230730⑤「第三の道という選択肢」

アメリカ国民の現状認識

今日はアメリカの過去がどんな形で変わってきたのか、アメリカを変えてきた色々な政策を生み出してきたのは共和党でも民主党でもなく第三政党であったり、或いは無党派の候補であったりした。よって第三政党、無党派を中心に、今後の打開策はないだろうかということで第三の道として話す。20世紀の中頃からずっと共和党民主党であり、1860年の大統領選挙で共和党のリンカ-ンが大統領となったがその前の1856年から共和党対民主党という構図が続いている。

新しい形が見えてこない。1856年では共和党というのは弱小第三政党であって、それがホイッグ党を食い潰すというか乗り越えることで巨大政党になった。日本の江戸時代の古い話なので、現在では第三の道は難しいとも思われている。この二大政党体制を制度的に変えることは中々難しい。簡単に言うと二大政党のどちらかが勝つという仕組みになっている。しかしそれでも今は第三政党への道が注目されているし、第三政党が必要だと答えた人が昨年56%であった。

今の二大政党間の対立の溝が広がっているのは、とんでもないというのがアメリカの人々の感覚なのである。

第三政党と無党派とは

早速第三政党と無党派の話をする。第三政党とは共和でも民主でもないその他の諸々の弱い政党の事を言う。

今はリバタリアン党、緑の党がある。第三政党というのは大統領候補を立てて選挙運動をやって、共和党や民主党と政策によっては協力するようなこともあった。政党として選挙協力をすることがある。無党派というのは政党組織ではなくて選挙に出て、自分の政策を主張する人である。この人たちはInterest Representation 利益の表出 を明らかにして、・・・例えば減税・格差の是正・気候変動が重要なのだという話をするのである。これに関する人々の声を吸い上げて纏めて行く 利益集約。やることは第三政党と同じである。何が人々にとって重要なのだと、その声を纏めて代弁して公約として戦うのである。このことを第三の道として今日は話していく。

第三政党の重要さ

これがアメリカの歴史の中で重要であったのか。19世紀の末から20世紀の半ばまでは第三政党の黄金時代と言われるが、未だに第三政党が新しい政策を繰り返し生み出して、人々の利益を表出させてそれを纏めていく機能がある。ここが重要なのであるが、自分が当選しなくても共和党や民主党の候補を割ることがあって、それが選挙結果を大きく変えていくことがある。何がアメリカの政治で行われているかというと、共和党支持者と民主党支持者がはっきりと分かれて、又拮抗している状態で、その拮抗点を変えてしまうことがある。政治そのものの流れが変わることがある。二大政党が拮抗する分裂の時代を破っていく起爆剤となっていく可能性がある。

よって第三の道が重要なのである。

第三政党の歴史 

人民党

19世紀末~20世紀初めにかけて様々な政党が生まれて、第三政党の黄金時代があった。色々な政党が生まれて離合集散しダイナミックに動いていた。更にマイナ-な政党が大きな政党にくっつくとかいう現象がよくあった。代表的な例が1891年に設立されて20年続いた Peaples Party 人民党があった。アメリカの南部中西部の農民運動から生まれてきた政党である。1860年代に南北戦争があってインフレになってぃた。戦時インフレである。しかし戦後は緊縮財政でデフレになって、生産農家は困窮し不満は高まっていく。同じ様に労働党・後はもっと貨幣を発行しろというグリ-ンバック党・・・いろいろな第三政党的なものが存在した。

二大政党である共和党と民主党、いまで比べるとだいぶ中身が違うが、当時の民主党というのは南部に基盤があってむしろ戦争の負け組で、どちらかというと人種隔離政策に賛成していた。共和党は奴隷解放で北部を地盤とした。今のイメージの逆である 筆者 注。しかしこの二大政党は貧しい農民のニーズに対応していなかった。そして南北戦争の直後の時代は、金メッキ 金ぴか の時代でアメリカの経済成長の時代であった。そして戦争が終わって移民が大量に入って、西部開拓の拡大の時代でアメリカがドンドン大きくなっていく時代である。

