190706「方丈の庵」其四

「朗読1

おほかた、この所に住みはじめし時は、あからさまと思ひしかども、今すでに五年を経たり。仮の庵もややふるさととなりて、軒に朽ち葉深く、土居に苔むせり。おのづから、ことの便りに、都を聞けば、この山にこもり居てのち、やむごとなき人のかくれ給へるもあまた聞こゆ。まして、その数ならぬたぐひ、尽くしてこれを知るべからず。

この場所に住み始めた時は、ほんの暫らくのことと思っていたが、今はもう五年も経っていた。

仮の庵も段々と住み慣れたふるさととなり、軒には朽ちた落ち葉が深く積もり、土台には苔が生えている。

ついでに、都の様子を聞くと、この山に籠って以来、高貴な方がお亡くなりになった話も沢山聞こえてきた。ましてものの数ではない人々の類は、全く知り尽くすことは出来ない。

「朗読2

たびたびの炎上にほろびたる家、またいくそばくぞ。ただ仮の庵のみ、のどけくして恐れなし。程せましといへども、夜臥す床あり、昼居る座あり。一身を宿すに不足なし。かむなは、小さき貝を好む。これ身知れるによりてなり。みさごは、荒磯に居る。すなはち、人を恐るるが故なり。われまたかくのごとし。身を知り、世を知れれば、願わず、わしらず。

ただ静かなるを望みとし、憂へなきを楽しみとす。 

たびたびの火災で滅んだ家は、また、どれほどであろうか。ただ、仮の庵だけは、長閑で何の恐れもない。狭いといっても、夜寝る床があり、昼に座る場所もある。我が身だけを宿らせるのに不足はない。やどかりは、小さい貝殻を好む。これは身の程を知っているからである。みさごは、荒磯に棲む。つまり、人を恐れているからである。私もこのようである。

身の程を知り、世間を知っているので、野心を持たず、あくせくしない。ただただ、静かなことを望み、不安がないことを楽しみにしている。

 

・かむな やどかりの古語

・みさご  タカ科の鳥 海浜に住み、魚類を餌とする。

・徒然草123段  「人に大事なことは三つしかない。「食う」「着るもの」「住まい」→衣食住+病気に

            対する薬これを得られないのを貧しいと言い、この四つ以上を求めるのを贅沢と

            いう。」

・松花堂昭乗    江戸初期の学僧。石清水八幡宮の社僧。書・絵画・和歌・茶道に堪能。

            石清水の男山に茶室「松花堂』を作り、その時の懐石料理が後の松花堂弁当と

            なる。

            長明に共感し、茶室は方丈の庵とした。

・茶室        後世の茶室の原型は、長明の庵である。 

・日本文化の根幹はここより発している。

            「静かさ」「暗さ」「貧しさ」  

「朗読3 

すべて、世の人のすみかを作るならひ、必ずしも身のためにせず。或は、妻子、眷属のために作り、或は親昵、朋友のために作る。或は、主君、師匠及び財宝牛馬のためにさへこれを作る。われ今、身のためにむすべり。人のために作らず。ゆえいかんとなれば、今の世のならひ、この身のありさま、ともなふべき人もなく、たのむべき奴もなし。たとひ、広く作れりとも、誰を宿し、誰をか据えん。

だいたい、世の中の人が家を作るのは、必ずしも自分自身の為にするものではない。ある人は、妻子や一族の為に作り、ある人は親しい人や、友達の為に作る。ある人は、主君や師匠、および財宝や牛馬の為にまで、家を作る。 

私は、自分自身の為に庵を結んだ。人の為には作っていない。理由は何かというと、今の世の中の習慣、わが身の有様、連れ添う人もなく、頼りになる召使もいない。例え、広く作っても、誰を泊めて、誰を住まわせようか。

 

「コメント」

確かに、誰にも煩わされない自分のエリアは欲しい。普通の生活の外にだけど。下鴨神社神官の息子に生まれ、若い時は、宮廷に出入りし、和歌・管弦に親しみ、将来を望んでいた長明。

色々な出来事があって、こういう心境になったのだが、その経過がもう一つ判然としない。当時の

流行りかな。