる程に親しい関係になっている。

第二次世界大戦当時を除くと、日本の開国以後かなり親しい関係を続けてきた。そういう墨で、イギリスから見た日本像というテーマで話す。

何故イシグロカズオを取り上げるかというと、ノーベル文学賞のスピ-チというのは、とても今の世界情勢を考える上で、重要な問題を提起している。もう一つは、異文化理解、或いは自文化中心主義を考える上で、どうしてもイシグロカズオに触れて見たいと思ったからである。

私は1980年から2年ほどイギリスにいた。その時ロンドン大学に席を置きながら、イギリス人の日本観というテ-マで、研究をしていた。

「イシグロカズオとの接点」 小泉八雲との共通性

実はその前は、小泉八雲の翻訳をしたり、研究をしたりしていたが、1985年に渡英。その時に日本研究者に大勢あった。その中の一人に英国人の日本観を調べたいと言ったら、是非イシグロカズオに会いなさいと言ってくれた。この事は次の事を示していると思った。

つまり小泉八雲は1890年代に来日して、日本に関する本を書くが、イシグロカズオは5歳で、一家で

渡英する。

それ以後英国在住。そして最初に書いたのが、英語で日本の事を書いた。これはどういうことか。

イシグロカズオは元々日本人であるが、英国人と結婚し英国籍を取って英国人となる。一方小泉八雲は日本女性と結婚して、日本に帰化する。しかも作品は英語で書いている。二人には共通性がある。

 

在英中に会いたいと手紙を書いたら、断り状が来た。所が他日、日英交流の会で出会う、そして会う事を再度お願いしたらOK

彼の作品 「遠い山なみの光」 「浮世の画家」

今日は文学者イシグロカズオというよりは、彼が目指している世界観という物の話をしようと思う。

初期の作品で長崎をテーマにした「遠い山脈の光」という本、これは5歳の時渡英したので、殆ど記憶にない日本の事を、日本の本を読んで、想像力で作った日本のイメージを書いている。そしてその次に「浮世の画家」
これは日本の絵描きの戦争責任論が中心となっている。戦時中には文学者も画家も戦争を応援する作品を作った。

これが戦後、戦争責任論の対象となった。そういう人達は、戦争責任を糾弾され、又忘れられていく。
そういう人生を描いている。

因みにイシグロカズオ自身は、被爆体験は無いが、母が長崎で被爆者。何故「遠い山なみの光」のような作品を書いたのか。自分のアイデンティティ、根っこのところを書かないと自分自身が何者かが分からない意識があったのであろう。

記憶にと止めておきたい。記憶というのは大きなテ-マである。忘却というテーマでもあるが。

記憶と忘却

大きな事件が起きると、すぐにこの事を風化させないというキャンへ-ンが始まる。しかし忘却というのも大事なことで、忘却することで新しい何かを再生させていくこと、復活させていくのではないか。記憶し忘却は難しいが、記憶というのは、はっきり風化しないという事で、忘却というのは人間が生きていくうえで、大事な要素である。

日本は自分が所属していて何か心休まる所ではあるが、段々と遠退いていく。日本についてかすかな記憶はあるが、それは忘却に繋がっていく。しかし自分が今書かなければ、日本は遠い存在になってしまう。そういう意味でのIDENTITY CIASISというか、自分を見失ってしまうのではないかという気持ちで作品を書いたのであろう。

 

 

私が何故イシグロカズオに会う事を断られたか

彼は既に「遠い山なみの光」「浮世の画家」で大きな賞を取っていた。次の「日の名残り」がとどめであった。

これで彼は大きく飛躍する。生きがいというが、どうやって人間は生きていくのか、その時代の編成の中で、価値観が変わった時に。そういう大テーマを書いていた時であったろう。そしてその作品は、