金メッキという所がポイントで、金ぴかの様でよく見るとあちこちでメッキが剥げている。そこには大豪邸などがドンドン出来て、そして19世紀の末になるとNYには大摩天楼がドンドン建って行く時代で大金持ちが出現する。一方では貧富の差も拡大していく。特に農民がこの人民党を支えてきた。人民党がピークになったのは、

1892年の大統領選挙、ここではウィバ-という候補を立てて一般投票では8、5%、選挙人では22を獲得した。ウィーバ-がこれだけ躍進したので、現職の共和党大統領のハリソンが対抗馬の民主党のクリーブランドに敗れた。余談だがクリーブランドは返り咲きを果たした唯一の大統領である。要するにこの人民党は二大政党が競っている中で、二党のバランスを変えるのである。人民党の公約は何であったか。最近は余り注目されなくなったが、政党の綱領がまさに選挙の為の公約であった。それは累進課税であり、過剰労働になっている都市労働者の為の8時間労働、この時代富裕層が増加するので政府の規制、上院議員の直接選挙、独占禁止、女性の投票権獲得 などこの辺りを党の綱領とした。

今は、下院議員は435いて上院は100。上院議員は州で二人選出。下院議員は50州ある州で、最低限一人、あとは人口比である。いずれにせよ直接選挙であるが、当時は上院議員を州議会で選んでいた。これを直接選挙にしようと訴えた、これは現在は実施されている。人民党の綱領は後にいずれも実現されていくので、人民党は優秀な政党であったと言われる。いずれにしても人々が生活の中で感じている所が争点になったのが、人々の人気を高めていった。二大政党もこれを大いに参考にした。

当時の南部に基盤を置いていた民主党は、この人民党の政策を大いに盗んだ。しかしこの結果人民党は段々と党勢を失っていく。第三政党が新しい政策アィディアを生んで、それを既成政党が盗んでいく構図の始まりである。

人民党は1892年の大統領選挙がピークと言ったが、その次の1896年の大統領選挙は分かり易い。人民党は候補を立てずに、民主党の候補がまさにポピュリスト的な人として有名なウィリアム・ジェニングス・ブライアンが民主党と人民党の共同候補となった。民主党の候補を人民党が応援した形である。ブライアンが特に言ったことは何かというと、金本位制の中でやれば緊縮財政になる ならば銀貨をドンドン無制限に発行してインフレにしよう。農産物価格を上げようという事であった。フィルシルバ-運動という。しかし結局は共和党に負けて、4年後の選挙で再度負けた。一方民主党と選挙協力をした人民党は壊滅状態になって消えて行った。

 社会党

当時アメリカにも社会党という政党があって、1912年の大統領選挙で社会党の候補者としてユーシン・デブス6%の一般投票をとった。なかなかの得票である。当時は共和党タフト、民主党ウィルソンが候補である。

共和党が割れて第三政党としてブルムス党として現職大統領ルーズベルトが出てきた。三つ巴の選挙戦となった。

更に四つ目が社会党であった。最終的には南北戦争以来共和党が強い時代であったが、それでも民主党のウィルソンが勝利した。以上のように第三政党が二大政党の状況を変えたのである。

アメリカ社会党は1901年に結党され、学生運動などもあったが、第二次大戦以降反共の動きもあって、政党として機能しなくなったが1970年代まで存続した。最初のメンバ-はなかなかのメンバ-であった。

ユ-ジン・ゲップス、ヘレンケラー、ジャ-ナリストのジョン・イートン、ジャック・ロンドン、あとはアメリカの不正を追及したジャ-ナリスト作家 アプトン・シンクレア・・・。

訴えたのは児童労働の規制、労働時間の短縮、社会保障、累進課税・・・。1912年には女性参政権を唱えた。1910年代後半に実現された。同党が第一次世界大戦に反対したので非国民扱いをされて党勢は衰えた。

