191026㉚「数寄の道」(其の一)数寄とは何か

「数寄とは」 すき・すうきと読む

元々は「スキ」というのは、「好く」という動詞の連用形。

 連用形→活用形の一つ。用言に繋がる時の形。助動詞、接続助詞などが後続する。高く・咲き・

 鳴く・・・・・・・・

・数寄(すき) → 風流の道、ある物事に強い関心を持って打ち込むこと

数寄(すうき)→不幸せな事、境遇の変化が激しいこと。数奇な運命・・・

長明は「数寄人」であった。この事は、「十訓抄巻970話」・「文机談(ぶんきだん)」にも書かれている。当時、長明は数寄人として知られていた。

 

今日は数寄ということの礼を挙げて見てみよう。

 (長柄の橋の材木を尊んだエピソ-ド)

「袋草子」 平安後期の公家で歌人の藤原清輔の歌論書。和歌の作り方、歌人の話、伝承が

述べられている。

二人の男が、互いに秘蔵の物を見せ合う。一人は能因法師、もう一人は節信(ときのぶ)

能因は、これは有名な歌枕の長柄の橋を作った時の鉋屑だと言った。節信は、干からびた蛙を

見せて、これは美しい鳴き声で有名な井出の蛙(かわず)だと言った。二人は、唸って感動して、別れたという。しかし、この話を聞いて人々は馬鹿馬鹿しいと噂した。

・「宇治拾遺物語」巻3 12話 同人、仏事の事  この長柄橋の材木の話がある。

 伯の母が仏の供養のお礼に、長柄橋の材木の残りを進呈した。貰った永禄僧正は貴重なものをと

 喜んだ。・・・ 

(源経兼と室の八島の話)

源経兼が下野の国守の時に、都からある人が願い事にきた。色よい返事をしなかったので、その人は憮然として帰っていった。所が呼び戻され「ここには、室の八島というものがあります。見て行って都の人に話してください。」と言われた。

しかしその人は、ナンダそんな事かと言って怒って帰ってしまった。

・室の八島  栃木県惣社町にある大神神社にある池。水気が立ち上って煙のように見えるという。

         歌枕として、歌人に尊ばれた。

・数寄者にとっては大変なことであるが、一般の人には興味がなく、考えのすれ違いのエピソ-ド。

(身分の低い男が、身分の高い女に恋をした話)

恋文を渡す使いの者もいなかったので、自分で下僕になって持って行った。この事を女は聞いて、

感動して受け入れた。女も数寄者。

(源 為仲が白河の関を通る時に、衣装を正したというエピソ-ド)

武人で歌人。陸奥守として赴任の際、能因法師の白河の関を歌った歌に敬意を表した。

「都をば霞と共に立ちしかど秋風ぞ吹く白河の関」

(源 為仲の花勝見のエピソ-ド) 花勝見→マコモ(水辺の草)  長明の歌論書「無名抄」にある

陸奥守として下向の途中、郡山で55日にコモを家ごとに飾っているので、何故かと問う。この国にはショウブがないのでと答えた。昔、中納言御館という人が、安積の沼に花勝見があるので、それを代わりに飾りなさいと教えたのだ。

(源 為仲の宮城野の萩の故事)  無名抄79

任が終わって帰京するとき、宮城野の萩を掘り取って12の長持ちに入れて持ち帰った。京の人は、

このことを聞きつけて集まった。

 

長明自身、数寄者として知られていたが、世間の数寄にも強い関心があった。

 

「コメント」

数寄、いわゆる風流は当時の文化人の流行りであり、特に隠遁者にはそれが好まれたのである。しかし、風変わりとして一般の人々には捉えられていたのであろう。