201017更級日記㉕「更級日記と源氏物語」

前回で更級日記の本文を病み終わった。今回からは4回に分けて、作者に焦点を当てる。作者は

更級日記の他にも、数々の物語を書いた。その創作意欲を掻き立てたのが、源氏物語である。

 

「藤原大家と源氏物語・更級日記とのかかわり」

更級日記の最も信頼すべき写本は藤原定家本である。その最後に定家による奥書がある。定家のコメントである。

これから定家が、この日記と作者を評価していたことがうかがわれる。

・「常陸守菅原孝標女の日記也。母は藤原倫寧の娘、伯母は蜻蛉日記の藤原道綱母。

・夜半の寝覚め、浜松中納言物語、朝倉、自ら悔ゆる等の作者である。

 

定家は古典学者として源氏物語の青表紙本を定め、日本文学の中心に据えた。

そして更級日記の底流に流れている源氏物語への深い思いに感動したのであろう。

これから更級日記にとっての源氏物語の意味を、具体的な文章に沿って考えてみよう。

 

「朗読1」更級日記の冒頭

あづま路のはてよりも、なほ奥つ方に生ひ出でたる人、いかばかりかはあやしかりけむを、いかに思ひはじめけることにか、世の中に物語といふもののあんなるを、以下で見ばやとおもひつつ、つれづれなるひるま、宵居などに、姉、継母などようの人々の、その物語、かの物語、光源氏のあるようなど、ところどころ語るを聞くに、いとどゆかしさまされど、わが思ふままに、そらにいかでおぼえ語らむ。

 

この時期は源氏物語が出版されて10年。講師曰く「源氏物語」は極めて異端である。男女の三角関係、不義密通ばかり。しかも天皇家のなかの不倫などスキャンダル。いわば不倫ドラマである。「浜松中納言物語」は輪廻転生をテ-マとして、三島の「豊穣の海」に影響を与えたとされる。スピリチュアルなものである。

 

「朗読2」やっと全巻の源氏物狩を読み始めた作者の興奮状態の描写。

はしるしるわずかに見つつ、心も得ず心もとなく思ふ源氏を、一の巻よりして、人も混じらず、几帳の内にうち臥して引き出でつつ見る心地、后の位も何にかはせむ。昼は日ぐらし、夜は目のさめたるかぎり、灯を近くともして、これを見るよりほかのことなければ、おのづからなどは、そらにおぼえ浮かぶを、いみじきことに思ふに、夢にいと清げなる僧の、黄なる地の袈裟着たるが来て、「法華経五の巻をとく習へ」ちいふと見れど、人にも語らず、習はむとも思ひかけず。物語のことをのみ心に占めて、我はこのごろわろきぞかし、さかりにならば、かたちもかぎりなくよく、髪もいみしばく長くなりけむ。光源氏の夕顔、宇治の大将の浮舟の女君のようにこそあらめと思ひける心、まづいとはかなくあさまし。」

「現代語訳」

今までは飛び飛びに読みかじって、話の筋も納得出来ずにいた源氏物語を一の巻より読み始めて、邪魔もなしに几帳の中で寝転んで読む心地はとても素晴らしい。昼中、夜は目の覚めている間、灯をともして、物語を読むこと以外に何もしないで、その文章が暗唱できるほどになった。夢に僧侶が出て来て、「法華経を習いなさい」といったがそんなものを習おうとも思わなかった。物語の事ばかりが心を占めて、今は器量が悪いが、年頃になったら綺麗になって、髪も長くなるであろう。夕顔や浮舟のようになるうと思っていた私は何と他愛のない呆れた事では有ったろう。

 

今までバラバラに飛び飛びに読んでいた物語を桐壺の巻から順を追って通読できたのである。

 

又作者は中と云われて姉がいた。特異なのは、その姉が自ら若くして死ぬことを予感していたことである。その件を読んでみよう。

「朗読3」深夜姉と、月を見ている時、姉が突然「私が空を飛んて、行方知れずになったら」などと気味悪い事を云った。

その十三日の夜、月いみじく明きに、みな人も寝たる夜中ばかりに、縁に出でゐて、姉なる人、空をつくづくとながめて、「ただ今ゆくへなく飛びうせなばいかが思ふべき」と問ふに、なまおそろしと思へるけしきを見て、ことごとにいひなして笑ひなどして聞けば、かたはらなる所に、さきおふ車とまりて、「荻の葉、荻の葉」と呼ばすれど答へざなり。呼びわづらひて、笛をいとをかしく吹きすました、過ぎぬなり。」

