200718更級日記⑫「太秦への参詣」

前回は常陸の国司に単身赴任した父との別れ。作者25歳。年老いた母と留守宅を守る。父の無事を祈る為に太秦の広隆寺に籠る場面を話す

「朗読1父の出立の翌月の八月に父の無事を祈って太秦野広隆寺に御籠りをした。七日御籠りの最中は、埒もない空想から離れて、「無事に父に再会したいと」という私の願いを仏さまも聞いて下さるであろう。

八月ばかりに太秦に籠るに、一条より詣づる道に、男車、二つばかり引き立てて、ものへ行くにもろともに来べき人待つなるべし。過ぎて行くに、随身だつ者をおこせて、

「花見に行くと君みるかな」

といはせたれば、かかるほどのことは、いらへぬも便なしなどあれば、

「千くさなる心ならひに秋の野の」

とばかりいはせて行き過ぎぬ。七日さぶらふほども、ただあづま路のみ思ひやられて、よしなし事からうじてはなれて、「平らかにあひ見せたまへ」と申すは、仏もあはれと聞き入れさせたまひけむかし。

・太秦⇒広隆寺での御籠り  広隆寺

「現代語訳」

八月頃太秦広隆寺で父の無事を祈って御籠りをするため、一条通りを通っていると、途中に男車が人を待つ様子で止まっている。側を通り過ぎると、「花見に行くとお見受けします」と言ってきたので、黙っていこうとしたら、供の者が「返事をしないのは無粋なものです」というので、「上の句をつける。「貴方は色々と浮気な性分なようなので、御籠りに行く私を秋の野に遊びに行くとお思いでしょう。」と言って通り過ぎた。七日御籠りの間も常陸にいる父の事ばかり思い、他愛ない今までの私の空想から離れて、「父にあわせて下さい」という私のお願いを仏さまも不憫に思って聞いて下さるであろう。

 

「朗読2」冬になると荻は、激しい嵐に吹かれて痛々しく見える。

冬になりて、日ぐらしと雨降りくらいたる夜、雲かへる風はげしう吹きて、空はれて月いみじう明うなりて、軒近き荻のいみじく風に吹かれて、砕けまどふがいとあはれにて、

「秋をいかに思ひいづらむ冬深み嵐にまどふ荻の枯葉はつ」

「現代語訳」

冬になって、一日中雨が降った夜、雲を吹き飛ばす風が激しく吹いて、空は晴れて月も明るく照ってきた。軒先の荻がひどく風にもまれて、身もだえしているのが、痛々しい。

「冬も深まり、嵐にもまれた荻の枯葉は、自分の盛りの秋をどんな思いで思い出しているのだろう。」

 

古来、秋の終わりは男が女に飽きて、女を捨てる時期とされる。女を激しく冬の風にもまれる荻に例えているのだ。

 

「朗読3」父から手紙が来て、領国に「子しのびの森」というのがあって、貴方の事を思って感慨深かったとあった。そして返事で「そのことを伺うにつけても遠国におられる御父上のことを思います」

あづまより人来たり。

「神拝といふわざして国のうちありきしに、水をかしく流れたる野の、はるはへるとあるに、木むらのある、をかしき所かな、見せでとまづ思ひ出でて、『ここはいづことかいふ』と問へば、『子しのびの森となむと申す』と答へたりしが、、身によそ減られていみじく悲しかりしかば、馬よりおりて、そこに二時なむながめられし、

「とどめおきてわがごとものや思ひけむ見るにかなしき子しのびの森」

となむおぼえし」

とあるを見る心地、いへはさらな。返事に、

「子しのびを聞くにつけてもとどめ置きしちちぶの山のつらきあづま路」

「現代語訳」

東国から使いの者が来た。父の手紙に「神拝ということをした。雰囲気のある水が流れている野原があり、そこに木立があった。まずは貴女に見せたいと思った。ここは何という所かと尋ねると「子しのびの森」との答え。今の私に例えられて、悲しくなったので、馬を降りてそこに四時間もいた。

「子しのびの森よ。お前も子供を他所に残して切ない思いをしていのか」と感じたのであると書いてある。これを見て、私の心地はいかばかりか。返事にはこう書いた。

「このことを伺うにつけても、子供を都に残して秩父の山の彼方の、遠くて辛い常陸におられるお父様の事を思います。」

 

「コメント」

今は、単身赴任はごく一般的。交通も通信もいつでも可能だから。でも当時は水盃だろうな。妻も含めて、誰もついて行かないのも少し不思議だけど、当時はそうなのだろう。そういえば、地方転任の時に連れ合いの女性の姿が見えない