191102㉛「数寄の道」(其の二)ますほの薄、井出の蛙

数寄とは、ひたすら物事に打ち込み実践すること。長明もその一人であった。長明はどのような数寄の振る舞い、行動を取っていたかを考えてみる。

「ますほの薄」 無名抄 16話  登蓮上人

雨の日に、ますほの薄の事が話題になり、ある人が「渡辺にこのことを知っている聖がいる」と言った。これを聞いた登蓮法師は、「早速そこに行く」と言って出て行った。皆が雨も降っているので、止めなさいと言ったが「これまで気になっていたことで、命には限りがあるので行ってくる」と出かけた。

相当な数寄ものなのだ。登蓮法師は、話が聞けたが誰にもしゃべらず秘密にしていた。

阿弥陀寺()に、ますほの薄と称するものがあるので講師は見に行った。

「井出のかわず」 カジカカエル。暗褐色で四肢に吸盤があり、美声で鳴く。

ある人が、井出(京都と奈良の境)に泊まった。近くには橘諸兄(井出の大臣)の別邸もあった。

山吹で有名であったが、すっかりなくなっていた。畑の肥料として、刈ってしまったという。夜にはいい声が聞こえた。

井手の蛙は大きさが普通の蛙と同じくらいであるが、色は黒くさほど飛び歩かずいつも水の中に

いて、夜がふけるとその鳴き声は清らかで、人の心をしみじみとさせる。    R奈良線「井出駅」

(長明のコメント)

ますほの薄や、井出のかわずを聞きに行ったらと言われたが、まだ行っていない。年を取って足も

弱り、とても行けない。数寄というのも、年と共に衰えるものだ。

「関の清水」無名抄 18

三井寺の僧が、逢坂の関に清水があるというので訪ねた。関寺(逢坂の関)の近くに小さな塔があり、清水の跡があった。

今は名残もないが、当時が偲ばれた。僧は、清水の北に小さな家があったという。ただの人の住まいではないであろう。

 

「コメント」

数寄人、変り者のオンパレ-ド。こう見ると当時は数寄人だらけ?

一般大衆は生活に一杯で、風流どころではない。金持ちで教養ある、変人の集団の事である