191012 ㉘「日野の草庵(其の二)楽器を作る」

 

今日は長明の音楽について話す。長明の庵には、琴と琵琶があった。折琴と折琵琶である。(二つ割で手製と思われる)

このことについて、発心集(長明の仏教説話集)、家長日記に出ている話を中心に。 

「発心集巻7 5話」

聖徳太子の墓に覚納という聖がいた。音楽が好きで、上手に琴や琵琶を作って、竹で笛を作って

遊んでいた。「菩薩来迎の音楽は、どれくらい素晴らしいかと涙を流していた。日頃、楽器を作って

いるので、住まいには楽器が沢山あった。

何年か後に、この聖は思い通りの臨終で、仏の音楽を聴きながら命を終えた。その遺骸は長い間、傷むことなく、周囲の人たちは尊んだ。49日には、その遺骸は消え失せた。このことから、管弦の道も往生の助けとなるのだ。}

・聖徳太子の墓 大阪南河内太子町にある叡福寺。太子と其の母・妃の墓もある。聖武天皇創建。

「長明所有の琵琶の名器 手習い」

・「手習い」という琵琶の名器を持っていたが、後鳥羽院がこれを欲しがったので、歌を書きつけて

 献上した。

・この名器は、後鳥羽院から様々な人の手を経て、西明寺入道(執権北条時頼)

 鎌倉幕府6代将軍 宗尊親王へ。・

・「文机談」(鎌倉時代の琵琶の名手 隆円の音楽書)に、名器手習いの事が書かれている。

「発心集 巻5 13話」

・中国の音楽の名人は、琴を見ていると音楽が聞こえてくると言っている。

「発心集 巻6 7話」 英秀法師 数寄の事

石清水八幡宮別当の親類に、英秀という笛が好きな貧しい法師がいた。別当は憐れんで「欲しいことはないか」と聞いた。しかし言った後で法外なことを言われるのを恐れたが、英秀は筑紫にある所領の漢竹が欲しいとだけ言った。これで笛を作るという。

「無名抄」(長明の歌論書)

関の明神とは、平安時代の法師蝉丸法師(盲目で和歌、管弦の名手、逢坂の関に庵跡))

この人のことは、方丈記にも出てくる。関の明神社となり、芸道の神とされる。

 

「まとめ」

長明の書の方丈記、発信集、無名抄には、それぞれに音楽の話が多く、いかに長明が音楽を愛していたかを物語る。

 

「コメント」

全くの趣味人、教養人。好きなことだけを、好きな人としかやらない、好奇心旺盛な幸せな人。