201212和泉式部日記⑤「月夜の同車」

恋多き女と立場上自由に振舞われない皇族男性との波乱に満ちた恋愛の物語である。今回は女がこっそり皇族の屋敷に出掛けて、そこで一夜を過ごすスリリングな場面を読む。まず、女の家を宮様が訪問する。その夜、女を車に乗せて別の屋敷に連れていく。そして一夜を過ごす。

 

「朗読1

「原文」

久し振りに親王がお出でになって、色々と気になって来るのが遅くなった。今日は人の来ない所に行こうと、女を連れだす。そしてとある屋敷に行く。

かろうじておはしまして、「あさましく心よりほかにおぼつかなくなりぬるを、おろかになおぼしそ。御あやまちとなむ思ふ。かく参り来ること便悪しと思ふ人々、あまたあるように聞けば、大方もつつましきうちに、いとどほどへぬる。」とまめやかに御物語したまひて、「いざたまへ、今宵ばかり。人の見ぬ所あり。心のどかにものなども聞こえむ」とて車をさし寄せて、ただ乗せに乗せたまへば、われにもあらで乗りぬ。人もこそ聞けと思ぬ思ふ行けば、いちう夜ふけにけれりば、知る人もなし。やをら人もなき廊にさし寄せて、下りさせたまひぬ。

「現代語訳」

宮(敦道親王)は、やっとのことで女の所にお出でになって「心ならずもご無沙汰していたが、これも貴女が悪いのですよ。

こうして私が来ることを、具合が悪いと思っている男が沢山いるように聞いているので、私も辛いし、世間体を気にしている内に、時間が過ぎました。」とお話になり、「さあいらっしゃい。誰にも見られない所があります。そこでゆっくりお話でもしましょう。」と、車を寄せて、無理に乗せようとされるので、女は何が何だか分からないうちに、乗ってしまった。人に知られたらどうしようと思っていると、夜が更けていたので、気付く人もいない。人気のない家で車を降りた。

 

「朗読2

「原文」

女を車で別の屋敷に連れて行き、一夜を過ごす。そして、明くる朝、女を一人で帰す。自分が出掛けているのを知られたら拙いので。

月もいと明ければ、「下りね」としひてのたまへば、あさましきようにて下りぬ。「さりや。人もなき所ぞかし。今よりはかようにてを聞こえむ。人などのある折にやと思へば、つつましう」など物語あはれにしたまひて、明けぬれば、車寄せて乗せたまひて、「御送りも参るべけれど、明くなりぬべければ、ほかにありと人の見むもあいなくなむ」とて、とどまらせたまひぬ。

「現代語訳」

月もとても明るいし、親王が「降りなさい」と仰るので、少しみっともないけれども車を降りた。「どうです。人もいないでしょう。これからは、こういう調子でお話などしましょう。貴女の家だと誰かと鉢合わせするのではと心配で、遠慮してしまうのです。」と話をされた。一夜を過ごして、明るくなると、女を車に乗せて、「家まで送るべきでしょうが、明るくなったので、私が何処かに出掛けていたと思われるのも不都合なので」と言って、親王はそこに残った。

 

「朗読3

「原文」

奇妙一夜だったと女は思った。こんなことは出来ませんと女が手紙を書くと、「朝早く起きてしまうのは辛いが、貴方に逢えない方がもっと辛いので。→ほかの男が来ていて会えないことを皮肉っている。次の夜も親王は迎えに来て、その屋敷で過ごす。奥方は、父の冷泉天皇に処に行っているものと思っているのだ。

女、道すがら「あやしの歩きや。人いかに思はむ。」と思ふ。あけぼのの御姿の、なべてならず見えつるも、思ひ出でられて、

「宵ごとに帰しはすともいかでなほあかつき起きを君にせさせじ   苦しかりけり」とあれば、

「朝露のおくる思ひにくらぶればただに帰らむ宵はまされり    

さらにかかることは聞かじ。夜さりは方ふたがり。御迎へに参らむ。」とあり。あな、見苦し。つねにはと思へども、例の車にておはしたり。さし寄せて、「はや、はや」とあれば、さも見苦しきわざかなと思ふ思ふ、ゐざり出でて乗りぬれば、昨夜の所にて物語したまふ。上は、院の御方にわたらせたまふとおぼす。