 進歩党

進歩党は1924年の大統領選挙でラフォレット上院議員を大統領候補として、共和党の人々で設立された。これは農民、労働者とか二大政党に対する不満層などを取り込んだ。進歩主義を提唱し鉄道独占、政党のボス支配、第一次大戦、国際連盟に反対した。現在の最もアメリカで偉大な上院議員投票の第一位である。人民党があり、社会党があり、進歩党があり、似たような形で改革を訴えていた政党であった。この人たちは何を言ったかというと環境保護を言っている。天然資源の公的管理、政府支出の再検討、鉄道の国有化、減税・・・。これらを訴えて二大政党のバランスを崩しながら、そしてこの政策を二大政党が奪っていくパタ-ンである。

 

第三政党の黄金時代は今と似ている

19世紀末から20世紀初頭の第三政党の黄金期というのは色々に意味で今に似ているように思う。

黄金期の19世紀末~20世紀初頭がどんな時代かというと、南北戦争以降の急激な発展期であって、金メッキの時代で大豪邸、摩天楼が林立し、その一方で社会の格差が広がっていく。19001910年というのは移民が一気に入った10年間である。最大に入ったのは20002010年であるがそれに次ぐ数であった。この移民の大量流入を原因としてアメリカが大変革していった時期である。新しい人がドンドン入ってきて、産業を支えて行く。

そこには児童労働も、長時間労働もありで社会党とかが摘発していったのである。農民や弱者の不満が高まった時期でもあった。この様な時代に対して二大政党が機能不全であった。南北戦争の勝利者であった北部共和党は、奴隷解放はいいのだが、その後段々と企業資本と結託し資本家側の政党となっていく。一方南部を基盤とした負け組の民主党の方も、人種融合に反発しながら既存の勢力や大農家と結託していた既存の二大政党は新しい時代に対応できていなかったのである。よって社会改革の機運が市民運動として国民の側から出てきた。先程の人民党であり、いずれにしても市民運動なのである。現状はどうであるか。

 インタ-ネットの出現 大学教育の高額化 格差のさらなる拡大

1990年代のアメリカはインタ-ネットという新しいツールが出てきた。更に金融工学 これを駆使していかにして金を儲けるか という風に社会構造が変わっていく。製造業のアメリカではなくて、アメリカの最大の産業は金融であって物作りではなくなった。

一方では不動産バブルである。アメリカの不動産は1990年代から大幅に上昇して、今まさにものすごい形になり家賃の高さは異常である。当然格差は拡大している。2008年のリーマンショック(Great ressesion)で格差は狭まったが、ジニ係数は右肩上がりである。そこで1980年代からアメリカの政策は、基本的には規制緩和と減税をすることで景気を上げて行くということになっている。

そして貧しい人たちに対しては特別な政策を採用している。自由経済でそれで豊かになっていく部分もあるが、格差は広がっている。仕事が奪われたとしてラストベルト(錆びた地帯 衰えた金属製造業の地域)の人達は不満を持っている。

1950年以降のアメリカでは格差があれば、教育で何とかして行く、特に大学教育で格差を無くしていくのだとする政策であったが、現在の大学授業料はとても高くなったので普通の人ではとても払えない。学費が6万5千ドル=800万円/年である。子弟のアメリカ留学をプランしているならば注意すべきてある。アメリカでも普通の人はとても行けないのである。何が起きているかというと、優秀な学生 は奨学金で囲って、その他の普通の人の負担が大きくなっているのである。奨学金が豊かになればなるほど、その他全体の学生の負担は増大していくのである。格差是正の機会である大学教育は、少数の奨学金を貰える学生だけの大学となっている。

