200926更級日記㉒「友との交流、和泉への旅」

「朗読」原文 仲良しだった女房仲間が、越前に行き消息が途絶えた。そこに歌で消息を聞く。

「いにしへ、いみじうかたらひ、夜昼、歌など詠みかはしし人の、ありありても、いと昔のようにこそあらね、たえずいひわたるが、越前の守の嫁にて下りしが、かきたえ音もせぬに、からうじてたより尋ねてこれより、

「絶えざりし思ひも今は絶えにけり越のわたりの雪の深さに」

といひたる返事に、

「白山のゆきの下なるさざれ石のなかの思ひは消えむものかは」

「現代語訳」

昔、非常に親しく付き合って歌のやり取りをしていた人と絶えず消息を交わしていたが、夫と共に越前の国司として下って行った。それから音沙汰が無くなった。つてを探して歌で便りした。

「続いて来た親愛の情も越前の雪の深さのように埋もれて仕舞ったのでしょうか」の返事に、

「白山の小さな石のように、私の心の中にはあなたへの友情の火は消えてはいません」

「朗読2」気心があって月を一晩中眺めていた人が、夫が筑前守となって一緒に下った。想い出していたら眠ってしまった。その人と月を眺めている夢を見て、目が醒めた。夢だと醒めなければよかったのに。

「同じ心に、かようにいひかわし、世の中の憂きもつらきもをかしきも、かたみにいひかたらふ人、筑前にくだりて後、月のいみじう明きに、かようなりし夜、宮に参りてあひては、つゆまどろまずながめ明るいし物を、恋しく思ひつつ寝入りにけり。

宮に参りあひて、うつつにありしようにてありと見て、うちおどろきたれば、夢なりけり。月も山の端近うなりにけり。

さめざらましをと、いとどながめられて、

「夢さめて寝ざめの床の浮くばかり恋ひきとつげよ西へゆく月」

「現代語訳」

気心があって月を一晩中眺めていた人が、夫が筑前守となって下った。想い出していたら眠ってしまった。

その人と月を眺めている夢を見て、目が醒めた。夢だと醒めなければよかったのに。西に行く月よ。あの人に伝えてよ。お会いしたくて、泣きながら目が醒めましたよと。」

「朗読3」秋ごろ和泉に行く。船旅の淀川、大阪湾の高浜、住吉の風景はとても素晴らしいものであった。

「さるべきようありて、秋ごろ和泉に下るに、淀といふよりして、道のほどのをかしうあはれなること、いひつくすべぅもあらず。高浜といふ所にとどまりたる夜、いと暗き,夜いたうふけて、舟の楫の音聞こゆ。問ふなれば、遊女来たるなりけり。

人々興じて、舟にさしつけさせたり。遠き火の光に、単衣の袖長やかに、扇さしかくして、歌うたひたてる、いとあはれに見ゆ。またの日、山の端に日のかかるほど、住吉の浦を過具。空も一つに霧わたれる。松の梢も、海のおもても、波の寄せくる渚のほども、絵にかきても及ぶべき方なうおもしろし。

「いかにいひなにたとへて語らまし秋の夕べの住吉の浦」

と見つつ、綱手ひき過ぐるほど、かへりみのみせられてあかずおぼゆ。」

「現代語訳」

ある事情があって、秋ごろ和泉に下ったが、淀という所から道中の景色がとても趣深いのはとても言い難いほどだ。

高浜というという所に泊まった夜、暗い夜更けに、舟の音がして、ナンダと聞けば遊女が来たという。歌を歌うのはとてもしみじみとした風情である。次の日、日の沈む頃住吉を通り過ぎた。霧がかかって絵にかいてもとても筆も及ぶまいというほど、素晴らしいものだった。

「この風景は何と形容し何に例えればいいのか。それほど素晴らしいものだ。」

と、振り返りながら飽きないで眺めていた。

「朗読4」冬になって京に帰る時に、大津で船に乗ったら大嵐に会う。船出していたら間違いなく難破していたと聞く。

「冬になりて上るに、大津といふ浦に舟に乗りたるに、その夜、雨風、岩も動くばかり降りふぶきて、雷さへなりてとどろくに、波のたちくる音なひ、風の吹きまどひたるさま、おさろしげなる事、命かぎりつと思ひまどはる。岡の上に舟引き上げて夜を明かす。雨はやみたれとで、風なほ吹きて舟出ださず。ゆくへもなき岡の上に五六日と過ぐす。からうじて風いささかやみたるほど、舟の(すだれ)まきあげて見わたせば、夕汐ただ満ち來るさま、とりも会経ず、入江の

(たづ)の、声惜しまぬもをかしく見ゆ。国の人々集まり来て、「その夜この浦を出でさせたまひて、石津に着かせたまへらましかば、やがてそのこの御舟なごりなくなりなまし」などいふ、心ぼそう聞こゆ。

「荒るる海にかぜよりさきに舟出して石津の波と消えなましかば」

「現代語訳」

大津で船に乗ったが、その晩大嵐になってしまい、そこに五六日滞在した。大津の人たちが集まってきて、あの晩船出していたら、難破していただろうといったので、とても心細くなった。

 

源氏物語14帖「澪標(みおつくし)」で光源氏と明石の上が、住吉神社参詣で出会う場面を、思い出しながらこれを書いているはずである。。

 

「コメント」

兄が泉州の国司だったので半年の滞在となったのだ。そして、ここでも源氏物語を想起しながら。友人たちは国司の妻、兄も国司。当時のトップクラスの社会の人々の話しである。