イシグロカズオの日本人性、日本人が書いた独特の英語で、そして独特の美意識で書いたので、

イギリスの文壇ではとても新しいであった。

又日本人という事が強調されるので、彼はそれを嫌っていた。だから関係の人に会う事に躊躇して

いたのである。

日本人というレッテルをはがす作品が「日の名残」であった。1989年。映画化されている。

ノ-ベル文学賞受賞のスピ-チ

彼に最初にあったのは33年ほど前。当時から注目されていた。英語がとても綺麗。作品の色調は

トワイライトというが薄明りでこれは日本人のメンタリティ。小泉八雲も矢張りトワイライト。これが英国人に新鮮に映ったのかもしれない。

更に確信したのは、受賞の講演である。これを聞いて彼はノ-ベル文学賞を取るべくして取ったと

思った。

「イギリス人の日本観」成文堂という本を書いたが、これにはイシグロカズオへのロングインタビュ-が入っている。その中にイシグロカズオの感想として、イギリスのマスコミもまだステレオタイプの日本観を持っていて、芸者・富士山のレベル。三島由紀夫の事なども、BBCは聞きたがったが全部断っている。

受賞の2017年には幾つかの事件があった。カナダ在住の被爆者でノ-ベル平和賞のサ-ロ節子がスピ-チをした。

「広島長崎の非業の死を無駄にしてはいけない」と核廃絶を世界に訴えた。核開発というのは国家の偉大さを讃えるのではなく、世界を深い闇に陥れる。永遠に廃絶して欲しいと訴えて満場の拍手を受けた。林京子という作家がいる。「曇り日の行進」という短編がある。被爆者体験を書いている。

 

5歳というのは言語形成期である。イシグロカズオは英語が主流となり、日本語は消えていく父母と

同居していても。

「文学の力を信じて世界の平和を訴えていきたい。自分は記憶と忘却という二つのテ-マで小説を書いてきた。つまりこの二つは裏表である。5歳での長崎の体験というのは、記憶に留めているが忘却した部分も多い。」

2016
ノ-ベル文学賞受賞の前の年、驚きの年であった。テロ続き。進歩して人間性はよくなると信じていたが、それが幻想であることが分かった。そういう楽観的考え方の発端は、ベルリンの壁崩壊、米ソの冷戦構造の終結、1991年のソ連の
崩壊、今後良くなっていくと思っていたが、そうではなかった。幻滅の時代。不平等の拡大、格差社会に向かって行っている。

相対的貧困が生れるので、普通の勝者として享受できる世界は無くなってしまった。新たな貧困の発生。昔のように衣食に困るというのではなく、市民生活の中で、享受できる権利を失っていく時代と

なった。それは国家間でも国内でも世界中でそうなっている。

人種差別主義というものもある。民族主義国家間の争い、米中、日本、北朝鮮等の対立軸はあるが、同じ民主主義国家間で、不協和音が発生している。私は66歳になったが、曇った目をこすって世界の動向を見極めたいと思う。そこで最善を尽くしたい。文学の力信じて、誠実に著作活動を行う。」

 

言っていることは単純かも知れないが、決意表明になっている。よい作品が正しく読まれることによって、分断を繋ぎ止めていく一助になると思う。

現代は反目と分断の時代だと言っている。

イシグロカズオは若い頃、ボブ・ディランに憧れていた。彼の文学には音楽が聞こえるといわれる。文章というのはリズム感がなくてはならない。それと底辺にいる人たちへの、共感のまなざしを感じられる。

反目と分断の世界に於いて、自分が貰ったノ-ベル文学賞は、世界の人々を隔てる壁を越えて、

それぞれが考える手助けになる。

新聞報道によると、「スピ-チが終わってまず何をしましたか」との質問に「母親に電話した」と答えた。

 

日本人のノ-ベル文学賞受賞は、1968年に川端康成、これは完全に日本的な物が授賞理由。

情緒、陰影・・・。極めて日本的な物であった。さして1994年に大江健三郎。2017年のイシグロカズオは英語で書いている。

 

小説で彼が大事にしているのは、意味(筋、背景の説明)、感情(そこに流れる感情、声)

 

彼の作品は落ち着いて心穏やかでないとなかなか読めない。学生時代に「遠い山なみの光」を読んだ。その時に著名な作家の書評が出た。ケチョンケチョンの批評であった。これは英国流の語りの

リズムが、なかなか理解できないうえに、小説はドラマチックでなければならないとする人々には、

イシグロカズオの語り口は静かでドラマチックではないのである。

イシグロカズオが尊敬しているのはカフカ。

若い頃は皆、フランス文学かロシア文学に夢中になるものである。それは英国流の淡々とした語り口、生活の機微を

語っていく静かさには、若い人はピンと来ないのではないか。

イシグロカズオと小泉八雲

彼は帰化したのでイギリス人である。英国人か日本人か。大きな問題はこのidentitywで、私は小泉八雲と似ていると

思う。二人ともMUITI identitywだと思う。多層的identitywとも言う。イシグロカズオは、根っこには日本の感性、意識があって、作品を書くと出てくる。日本人であって異分子である。逆に言うと、イギリスと日本のMIXTUREであるが、その英国的な物に日本的な物が加わることによって、何かそれを越えていってしまうのである。いわば普遍的identitywを持っている、曖昧になるのではなくて、MIXTURE故に一つの個性となっている。