既存の政党に対する機能不全、分極化の中で中々膠着状況が動かない時代である。分極化で共和党と民主党が拮抗しているので物事が進まない。

 社会改革を訴える人々 サンダ-ス上院議員 トランプ

社会改革を訴える候補が何人か生まれている。例えばリベラル派ではサンダ-ス上院議員は教育の無償化を主張する。又アメリカの場合は医療コストが高くて生活を圧迫し、破産する場合もある。日本の様に医療保険を政府が提供すべきだと主張する。サンダ-スは無党派であるが民主党との統一会派なので、2016年の大統領選挙で躍進して民主党の大統領候補として本命のヒラリ-クリントンと競ったこともあった。

もう一人 ドナルドトランプも、かつては夢を見たけれど今は夢が見られなくなった、そんな人たちに対してMake America Great Again   MAGA もう一度アメリカを偉大に というメッセ-ジに対しては誰も抗えないのである。社会の既存の勢力を追い出すのだ、彼らがこの社会を政治を握っている Deep State 裏の政府 なのだ、これ追い出すのだ、そして無駄は徹底的に省く Drain the swamp どぶ掃除 作戦というイメ-ジは人民党、社会党、進歩党と一部重なるが、ただ何となくやっている所は反移民の所もあるが、いずれにしてもかなり粗削りなPopulist ポピュリストであるが人々が乗る所があった。サンダ-スは民主党の中の大統領候補選では善戦した。トランプは共和党の大統領候補になって2016年大統領選でも当選してしまった。そして2020年の大統領選でも民主党バイデンと接戦であった。

そう考えるとこの時代、第三政党とは言わないが無党派的なサンダ-スとトランプの躍進というのは、やはりこの第三政党というか、第三の道という今日の話とかなり重なってくると思う。

 トランプ、ストロ-ム・サ-モンド、ジョ-ジ・ウェーレス、ロス・ペロ-の話

トランプの話をもう少し掘り下げる。20世紀の中頃以降は、トランプ的な主張をする候補はかなりアメリカの第三政党あるいは無党派として出て来ていることを話す。
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世紀末~20世紀初頭の第三政党の人々は、どちらかというと改革派 リベラル派の政策を訴えていた。20世紀半ばころからは、むしろ右派 Populist ポピュリスト的な動きがあって、その上にトランプがいると考えると分かり易い。

20世紀半ばから第三の道を考えて行くと、例えば1948年の大統領選挙というのは、当時サウスカロライナ州の知事になった民主党ストロ-ム・サーモンドが大統領候補になって、人種隔離政策を継続すべきだと主張した。

例えば選挙に読み書きのテストをする、税金を払ってないと選挙権がない、これは黒人に選挙に行かせないようにする南部の諸政策の一つである。ジムクロ-法という。これを行うことを主張してストロ-ム・サーモンドは南部中西部数州で勝利し、大統領選挙では2.4%を獲得した。その時は民主党トルーマンが大統領になったが、ストロ-ム・サーモンドは上院議員になって共和党に鞍替えし100歳まで人種隔離政策を主張し続けた。

もう一人南部白人の不満を代弁したのが、アメリカ独立党という第三政党のジョ-ジ・ウオ-レスである。公民権運動に不快感を持つ南部中西部の白人層の代表として、人種隔離政策の継続とそれに介入する連邦政府の動きを排除すべきと主張した。アラバマ州の知事の時にこんなことを言っていた。「人種隔離を永遠に」 segregation forever これが彼を象徴している。ブルカラ-労働者や新移民たちには人気があった。1968年南部中西部で勝って一般投票では13.5%を獲得した。1968年の大統領選挙はというと、民主党が党大会で割れてしまい、共和党のニクソンと民主党の二人との三つ巴となった。ニクソンの勝利であった。ハンフリ-とウォーレスの票を足すとニクソンよりも多かったが。