「現代語訳」

その月の13日の、月がくまなく明るい時、家の者も寝静まった夜中に縁側に座って、あねが空を眺めて「今、私が行方も知れずに飛んで行ってしまったら、どんな気持ちでしょう」と聞くので、薄気味悪く思った。

姉はわざと話題を転じて笑い合ったりした。隣の家に・・・・・・。

 

この時作者は15歳、この2年後に姉はお産で亡くなる。

 

次回は「夜の寝覚め」について話すので少し触れておく。ヒロインは中の君(次女)。姉は5歳上。姉の婚約者で後に姉の夫となる人とひょんなことから、関係を持ってしまう。その結果、子供を産んでしまう。これは姉の知る所になる。姉は三角関係に苦しみ、お産で亡くなる。更級日記では大納言の姫の生まれ替りの猫が迷い込み、翌年の火事で猫が死ぬ。更に翌年には姉が亡くなる。三角関係は更科日記には書かれていないが、何かを示唆している。更級日記の特徴として、作者自身の事が殆ど書かれていないことに注意すべき。

 

「朗読4」源氏物語の世界のヒロインに自分を擬して空想ばかりしていた。光源氏を理想としていた

かようにそこはかなきことを思ひつづくるを役にて、物詣でをわずかにしても、はかばかしく、人のようならむとも念ぜられず。このごろの世の人は十七八よりこそ経よみ、おこなひもすれ、さること思ひかけられず、かろうじて思ひよることは、「いみじくやむごとなく、かたち有様、物語にある光源氏などのやうにおはせむ人を、年に一たびにても通はし

奉りて、浮舟の女君のように、山里にかくし据えられて、花、紅葉、月、雪をながめて、いと心ぼそげにて、めでたからむ御文などを、時々待ち見などこそせめ」とぱ゛かり思ひつづけ、あらましごとにもおぼえけり。

「現代語訳」

こんな埒もない事を思い続ける

ことを日常にして、人並みになろうと祈ろうとも思わない。今の人は十七八頃よりお経を読んで勤行をするがそんなことは思いもよらない。やっと思いつくのは、「光源氏のような人に年に一度でも私の所に通ってもらい、浮舟のように山里に隠され、季節の移り変わりを眺めて、心細く暮らして、手紙を待っていたいもの」と空想に耽り、将来の夢と思っていた。

 

33歳で結婚。この時の心境は次のようであった。

「朗読5」結婚後現実に目覚める。源氏物語の世界は有り得ないと。さりとて、実直にも過ごせない。

その後はなにとなくまぎらはしきに、物語のこともうちたえ忘られて、ものまめやかなるさまに、心もなりはててぞ、などて、多くの年月を、いたづらに臥し起きしに、おこなひをも物詣でをもせざりけむ。このあらましごととても、思ひしことどもは、この世にあんべかりけることどもなりや。光源氏ばかりの人は、この世におはしけりやは。薫大将の宇治にかくし据えたまふべきもなき世なり。あなものぐるほし。いかに、よしなかりける心なり。と思ひしみはてて、まめまめしく過ぐすとならば、さてもありはてず。

「現代語訳」

その後(:結婚)は何となく雑用に取り紛れて、心も落ち着いてきた。長い間無為に過ごしてきたものだ。将来に掛けた期待も有り得たことであったろうか。光源氏のような素晴らしい人はいるのだろうか。浮舟もいないのだ。私は本当におかしかったのだ。なんと他愛もない心だったのだろうと心底思った。しかし、それでは実直一途に過ごすかというと、それは現実的にはあり得ない。

 

この時代の最高の作品は「源氏物語」と「枕草子」であろう。これを模倣する人々が続出する。更級日記はその二つではなく、新しい文体を作った。この文体を評価したのが藤原定家であった。極力余計な部分を排除して、読者の想像力を刺激するのである。

 

「コメント」

講師の話は本文のどこにも書いて無い事。研究者とは、ここまで考えるのか。

 

・姉との確執→姉の夫との三角関係  どこにもそれは書かれていないが、作者の他の物語から推測している。???