「現代語訳」

女は帰る道すがら、「奇妙な夜だった。人は何と思うだろう。」明け方に見た親王の御姿がとても素晴らしかったことを思い出されて、

「夜にお帰しすることはあっても、朝早く起きる事だけはさせたくありません。 それは辛い事です。」と書き送ると、

「朝露の頃に別れる辛さに比べれば、お会いできずに帰る時の方が余程、辛いのです。おなたの言うことは聞けません。今夜は貴女の方角が方塞がりなので、泊まれません。又迎えに行きます。」と返事が来た。

女は、ああみっともない。こう言うことは毎晩出来ないと思ったけれど、親王は昨日の様に車でお迎えに来られた。親王が早く早くと仰るので、みっともないと思いつつ乗ってしまい、昨夜の屋敷に行って、また一夜を過ごした。親王の奥方は、親王は父君の所に行っているものと思っておいでになる。

 

「朗読4

「原文」親王は朝に「鳥の鳴く声が辛い」と言う。朝になって鳴き声で起こして、辛い別れをさせるから。憎らしいので殺しましたという。女は私の方こそ、お見えにならない日の朝の鳥の鳴き声は、辛いものですと返歌をした。

明けぬれば「鳥の音つらき」とのたませて、やをら奉りておはしぬ。道すがら、「かようならむ折は、かならず」とのたまはすれば、「つねはいかでか」と聞こゆ。おはしまして、帰らせたまひぬ。しばしありて御文あり。「今朝は鳥の音におどろかされて、にくかりつれば殺しつ」とのたまはせて、鳥の羽に御文をつけて、

「殺してもなほあかぬかなにはとりの折ふし知らぬ今朝のひと声

御返し、

「いかにとはわれこそ思へ朝な朝な鳴き聞かせつる鳥のつらさは   と思ひたまはるも、にくからぬにや」とあり。

「現代語訳」

夜が明けると、親王は「鳥の鳴き声が辛い」と仰って、私を家まで送って帰られた。「今度も必ず来て下さい。」と仰るので、「いつもいつもは無理です」と申し上げた。暫くしてお手紙があった。「今朝は鳥の鳴き声に起こされて、二人の別れの辛さを理解しない鳥が憎らしくて、殺してしまった。」と書いてあって、鳥の羽根に文が付いていた。

「鳥を殺してもまた飽き足らない。二人の気持ちも知らず、鳴く鳥の声のつれなさは」

これに女は返歌をした。

「別れがどんなに辛いかは私こそ知っています。貴女がお見えにならない時の朝に、鳴く鳥の声の無常さを。」

 

「朗読5

「原文」

その後、月の明るい晩の手紙のやり取り。

二三日ばかりありて、月のいみじう明き夜、端に居て見るほどに、「いかにぞ。月は見たまふや。」とて、

「わがごとく思ひは出づや山の端の月にかけつつ嘆く心を」

れいよりもをかしきうちに、宮にて月の明かりしに、人や見けむと思ひ出でらるるほどなりければ、御返し、

「ひと夜見し月ぞ思へばながむれど心もゆかず目は空にして」

と聞こえて、なほひとりながめゐたるほどに、はかなくて明けぬ。

「現代語訳」

二三日経って、月のとても明るい晩に、女が月を眺めていると、親王から「どうしていますか。月を見ていますか。」とお手紙があった。

「私は先日の事を想い出しています。月が山の端に落ちるように、その後お会いできないことを嘆いています。」

この歌がいつもよりあわれに思えて、あの邸で誰かに見られなかったかと心配していた時でもあったので、次の様に返歌をした。

「貴方と一緒に見た月だと思って眺めていますが、お会いできないので心は晴れずに目は虚ろです。」

一人で月を眺めている内に、夜が明けてしまった。

 

「コメント」

 

当時の平安の高級貴族の毎日は、儀式とこんな遊びと道具としての歌作りだけなのか。そして、それが後世の我々には、その物語が、古典として研究材料となる。