ここで考えるとストロ-ム・サーモンドやジョ-ジ・ウオ-レスはトランプにかなりよく似た部分がある。

あの頃の話が南部中西部の共和党側に残っている部分があって、残ったエネルギ-にトランプが再点火したのがトランプなのである。更にトランプの話をすると、1990年代のロス・ペロ-である。2019年に亡くなったが1992年の大統領選挙では6月の段階までは民主党のクリントン、共和党のブッシュ以上に支持は多かった。しかし一時的に選挙戦を撤退し急失速してしまう。それでも復帰して一般投票では高い18.9%を得た。ペロ-は何を主張したかというと、徹底した規制緩和、無駄遣いの排除、連邦政府は悪いことばかりやっている、大統領になったらアメリカをもっと効率化すると主張した。トランプで言うと Drain the swamp どぶ掃除 である。

ペロ-は1992年の大統領選挙では負けたが、保守党を二つに割ったので共和党GW Bush も負けた。いずれにせよ第三政党が勝つことは難しいが、政策を変えていくことは出来るし、大統領選挙を大きく変えることもある。

 第三政党、無党派の現状 リバタリアン党 緑の党 Occupy運動

第三政党の現状とそれがうまくいってないことを話す。第三政党は19世紀~20世紀初頭は活発であったが、それに比べるとペロ-とかウォーレスとかサーモンドとか過去60年を見ると、何人か出ているがそれほど強くない。簡単に言うときわめて弱小であるが様々に活動をしている。

現在連邦議会無党派は三人いる。サンダ-ス、キング、シネマ。シネマはアリゾナ州選出で民主党であったが、2022年に無党派に変わった。しかし民主党との統一会派である。要するに無党派になった方がキャスティングボードを握れると考えたのである。サンダ-スの場合は、民主党の中の左派と共に何らかの形で共同してアメリカの政治を変えて行こうとしている。いずれにしてもこの無党派の三人は民主党と統一会派である。今の上院は

民主党48、共和党49であるが、この無党派の三人で民主党が辛うじて多数派である。51:49。下院ではたまに出るが現在はいない。第三政党として活動しているのは州、郡、市レベルであり、リバタリアン党は自称300程度の公的に選ばれた人々がいるとする。アメリカの場合は消防署長辺りも選挙で選ばれるのでどこまでが公職かというかは見え難い。同じ様に緑の党が150程度。アメリカで州、郡、市レベルで公職は50万あると言われるので第三政党はごく少数なのである。講師自身緑の党とかリバタリアン党の全国委員会に行ったことがあるが、

小さなオフィスで活動していた。近年見られるのは二大政党の中で第三の道を探していることである。

先程のサンダ-スがまさにそうであるがその前には2011年から大きくなった Occupy運動というのがある。

Occupy運動というのはウォールストリ-ト占拠運動とか、座り込んでその場を占拠してしまうのである。色々な都市で人々はテントを張って、格差の是正とか色々なことを訴えるのである。自分達は世の中の99%であるが、残りの1%が世の中を牛耳っている 99%の声を挙げていこうとか。 講師自身も見てプラカ-ドに面白いものを見つけた。Kennedyの言葉で「国が貴方に何をしてくれるかを求めるのではなくて、あなたが国に何をするかを考えなさい」 これはアメリカでは格言みたいになっているものである。それを逆にして「あなたが国に何かをするのではなくて、国が貴方に出来ることを求めなければならないのだ」 これを作った人と話したが面白かった。要するに格差是正は政府がリーダ-シップを取らなければならないということである。このOccupy運動はサンダ-スを応援して、サンダ-スは民主党の中で戦った。
もう一方それより一寸前 2011年がOccupy運動であったとすると、2010年頃からスタ-トしたのがTea Party

運動というのがあって、そもそもTea Partyとは tax enough already 反納税運動 なのである。当時のオバマ政権に対する反発で大きな政府に反対するという運動であった。当時この運動には色々なプラカ-ドを持っていたが、そのいう事には「政府は失敗者を助けてはいけない。失敗者はそのまま放置すべきである」というものもあり、レーガンの有名な言葉「政府が世の中の不正とか国民の格差とかの問題を解決するのではなくて、政府こそが問題なのだ、政府こそがガンなのだ」がある。その言葉があったりする。