小泉八雲と共通性があると言ったのも、小泉八雲も日本の事を英語で書いた。そして日本人になった。感性的には日本人になっているが、根っこは母がギリシァ人、父がアイルランド的な物である。小泉八雲もイシグロカズオも共通性があると思う。

イシグロカズオの作品で大事なのは感情と言ったが、もう一つは共感。両者ともまさしく読者の共感を大事にしている。

イシグロカズオ ノ-ベル賞受賞スピ-チが早川書房で一冊の本になっている。

「特急20世紀の夜といくつかのブレ-クスル-」

my twenty centuly evening and othersmall breakthroughs

ここで大事なのは、ブレ-クスル-である。この困難な時代をどう乗り越えていくのか、そして、作家として自分は何が出來るのか。

小泉八雲は100年も前の人間であるが、物の考え方として、イシグロカズオと共通性があるとすれば、イシグロカズオとの今の時代の進歩主義、それからヒューマニズム、そういう価値観ではなかったか。

民主主義とか人道主義、ヒューマニズムというものが、それに代わるものが出てきていない。そういう価値観は幻想ではなかったのか。彼自身感じている所がある。そして文学を通じて共感、共有する

ことだと言っている。

 

今日のテ-マ「変容・多様化する現代の日本人像」に関して

私は二つのキ-ワ-ド考えている。一つはmuti-identity。我々日本人は日本人というidentity持っているかもしれないが、他のidentity人を理解することだと思う。

幾つか日本人であるidentityを確認したうえで、いくつかのidentityを持つ人達を理解するべきである。そういう問題を小泉八雲もイシグロカズオも提起しているのではないか。

それからもう一つは、小泉八雲の場合もそうであるが、muti-identityopen identityである。

それは最初、小泉凡(ばん)→小泉八雲の孫 が使いだした言葉。小泉八雲の精神・世界観は何なのかと言う時に、open identityつまり彼自身はminoiytyの世界に住んでいた。

 

 

参考「浮世の画家」イシグロカズオ

第二次大戦後の日本を舞台に、戦中に時局に乗じて日本精神を鼓舞する画題を描き名声を博した画家が、戦後の急激な価値観の転換の中で、自身の信念と新たな価値観との間で苦悩する姿を描いている。   モデル 藤田嗣治  同じような状態は高村幸太郎

参考「遠い山なみの光」イシグロカズオ

長崎出身で現在はイギリスの田舎に住む悦子の元に、娘のニキが訪ねてくる。子持ちの悦子は日本でイギリス人に恋して、娘を連れてイギリスにわたる。そこで今の夫との間に娘が出来る。ニキである。悦子の友人は米国人と結婚し渡米。このように異文化とのふれあいのストーリ-が続く。

参考「日の名残り」イシグロカズオ

イギリスの貴族に一生を捧げた老執事が、自分の一生を回想するベストセラ-。その貴族社会、その貴族の主人の為に、一生を滅私奉公して一生を捧げ、老年になって自分の人生はこれで良かったのかと、回顧している話で、「浮世の画家」と似ている。何かの為に自分の良しとする価値観の為に一生を送る。自分の喜びも恋も捨て、禁欲的な生活を送る。

参考「曇り日の行進」 林京子

被爆の被害が地獄絵であったが、生き残った者のその後も厳しい苦しみであった。主人公は
この事で夫と色々と問題をしていくことを書いている。

 

「コメント」

とても今日的で、また難しいテ-マ。下手をすると、出来の悪い坊主の説教のようになるが、ザビエル、ル-ス・ベネディクト、小泉八雲、イシグロカズオと引っ張り出した人物を絡めての話

なので分かり易い。 特にイシグロカズオは説得力がある。ノ-ベル文学賞受賞のスピ-チを読んでみよう。1時間番組なので聞いて書いて、ワープロ、HP UPは大変。