200725更級日記⑬「初瀬の鏡」

作者は父の単身赴任中に、25歳から29歳になる。この間の事は更級日記には書かれていない。

三つの宗教的な体験をする。今日はその話である。

・清水寺での夢見

・長谷寺に鏡を奉納して、夢のお告げを受けたこと

・天照大神の存在を意識したこと

 

「朗読1」当人もその気はなかったが、母も物詣はあれもダメ、是もダメで、やっと近場の清水寺に連れて行ってくれた。

かうて、つれづれとながむるに、などか物詣でもせざりけむ。母いみじかりし古代の人にて、「初瀬には、あなおそろし。

奈良坂にて人にとられなばいかがせむ。石山、関山越えていとおそろし。鞍馬はさる山、率て出でむいとおそろしや。

親上りて、ともかくも。」と、さしはなちたる人のようにわづらはしがりて、わづかに清水に率てこもりたり。

「現代語訳」

こうして何をするでもなく物思いに耽っている時に、どうして物詣でもしなかったのだろう。母はとても昔気質の人で、「初瀬詣などは怖い。奈良坂で悪い人に捕まったらどうしよう。石山寺、関山を越えていくのは恐ろしい。鞍馬は険しい山なので、御前を連れて行くのは恐ろしい。お父上が上京されてからなら、ともかく。」と、私を厄介者扱いして、やっと清水寺詣に連れて行ってくれた。

 

「朗読2」折角、母が清水寺に連れて行ってくれたが、私の悪い癖で真面目にお願いなどしなかった。立派な僧が「将来、悲しい目に会うのも知らないで、他愛のない事ばかりに気をとられているとは。」と言っている夢を見たが、気にもしなかった。

それにも例のくせは、まことしかべいことも思ひ申されず。彼岸のほどにて、いみじうおそろしきまでおぼえて、うちまどみ入りたるに、御帳の方の犬防ぎの内に、青き織物の衣を着て、錦を頭にもかづき、足にもはいたる僧の、別当とおぼしきが寄り来て、「行くさきのあはれならむも知らず、さもよしなし事をのみ」と、うちむつかりて、御帳のうちに入りぬと見ても、うちおどろきても、かくなむ見えつるとも語らず、心にも思ひとどめてまかでぬ。

「現代語訳」

清水寺に行った時も、私の癖(物語に浮かされた空想の癖)では、真面目に将来をお願いすることなど気にしなかった。

お彼岸の頃だったので、清水寺は混雑していて、疲れてウトウトしていた。この寺の別当と思われる立派な僧が寄ってきて、「将来の悲しい事にも気付かず、他愛もない物語などにばかり空想して」と、言って御簾の中に入っていった。この夢を見てハッと、目が醒めた。びっくりしたが、この事は母にも話さず、気にもせず、清水寺から帰った。

 

「朗読3」母は私の代わりに僧を頼んで、鏡を持って長谷寺に詣でさせた。そして、僧は将来を、夢のお告げで見て来て報告をした。いい方と悪い方と二つ。

母、一尺の鏡を鋳させて、え率て参らぬかはりとて、僧を出だし立てて初瀬に詣でさすめり。「三日さぶらひて、この人のあべからむさま、夢に見せ玉へ」などいひて、詣でさするなめり。そのほどは精進せさす。この僧帰りて、「夢をだに見で、真加出なむが、本意なきこと。いかが帰りても申すべきと、いみじうぬかづきおこなひて、寝たりしかば、御帳の方より、いみじうけだかう清げにおはする女の、うるはしくさうぞきたまへるが、奉りし鏡をひきさげて、『この鏡には、文や添ひたりし』と問ひ玉へば、かしこまりて、『文もさぶらはざりき。この加賀をなむ奉れとはべりし』と答へたてまつれば、『あやしかりけることかな。文添ふべきものを』とて、『この鏡を、こなたにうつれる影を見よ。これみればあはれに悲しきぞ』とて、さめざめと泣きたまふを見れば、臥しまろび泣き嘆きたる影うつれり。『この影を見れば、いみじう悲しな。これ見よ。』とて、いまかたつ方にうつれる影を見せたまへば、御簾ども青やかに、几帳おし出でたる下より、いろいろの衣こぼれ出で、梅桜咲きたるに、鴬、木づタヒ鳴きたるを見せて、『これを見るはうれしな』とのたまふとなむ見えし」と語る也。いかに見えけるぞとだに耳もとどめず。

「現代語訳」

母は径一尺の鏡を鋳造させて、私を連れて行けない代わりに、代参の僧に初瀬に参詣させた。「三日間籠って、「私の娘の将来を占って下さい。」と頼んだ。この僧が帰ってきて次のように報告をした。「一生懸命に勤行して、夢を見ました。とても気高く立派な装束の女性が現れて、『この鏡にはお願いの文は無いのですか』 僧が『ありません、ただ鏡を奉納してと頼まれただけです。』と答えると、『普通はお願いが付いているものです』と仰った。そして『この鏡を見て下さい。これはとても悲しい事です。』と言ってお泣きになる。見ると、伏して嘆き悲しむ女性の姿が映っている。『この姿は悲しい事です。ではこちらをご覧ください。』といって別の角度から見ると、青い御簾が掛かって、色とりどりの衣装が見えて、庭には梅、桜が咲いて鶯が鳴いている。『これはうれしい情景です』と仰る。このような夢を見てきました。」

でも私は僧の見てきた夢が、私の将来をどのように占われているか気に留めて聞こうともしなかった。

 

「朗読4」作者に天照御神を拝しなさいという人が居て、その後天照御神を意識するようになる。

ものはかなき心にも、つねに「天照御神を念じ申せ」といふ人あり。いづこにおはします神、仏にかはなど、さはいへど、ようよう思ひわかれて、人に問へば、「神におはします。伊勢におはします。紀伊に国に、紀の国造と申すはこの御神なり。さては内侍所にすくう神となむおはします。」という。伊勢の国までは思ひかくべきにもあらざなり。内侍所も、いうかでかは拝みたてまつらむ。空の光を念じ申すべきにこそはなど、浮きておぼゆ。

「現代語訳」

とりとめもない浮ついた私に、「天照御神を祈りなさい」という人が居た。どこにいらっしゃる神か、仏様かと人に聞くと、「神様です。伊勢にいらっしゃいます。紀伊の国で紀の国造がお祀りしているのもこの神様です。宮中の賢所にいらっしゃる神もそうです。」と教えてくれた。伊勢の国も宮中にもとても行けない。私は空の太陽を拝んでいるのが相応しい、

などとのんきに思っていた。

・国造(こくぞう・くにのみやっこ⇒大化の改新以前の国の統治者、その後廃された。

 次の二つの宮が天照大神を祭る神社、現存する。和歌山市」

日前宮(にちぜんぐう・ひのくまぐう)

国懸宮(くにかかすみや)

 

「コメント」

30歳近いのんきで我儘な娘の事が気になる母親は、色々と考えている。また廻りの人も気にしている。

52歳になって当時を考えてみると色々と思い当たることがあるのだ。

だから更科日記というより、更科随想録が相応しい。

 

そういえば昔、日前宮・国懸神社に由来もよく知らずに行った記憶がある。また仕事上の知り合いに、紀伊さんという方もいた。しかし当時は歴史に全く無知。