当時の大統領のオバマを茶化して、joker みたいに描いたりして、反オバマ運動であった。この人たちがなんとなくトランプ支持者と同じなのである。Tea Party運動の人達を後で2016年に訪ねて行ったら、多くがトランプ支持者というかトランプ運動をしていた。第三政党とか無党派ではなくて、要はTea Party運動というのは共和党の中での戦いなのである。第三政党とか無党派の運動ではなくて、二大政党の中で第三の道を探しているのが現状なのである。

要するに有力な第三政党の候補者はいないのである。

 第三政党の大統領選挙の候補者がいない 立候補の壁が高い 小選挙区制 TV討論に参加できない

第三政党は2020年の大統領選挙ではパロットという候補者リストにまでも至らない。選挙の対象にすらなっていないのである。これは何故かというと、第三政党が抱える制度的な問題があって、それによって19世紀末~20世紀当初のような運動になっていかないのである。二大政党が第三政党を入れないようにしているのである。

例えば立候補の為には様々な署名を早期に大量に集めなければならない。第三政党の人は現状をMono Polyではなくて Duo Poly であると言っていた。独占ではなくて、共和党と民主党の複合独占。制度設計の所で二大政党が自分たちに都合の良い様に作ったのであろう。そのほかにアメリカの場合小選挙区制もある。小選挙区制とは何かというと、日本の場合は1990年代に制度を導入したが、一般的には二大政党になっていくと言われ、マイナ-な政党には投票しないと言われる。今の日本を見ると必ずしも二大政党になっていないという所があるが、小選挙区は候補者が収束していくという デュヴェルジェの法則 という有名な政治学の法則がある。小選挙区は二大政党を作っていくし、マイナ-な政党には投票が行かないというのである。何故かというと自分の票が死んでしまうからである。少しでも勝たせるために強い所とその対抗馬に投票するのである。比例代表制はアメリカには無い。

最後の問題はこの時代なのでTVInternetである。今の時代なので候補者は討論会を中心にTVに出演しなければならない。2020年大統領選挙ではバイデン対トランプとか。ここには第三政党は入れない。近年第三政党が討論会に参加したのは、1992年のペロ-だけである。何故こういう事になるかというと、討論会を決めているDebate Commission 委員会が一定のル-ルを作っていて、あるレベルの支持率を必要とするのである。こうして討論会からも排除されてしまう。

もう一つ二大政党の特性を考えると、アメリカの政治文化は第三政党の政治を阻むシステムなのである。

それは既存政党が緩やかに第三政党の政策を盗む為でもある。又無党派と言っていても本音は共和党、民主党支持の人も多い。ただこれだけの分極化の時代なので、何らかの声を挙げて行かなければならないという動きもある。そしてInternetSocial Mediaをどう使うかによって第三政党もそれなりにやっていけるのではないかとの見方もある。ただ弱小共和党がホイッグ党を食い潰して、二大政党になった様な時代は考えられないが、格差が更に拡大して白人がマイノリティになっていく2045年位には人々の不満が高まっていく。政治学の中で合理的選択論というのがある。不満があると人々は合理的に動くのである。これだけ不満があったら、この選択肢を考えて行くであろうという研究分野がある。合理的選択から考えても今の状況に動きが出るには、なかなか難しいという見方がある。こういう中で無党派を名乗る人たちが、本当に第三政党を生んでいくか、新しい政策を生んでいくか今後注視しなければならない。最終回はテーマの 分断の向こう側 を過去の例から色々と考えたが、今後のアメリカがどうなっていくのかその見取り図になっていれば幸いである。

 

「コメント」

 

合計5時間の講座。自分の知見の無い分野で纏めるのに苦労したが、少しは見識が深まったかな。南北政争の勝者・北が今は保守派共和党で、負け組の南が今はリベラル民主党とのこと。今は南部が地盤は共和党、北部都市部地盤が民主党と理解していたのが全く逆に見えて驚いた。どこでこうなっていったのか。これは少し勉強しなければ。